*17* 一人、一人の豹変ぶりにちょっと引く。
人によっては夏休みのノスタルジーを感じる、小さなプラスチック製の虫カゴに、 ハムスター飼育用の砕いたウッドチップを敷き詰め、辛うじて離乳はしているみたいだったので――というか、精霊に離乳の概念はないだろうから、さっき作ったお菓子をほんの一欠片。
その中で小指の第二関節程度の真っ白なハツカネズミが、お菓子を齧りながら、横から覗き込む私達を観察していた。ちなみに今のところ一番クロだと思われる容疑者は、従魔契約するために額の石から柘榴と名付け、オニキスの蔓で簀巻きにしている。
腹立たしいかな駄神の言う通り名付けを完了したことで、勝手にこの場にいるエリックやオニキスの記憶を覗くことは出来なくなったっぽい。まぁ油断禁物なので簀巻きのままなんだけど。いくら見た目が可愛くても、まだ得体が知れない危険な奴なことにかわりない。
「子ネズミって滅茶苦茶跳ねるんだな。子ウサギって言われた方が納得だ」
「だから先程までの我も苦労しておったのだろうが。それに力もかなり弱まっているとはいえ、見た目通りのただの子ネズミということもないのだぞ? それをお前は――」
「今のお前には分からないかもだけどな、高いところから落ちたら死ぬんだぞ、忠太。頼むから立ってる私の手から飛び降りようとするなよ」
口うるさく続けようとするオニキスの言葉をぶった切り、コツコツと虫カゴを叩くと、一瞬だけ手元のお菓子から視線を上げるベビ忠太。けれどつぶらな目はすぐにお菓子に戻ってしまった。食い意地がはってるのはどのサイズでも変わらないらしい。
「いつものチュータがどれだけ思慮深いネズミだったか、よく分かるな。でもこの状態でも一応マリの言葉は通じてるのか?」
「分からない。魔晶盤を見せても匂いを嗅ぐだけだし……」
エリックからの質問にそーっと虫カゴの蓋を開け、お菓子を齧る忠太の前にスマホを持っていってみるが、やっぱりその可愛い鼻でススンと匂いを嗅ぐだけで、いつものようにフリック入力してくれる気配はない。
顔の辺りまで持ち上げても、せいぜい舌で画面をテチテチと舐めるだけだ。ていうか舌ちっっっさ! 画面に残る水滴の面積考えたら、爪楊枝の先っぽくらいしかなくないか?
耳も小指の爪の半分もないし……指に至っては何で大きさを例えれば良いのかも分からない。むしろ可愛い以外何も分からないといった方が正しい。
「文章が打てずとも、耳で聞く単語を理解している可能性もある。だがどの動物も幼子とは得てして親の言葉を聞かぬ生き物ではあるからな」
オニキスの言葉に頷きつつ、ベビ忠太との意思の疎通を一旦諦めてスマホを取り出そうとしたその時、こちらに対しての興味はお菓子より薄いものの、傍にあったものを遠ざけられると気になるのだろう。
小さな歯型が残るお菓子を投げ出したベビ忠太は、二回自身の手を舐め、顔を洗い、額の毛を唾液で逆だったことにも気付かず、スマホを掴む私の手に近寄ってきて人差し指に――きゅっ、てち。
「くぁwせdrftgyふじこlp……!!!」
突然のベビ忠太の指抱っこと舌の感触に思わず奇声をあげてしまった私を見て、隣にいた一人と一体が「ど、どうしたんだマリ?」「何事だ! チュータから攻撃魔法の反応はなかったぞ!?」と騒ぐけど、もう無理。
庇護欲が脳天を突き抜ける。興味があるものは何でも口に入れちゃうのか、ベビ忠太……! その可愛いの暴力で新たな奇声を生み出さなよう、左手で口を押さえて耐えた。
「スゥッーーーー……ダイ、ジョウブ、モンダイ、ナイ」
「ほ、本当に? 本当にか? 診察しないでも平気なのだろうな?」
「守護者がこうなって心細いのは分かるが、気を確かに持つのだマリ」
思わず片言になったせいでさらに心配をかけてしまったみたいだが、そんな一人と一頭に頷き返し、ベビ忠太の抱擁からやんわり逃れ、スマホを虫カゴの外に出してひとまず空咳を挟み「今から自分の工房に帰るわ」と口にした。
「帰るって、今から? 宿に戻るのではなくか?」
「ん。本当は三日後にチェスターのところに行って、今回の報酬の話をするはずだったんだけど、忠太がこの調子だしさ。何か決めるなら相談して二人で決めるって約束だからな」
幸いにも忠太が縮んでも、これまでレベルを上げてきたスマホの機能は生きているようなのだ。だから帰ろうと思えば転移ピンでひとっ飛びなのだが、それを知らないエリックは私の正気を疑っている。無理もない。
しかし紅葉として一緒に行動したことのあるオニキスは、転移出来ることを知っているのでこちらの提案に頷いた。
「ふむ……まぁ、元に戻る期間も不明とあらば、住み慣れた土地に戻ることは悪手ではなかろうよ。土地によって大気中に漂う魔力も違う。こちらで得る魔力よりはその幼い身体にも馴染もう」
「そういうこと。それに隣国同士とはいえ、この国だと何かあった時に色々面倒があるだろ。私達はこっちの国民じゃないからさ」
「然り。聖女のいた時代よりマシとはいえ、この国の貴族共は相も変わらず権力に物を言わせる。奴等の耳にマリ達の噂が届けば隠し抜くのは難しかろう」
「情けない話だけど、今まで難しい立ち回りなんかは、ほとんど忠太が知恵を絞ってくれてたんだ。でも私はそこまで賢くないからな。だからそういう面倒なことに巻き込まれる前にさっさと逃げ帰りたい」
オニキス達との会話を続けながら、虫カゴの中で下手くそな毛繕いをし始めたベビ忠太の背中を見つめる。いつも、いつでも助けてくれる相棒を、今度は私が助ける番だ。前世では咄嗟に命をかけてしまったけど、今世で命をかけるなら、きっとこの小さな背中のためだろう。
今回のこれはこれまで忠太の存在に寄りかかりすぎていた私にとって、かなり苦いけどいい薬にはなった。ただしそれとは別に、若干の非難を込めた視線で簀巻きにされた柘榴を睨むと、真っ黒な瞳を潤ませ、蔓から抜け出そうと身体をくねらせる。
――が、それを察知したオニキスにギュッと圧をかけられ、降参とばかりにくたりと力を抜いた。
「何か我等で力になれることはあるか?」
「あー、それじゃあデレクとエッダに〝用事が出来たから帰る。今回の報酬は別に必要ない〟と伝えておいてくれると助かる」
「その程度で良いのか。しかも報酬もいらぬとは……欲のないことだ」
「最初からもらうつもりはなかったからな。元々夏休みに友人のいる街に遊びに来ただけだし」
「よかろう、奴等にはそう伝えておこう。エリックもそれで良いな?」
「はい、オニキス様。だけどマリ、もう外は暗くなってきたぞ。帰るにしても今日の分の乗合馬車も出てしまったと思――あ」
オニキス全肯定マンはそこまで口にして、急に言葉を区切った。けれど続く言葉は何となく分かったし、エリックが懐から取り出した見覚えのある耳飾りに向かい、貴族の顔で「所要だ。今すぐ来い」と囁いた五分後には、あのモンペ男ダンテが工房の人間を連れて馳せ参じてきた。
そんな彼等を前に説明をする必要はないといった風に、エリックが――、
「お前達のマスターの恩人が帰還をお望みだ。工房の魔法陣で、彼女を隣国の国境付近まで転送しろ。何人か護衛もつけて近場の街に送り届けるんだ。向こうでの安全を確認出来るまで戻るな。否はない。やれ」
――と尊大に言い放ち、来た時とは比べ物にならないくらい迅速安全快適に、エリュシュオンの総力を使った魔法陣で、オルファネアの国境付近まで飛んだのだった。何回見てもジャンク飯大好きな子犬っぽい姿からの貴族ムーブ、怖ぁ。




