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41 ビーフ or ヒロイン

 交流戦初戦、敵本拠地で神戸ブリュワーズ戦を戦うドルフィンズ。

 先発はFAで移籍してきた大久保だ。ここまでのシーズン成績は、4勝1敗、防御率3.27。


 ブリュワーズは、打高投低を絵にかいたようなチームだった。

 大久保は立ち上がりからヒットを打たれながらものらりくらりとブリュワーズ打線を交わしていく。

 5回まで6安打を浴びながら1失点に抑えていた。


 ここまで毎回のようにスコアリングポジションにランナーを出すが、不敵にニヤニヤとマウンド上で笑うと横の変化球でカウントを稼ぎ、俊敏なクイックから人を食ったようなチェンジアップで打者のタイミングを外していく。

 相手打者はさぞいらつくのだろう。ブリュワーズの4番打者ウィットはチェンジアップに空振り三振した後、怒りをバットにぶつけるかのごとく、ひざで折ってしまっていた。


 しかし、この日はドルフィンズ打線も湿り気味だった。

 2回表に3番新川が放ったタイムリーツーベースと、4回表にの4番田村の犠牲フライで内田が本塁を踏んだ2点のみで、2対1とかろうじてリードしている状況だ。


◆試合経過(神戸ー湘南1回戦 神戸ドーム)

湘南 010 100

神戸 001 00


 そして迎えた6回裏、大久保は2死1・2塁のピンチを招くが、4番ウィットにカウント3-2から渾身のチェンジアップを投じる。

 完全にタイミングを外されてバットを出せなかったウィットはただ見送ることしかできず、ボールはアウトローいっぱいで谷口のミットに収まる。


 谷口のミットは静止したまま動かない。1秒……2秒……時が流れる。

 判定を待つ球場全体の張り詰めた空気が、審判の声で一変する。


「ボールフォア!」


 これで2死満塁。

 ついに捕まえた、という雰囲気に湧き上がるブリュワーズファン。

 思わず審判の顔を見上げる谷口。こういうとき、大久保は絶対に審判に抗議することはない。

 ホームベースに背を向けて、いつものニヤニヤ顔を浮かべる大久保。いうことを聞いてくれない自分のひざをごまかし、押しつぶされそうなプレッシャーを跳ね返そうと、自分で自分を騙すために始めた癖だった。


 試合の流れは、一気にブリュワーズに傾いた。


 誰もが明らかにそう感じていた。

 それはドルフィンズベンチも例外ではない。


「はい、ブルペン!」


 けたたましい音でなった神戸ドームの内線を、中継画面を見ていた河本投手コーチがすかさずとる。

 受話器を持ったまま、


「立花、いくぞ!」


と告げる。捕手とセットで交代となるため、試合終盤に起用されることが多い楓としては、6回での起用は珍しい。


「はい!」


 楓よりも先に返事をしたのは戸高だった。

 戸高としても、早い回から出られるとなれば、その分回ってくる打席も多い。結果を出して首脳陣にアピールするチャンスだった。


 2人はブルペンから急いでベンチへ向かう。

 場内にアナウンスが流れるのが遠くで聞こえた。


《ドルフィンズ、選手の交代をお知らせいたします。キャッチャー、谷口に代わりまして、戸高、背番号27。ピッチャーの大久保に代わりまして、立花、背番号98。以上に変わります。》


 ホームよりも愛想のない簡素な選手紹介と、登場BGMのない神戸ドームに、ブリュワーズ応援団の奏でるチャンステーマがこだまする。熱い地元ファンの応援はさらにヒートアップし、マウンドに登る前から楓にプレッシャーをかける。


 マウンドにできた円陣に合流した楓はコーチからボールを受け取ると、大久保の方を見た。「まだまだ投げられるのに」といった様子で少し不満そうな大久保は、


「分かってんな! 負けたら神戸ビーフ1年分やぞ!」

「増えてるって! おかしいでしょ!」

と軽口を交えたやりとりを楓として、マウンドを降りていく。

 一仕事終えてマウンドを降りる子供たちのヒーローのの背中は、いつもより少し大きく見えた。


 大久保を見送った楓の背後には、3人のランナー。

 スコアは1点差。


《5番、レフト、J-益田、背番号55》


 地元出身のスラッガーを、満員に詰めかけた地元ファンの声援が後押しする。

 大柄な体を悠々と動かして左打席に入った益田は、高々とバットを構えるとマウンド上の華奢な投手を睨みつけた。


(さすがに、すごい威圧感――)


 楓は少し息をのんで、戸高のサインを覗き込む。


(インコースのボールゾーンに、大きなシンカー)


 なるほど。今日のテーマは「強気にかわす」ってわけね。


 楓は戸高とサイン交換をするうち、毎日異なるリードのテーマを読み取れるようになってきていた。

 地元神戸ドームで、ほぼぐるりと一周取り囲むブリュワーズファン。なかなか得点ができないもどかしい展開のまま迎えた6回裏。2死満塁という状況で、長打はいらないが、ここからは下位打線。打者としては、「カウントが浅いうちは、長打を狙ってみようか」と色気を出してしまうところだろう。


(ようするに、初球はつい大振りしたくなるシンカーってことね。もらえるストライクはもらっておこうって。)


 楓は、戸高の試合状況を深く読んで打者心理を計る技術と、普段の素直な性格から想像がつかないほど性格の悪いリードに感服しつつ、戸高が欲しがっていそうなシンカーを投じる。

 一見打ち頃のストレートに見える初動から、打者の手元で大きく失速し、インコース方向へ曲がりながら落ちる。


 打ち気にはやっていた益田は、これについてを出して空振りした。

 カウントは0-1。


(正直、ここでストライクを取れたのは大きい)


 楓はこの状況に若干の安堵を覚えていた。おそらく戸高と同様に。

 ワンポイントを引き受けてみたものの、起用される場面は毎回スコアリングポジションにランナーがいる、僅差の場面。しかもだいたい打席にはスラッガーがいる。

 当然の話だが、「この打者だけはどうしても打ち取らなければならない」という場面で起用されるのだ。そのプレッシャーたるや、ある程度想像はしていたが半端なものではなかった。


 しかも今日は満塁で1点差。抑えればヒロイン、同点にされたら神戸ビーフ。

 さすがに今日は「ボール先行してもいいからくさいところを」などと言っていられない場面だった。

 このストライクカウントを最大限活かさなければならない。


(アウトローに、ボールになるカット)


 戸高くんもこのストライクでだいぶ余裕がでたってわけか。私も同感だよ。

 さすがに2球で追い込めるほど、甘い相手じゃなさそうだからね。


 楓が投じたカットボールは、左打者のアウトコース低めにギリギリ外れるコースへ走っていき、そしてさらに外側へ変化した。

 これを益田がピクリと一瞬肩を動かして見逃したのを、マスク越しに戸高はしっかりと見ていた。マウンド上の楓からも、戸高の口元が少し緩むのが見えた。

 すかさず次のサインが出る。


(インローに、ボールになるシュート)


 楓の思惑は、どうやら戸高とぴったり合っていたようだった。

 先ほど益田が見逃す際に体が反応したのは、脳裏にシュートがあったからだ。外角のボールをカットかシュートか迷って見逃した。そして1-1の平行カウント。

 だとすると、投手としてはバッティングカウントにしたくない、打者としては追い込まれたくない、と考えるのが普通だ。

 必然的に、打者心理としては頭のどこかで「次はストライクになるボールが来るはず」、「くさいところに来たら振りにいこう」という芽生えることを、戸高と楓は予期していた。


(もう私は、いざとなったら、方針を変えればいいだけだからね!)


 楓は力いっぱい指先を弾いてシュートを投じる。ストレートなら、ギリギリストライクのコースだ。

 益田の手元に来て、ボールは内側へ変化する。


「ボール!」


 審判のコールがこだまし、スタジアムのファンの歓声がバッティングカウントになったことを告げる。これでカウントは2-1。

 さあ次の球で勝負だというファン心理が、スタジアムのボルテージをさらに上げていく。


 しかし、マウンド上の楓にも、マスクをかぶる戸高にも、まだまだ余裕があった。

 新球種スクリューの習得で、もしストレートと初動が同じボールを見極められてしまっても、今度はカーブと初動が同じスクリューで打者を惑わせばいい。

 勝負する選択肢に、もう1つオプションができたのだ。


(インローに、ボールになるスクリュー)


 さらに戸高が超強気なリードをする。

 満塁の状況で、3ボールにするリスクを踏むことはリードとしては最悪だ。

 だが、戸高には自分も大学野球三冠王という看板を背負って野球をする中で、「このボールで空振りを取れる」という確信があった。この場面でスラッガーには「四球ではなくヒットを打ってこそ」という謎の矜持が芽生えるものだと。


 もちろん、それは楓と戸高の信頼関係があってこそだ。

 一度胸部のプロテクターをどんと叩いて、戸高が構える。


(わかってるよ。手元がくるっても、ちゃんと止めてよね。スクリュー、初心者なんだから!)


 楓が投じたスクリューは、少し初動からボールは内側に動いていたが、それでも打者心理の裏をかかれた益田のバットを振らせるには十分だった。

 益田は低めのボールをすくい上げるように大きく空振りする。

 これでカウントは2-2。再び平行カウントだ。


 今日の決め球はもう決まっていた。


(アウトローに、ストライクになる小さなシンカー)


 追い込まれたカウントで苦手なコースに投げられるほど、打者としては手を出すか悩むものはない。

 得意なコースならボール球を叩いてしまってもファウルで逃げたり、ヒットにできたりするものだが、苦手コースとなるとボール球を手を出してしまうと、どうしても空振りになりやすい。


 楓は戸高のサインにうなずき、自信をもってシンカーを投じる。


 オープンスタンスでしかもプルヒッターという益田にとって、左投手のアウトコースは特に苦手な場所だ。ボール球を叩くわけにはいかないだろう。

 しかも、楓のボールは、外方向に変化するスライダーやカットか、内方向に変化するシュートやシンカーかの予測を打者に迫る。

 人間は、どうしても自分に都合のいい方に物事を解釈してしまうものだ。この状況では、「外方向に流れる遊び球を投げるかもしれない」という心理が働くことを戸高は読んでいた。


 楓の投じたシンカーはアウトローいっぱいに収まり、審判の右手が上がった。

 レフトスタンドのごく一部を除く、スタジアム全体のスタンドから落胆の声が上がる。


 一度渡しかけた流れを再び引き寄せたドルフィンズは、そのまま伊藤、バワーズ、山内の継投で辛くも勝利した。


◆試合結果(神戸ー湘南1回戦 神戸ドーム)

湘南 010 100 001=3

神戸 001 000 000=1

湘南の継投=大久保、立花、伊藤、バワーズ、山内 - 谷口、戸高


 山内が最後の打者を打ち取った瞬間、ベンチで大久保にハイタッチを求められる楓。


「助かったわ! ナイピ楓ちゃん! 奢りがかかると強いな!」

「ありがとうございます!」


 そのまま2人は今日のヒーロー(&ヒロイン)インタビューに指名される。

 インタビュアー役の記者が妙なことを聞いてきた。


「今日も大久保選手のクイック投法からのチェンジアップが冴えわたっていましたね。あの力の抜けたクイック投法、名前はあるんでしょうか?」

「せやなぁ、あんま考えてへんかったけど……せや! アヘアヘクイック! どうや!」

「だっさ!」


 思わず隣にいた楓はツッコんでしまった。

 インタビュアーそっちのけで掛け合いが始まる。


「ひっどいなぁ。ほんなら、楓ちゃんの魔球! あれはなんていうんや。」

「カエデボールです!」

「だっさ!! だっっっっっさ!!」

「うそ?! かっこよくないですか?」

「カエルボールみたいやろもはや。じゃあ、新しいボールはなんていうんや?」


 楓が新球種スクリューを引っ提げて戻ってきたことは、球界にもファンにも知れ渡っていた。


「そういえば名前、考えてなかったな。そうだなぁ……カエデボール2号!」

「だっっっっっっっっっっっっっさ!!!!」

「うそだ! かっこいいでしょ、大リーグボールみたいで。」

「パクリやんけ!」


 楓も巻き込んだ関西ノリのインタビューに神戸ドームは爆笑に包まれた。

 小谷野監督がつけてくれた名前をいじられながらも、楓はこれでますますチームの一員になれた気がして、心から笑っていた。

 爆笑のうちに大久保のインタビューが終わる。


「つぎは立花選手ですが……もうだいぶ話したからいいですかね。以上、大久保選手と立花選手でした!」

「ちょっとーーーーーーー!!」


 再び爆笑に包まれる神戸ドーム。

 関西のテレビ局のアナウンサーが、地元のノリできれいにインタビューを締め、ドルフィンズは最高のムードで交流戦をスタートさせた。

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