39 きっと強くね
最後数行の予告編のような部分を、プロット修正に伴い若干削除・変更しました(2019年5月23日)。
8回表、わずか1点のリードで、2死満塁。
彗星のごとく現れた女子選手の新セットアッパーは、わずか1か月で撃墜された。
昨年のセットアッパーだったバワードも、今年はだいぶ対策されてしまった。
「短い夢だったな――。」
ライトスタンドに腰掛けたファンの間には、そんな声が響き始めていた。
マウンドに集まる内野陣と河本投手コーチ、そしてベンチを出るホワイトラン監督。
ファンからしても、次に誰を持ってくるのか予想がつかない。
「バワードの後だろ……次、誰だ?」
「もう中継ぎは伊藤くらいしか残ってないぞ?」
「まさかの山内を回跨ぎでいくのか?」
ざわつくスタンドのもやもやとした予想を、場内のスピーカーから流れるウグイス嬢のアナウンスが裏切った。
《ドルフィンズ、選手の交代をお知らせいたします。キャッチャー、谷口に変わりまして、戸高、背番号27。》
《ピッチャー、バワードに変わりまして、立花。ピッチャー、立花。背番号、98。》
まさかのバッテリー交代に、球場全体に動揺が走っていた。
スタジアムには楓のテーマソング、アイドルの松本春香が歌う「Kitto強くね」のサビが流れ、スタンドから大きな歓声が上がる。
楓は、松本春香というソロで活動するアイドルが好きだった。曲も好みだったが、グループアイドル全盛のこの時代で、ソロで勝負することを敢えて選んだ彼女のイズムに自分を重ねていた。
リリーフカーの一段高くなった後部座席で、目深にかぶった帽子で目線を隠しつつ、曲に合わせて歌詞をつぶやく。
〽 Kitto強くね ハジけてみたらね
沈んだ気持ち 奮い立てるよ
心が泣いてたって 上向いて叫ぶんだ
あなたの耳にも 届くから
私はもう ひとりじゃないって気づけたんだ
楓が顔を上げるとほぼ同時に、リリーフカーが止まる。
「ありがとう! いってきます!」
いつものようにチアにそう告げて、楓は小走りにマウンドへ駆け出した。
先に円陣の中に合流していた戸高が、楓を迎える。
「一人一殺、全力でいくぞ。」
「分かってるって。戸高くんこそボール、逸らさないでよ!」
内野陣が守備位置に散った後、戸高は一度楓とグラブをぽんと合わせてから守備位置へ戻っていった。
《バッターは、4番、ライト、福本。背番号8。》
ロイヤルズの4番打者、メジャーリーグ帰りの福本を左打席に迎えた。
左対左。
この1打席を抑えるためだけに、楓は今日のボールを投げる。
(アウトローに、ストライクになるスクリュー)
戸高は初球から新球種を要求してきた。
出し惜しみはなしだ。
キャッチャーミットを一度叩くと、両手を広げる。
(絶対に取ってやるから、しっかり投げてこい!)
正捕手の谷口がやったのと同じポーズだ。
いつの間にか、戸高のリードは谷口と同じくらい心強いものになっていた。
楓はカーブと同じフォームになるように意識してスクリューを投じる。
突貫工事で身につけた球種だが、2週間も休んで特訓した。大学野球部の選手相手に、何球投げたかわからない。小谷野監督も最後は太鼓判を押してくれた。
それに、何より相手にこの球種のデータがない。
「ストライク!」
アウトローいっぱいのところにボールが収まり、審判の右手が上がる。案の定、福本は悠々と見送った後、一瞬驚いた顔で楓の方を見た。これでカウントは0-1だ。
楓は帽子を一度目深にかぶりなおして、うつむき加減で足元の土をならす。
打者の方をもう一度見て目が合いでもしたら、ロイヤルズの縦縞のユニフォームをしっかりと見てしまったら、また手が震えだしてしまいそうだった。
楓はもう一度戸高の手元だけを見た。
(インローに、ボールになるストレート)
戸高のサインに、楓はただ頷いた。
戸高をセットで交代させた監督の目的は、「毎日傾向が違うリードをして、打者を翻弄するため」だ。普通は捕手ごとにリードの傾向があるが、戸高には、楓のリードだけは毎日別人のようなリードをすることを課されていた。
その戸高のリードプランを崩さないためにも、楓は首を振らないと決めていた。
楓が投じた明らかなボール球にも、福本は一瞬ピクリと動いて見送る。
それだけ、データにないボールをいきなり投げたというのは、打者を翻弄する。
「データ野球で対策されたんなら、そのデータ野球を逆手に取ってやるんです。」
戸高がホワイトラン監督に提案した「立花楓再生プラン」の一言目もこれだった。
カウントはこれで1-1。さらに戸高が追い打ちをかける。
(アウトローに、ストライクになるカット。)
さっきストレートを見送ったのは、まだ何か変化球があるのではと疑ったのだろう。
今度は、中途半端な球速のカットボールで、さらに打者を翻弄する。
楓が投じたカットボールを、福本はまた体をピクリと動かしたあと見送った後、一瞬苦笑いを見せた。
「打てるボールを損した」という表情だ。カウントは1-2と追い込んだ。
戸高の中には確信があった。
(自分の中で「1球損した」という感覚なんだろう。そう思ってる限り、ずっと大損させてやるよ、大先輩。)
すかさず戸高は楓にサインを出す。
(インコースに、ストライクになる小さなシンカー)
楓は表情を変えずに頷く。しかし、心の中では戸高の考えをすべて受け取っていた。
おそらく福本さんの頭の中は、きっとこうだろう。
――真っ直ぐのような初動なら、真っ直ぐ、カット、スライダー、シュート、シンカー。
――カーブのような初動なら、カーブ、スクリュー。
――もう追い込まれているから、ある程度ヤマを張るしかない。
――それに対してピッチャーは空振りを取りに大きな変化球を投げてくる。
それなら、2種類あるシンカーで幻惑すればいい。
人間の頭は、仮定の上に仮定を積み重ねると混乱するって、心理学科出身のあかねから聞いたことがある。
きっと、もう的は絞れていないはず。
楓が小さなシンカーを投じると、案の定福本は足を上げた後、いつもより大きなためを作った。体の前で打つのではなく、ギリギリまで見極めたいときの動きだ。
そして、変化をし始めたあたりで球種がシンカーだと分かると、ボールにして空振りを取りに来ると考えたのか、このボールを見送る。
しかし、審判の右手が上がった。
見逃し三振で福本を打ち取り、ドルフィンズは8回表のピンチを切り抜けた。
続く9回裏は、クローザーの山内が1人ランナーを出したが無失点に抑え、ドルフィンズはこの日の乱打戦を制した。
楓には、約1か月ぶりにホールドポイントが付いた。
◆試合結果(5月22日、湘南-大阪10回戦)
大阪 002 111 000 =5
湘南 102 210 00X =6
湘南の継投 斎藤武、神田、大嶋、バワード、立花、山内 - 谷口、戸高
◆◇◆◇◆
楓の電撃復帰は、ドルフィンズに思わぬ副次的な効果をもたらした。
5月22日の復帰以降、チームは2度の4連勝を含む5勝1敗で、6月からのナショナルリーグ×オーシャンリーグ交流戦を迎えるのであった。




