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33 ほころび

4月を3位で終えたドルフィンズは、5月の連休、ゴールデンウィーク真っただ中の連戦中だった。

毎年5月の連休は、多くの観客がプロ野球観戦に訪れる、プロ野球界にとっての書き入れ時だ。


ドルフィンズも例外ではなく、過酷な日程を強いられていた。

楓はゴールデンウィーク9連戦のうち、最初の3試合すべてに投げており、チームはあと6連戦を戦う。

今後の日程は、


5/1(火)湘南ー東京城南(湘南スタジアム)

5/2(水)湘南ー東京城南(湘南スタジアム)

5/3(木)湘南ー東京城南(湘南スタジアム)

5/4(金)大阪ー湘南(笠井寺球場)

5/5(土)大阪ー湘南(笠井寺球場)

5/6(日)大阪ー湘南(笠井寺球場)


本来なら移動日で試合のない月曜日を含めた3連戦に引き続き、さらに6試合を戦う。

前半6試合が地元湘南スタジアムであることは不幸中の幸いだったが、チームが好調であればあるほど、セットアッパーを任された楓の出番は増える。


チーム状況の好調と自分の登板数が比例するこの状況に、楓は燃えていた。


球場へ行く道すがら、声をかけられることも増えた。


「立花選手、昨日はナイスピッチングでした!」

「楓ちゃん! 明日も頼むよ!」


ファンにも、「野球選手」として認知されてきているとわかる。

連投を心配する声もあったが、トレーナーの質問にも、「大丈夫! まだまだ若いですから!」とおどけてみせる楓だった。


この過酷な連戦期間、そのボールを最も多く受けた捕手は、正捕手の谷口ではなく、控え捕手の同期・戸高だった。


楓の登板は、いつも1イニングだった。

おおむね投げるボールの数は20球から30球ほどが多い。

それに対して、登板のために肩を作るために投げるのは、楓の場合多くても50球程度だった。

選手によって肩を作るために必要な投球数は違うが、ホワイトラン監督の指示で「肩を作るための投球数は最小限に抑えるように」と固く言われていた。


続く連投に、戸高だけが楓のボールの変化に気づいていた。


「なんか、変化球全般、曲がり始めが早くなってないか? 変化量もばらつきが出てるし。」


9連戦中の4試合目、現在最下位の東京城南フェニックス戦の試合中に、ブルペンで戸高は楓に尋ねる。ちょうど7回表のフェニックスの攻撃が終わったところだ。

試合は3対1でドルフィンズがリードしている。


◆試合経過

城南 000 100 0

湘南 001 200 


「うーん、そうかなあ。あんまり体感としては感じないけど。」

「それに、球速は変わらないけど、真っ直ぐも手元のノビが悪くなってる気がする。」


戸高なりに、楓のフォームがいつも異ならないかチェックしてみたり、コーチの意見を聞いてみたりするが、少し疲れがたまっているだけで大差ないだろうとの答えが返ってくる。

一抹の不安と違和感を戸高が抱く中、ベンチからの電話が鳴る。


「立花! 次の裏から行くぞ!」

「はい!」


1か月を経過して早くも慣れた8回裏の登板に備えて、肩を作るリズムができ始めている。

肩の消耗を意識した監督命令に従い、いつものように7回裏の自チーム攻撃中に投球練習に入る。


投球練習の時間と球数を制限したのは「肩の消耗を防ぐため」という理由だが、同時に「1球1球を集中して投げる」という副次的な効果ももたらしていた。

まずストレート、カット、カーブ、スライダー、シュート。順番に、指先の感覚を確かめるように丁寧に投げる。

楓の投げたボールは、戸高のミットにいつも通りの音を立て捕球されていく。

それが2周続いた。


それでも、戸高は捕球する度、少し首をかしげては次の球種を要求した。


2種類のシンカーを投げる。

いつも通りの音を立てて、戸高のミットにボールが収まる。

またストレートに戻して順番にボールを投げるルーティンが続くと思われたが、


「もっかい! 大きなシンカー!」


戸高が声を上げた。


「もう1球!」

「大きなシンカー! もっかいで!」


5球シンカーを投げたところで、投手コーチから声がかかる。


「立花! いくぞ!」


どうやら味方の攻撃が、早打ちなうえに3人で終わったらしい。

いつもより短い時間で表の攻撃が終わったため、楓は20球程度を投げたところで、リリーフカーに乗る。


「ドルフィンズ、選手の交代をお知らせいたします。」


場内にアナウンスが流れる。


「ただいまの回に代打いたしました宮城に代わりまして、吉永が入り、ファースト。ファーストのフェルナンデスに代わりまして……」


スタジアムが一瞬の静寂に包まれる。

リリーフカーの少し高くなった後部座席で、このアナウンスを聞く瞬間が一番しびれる。


「ピッチャー、立花。背番号98。」


楓がシーズン前に選んだ自身のテーマ曲がスタジアムに大音量で流れ、観客が大声援を送る。

今年大きく躍進中のドルフィンズに華麗に現れた、女性セットアッパー。

ドラマのような展開に、スタジアムの期待は今日も楓の左腕に集中した。


「ありがとう! いってきます!」


リリーフカーを運転するチアリーダーたちともすっかり顔なじみになった。

今日のリリーフカー担当のチアにグラブをはめた右手を上げてあいさつすると、リリーフカーを降りて小走りにマウンドへ向かう。


「今日も頼むぞ。」


内野陣とともにマウンドで楓を待つのは、河本投手コーチ。

河本からボールを受け取り、簡単な打ち合わせを行う。

8回表のフェニックスの攻撃は、7番打者からの下位打線だ。


「先頭のアレンは長打がある。特に初球注意な。」


谷口と簡単な打ち合わせを行うと、内野陣が守備位置に散っていく。

右打席に7番打者・アレンが入る。

打率は2割台前半ながら、4月だけで4本の本塁打を放っている。下位打線ながら要注意だ。


(インローへ、ストライクゾーンに小さなシンカー)


初球注意と言いながらも、谷口は相変わらずの強気リードだ。

谷口の「ボールになってもいいから、手を出したら凡打になる低めのシンカー」という意図を受け取り、楓は初球を投じる。


ボールはギリギリストライクゾーンを外れる軌道を描き、ホームベースへ向かう。

右打席に立つアレンの左肩がピクリと動くのがわかった。


しかし、インコースのシンカーを悠々と見送った。

アレンは左投手に対してはインコースを得意としており、しかも初球に強い。

このコースなら振ってくるだろうと考えていた谷口も、マスクの向こうで眉をしかめた。


不審に思いつつも、谷口はすかさず2球目のサインを出す。


(アウトコースに、ストライクを取るカット)


これは、できればストライクは欲しいが、様子がおかしいから無理をするなという意図だろう。

楓はいつもより慎重に、ホームベースのアウトコース後ろ側を狙ってボールを投じる。


今度は、アウトコースのストライクゾーンにしっかり入るカットボールになってしまった。


大きく外側へ踏み込んでアレンがバットを振る。

苦手な左投手のアウトコースへ踏み込んだため、フォームを少し崩しながら打つ形になった。


しかし、ボールはぐしゃっと何かがつぶれるような音を立てて、ライト方向へ舞い上がった。

海にほど近い湘南スタジアムの風は、強弱も方角も変わりやすい。

この日はライト方向に強い風が吹いていた。


気まぐれな湘南の風も乗って、アレンの打球はふわりと舞い上がると、落ちてくるそぶりをまったく見せず、ライトスタンド中段にぽとりと落ちた。


下位打線に座った外国人助っ人があげた反撃ののろしに、レフトスタンドのフェニックスファンは大いに沸いた。

これでスコアは3対2。ドルフィンズのリードは1点だ。


たまらずタイムをかけて、谷口がマウンドに駆け寄る。


「ちょっと、球走ってないな……」

「すいません。」

「謝らなくていい。シーズンは長いんだ。シンカー中心に切り替えよう。ボール先行しても、置きにはいくなよ。」

「はい、わかってます。」


手短に、だが適切にアドバイスすると、谷口は守備位置に戻る。

続くバッターは8番キャッチャーの松田。左打席に入るとバットを寝かせて、コンパクトな構えをした。

元々打撃は強くない捕手だが、それにしても現在の打率は.143と不振だ。


(アウトコースに、ボールになるシュート)


バッターは打撃不振の松田。しかも楓に有利な左対左。

先頭打者にホームランを打たれた楓が自分のピッチングを取り戻すためにも、ボールカウントをフルに使ってなんとか抑えておきたい。

そんな谷口の苦悩が伝わってくるようだった。


(谷口さん、すみません。)


謝るなと言われたが、こんな気を遣わせてしまっていることに楓はもう一度心の中で謝罪すると、松田に対して第1球を投じる。


ボールは普段より小さな変化量で、ストライクゾーンにぎりぎり入るコースになった。


松田は一度上げたつま先を、少し驚いたように2回地面についてアウトコースのボールに手を伸ばす。

その不規則な動きを経ても悠々とタイミングを合わせた松田のバットは、ボールを真芯で捉えてサードベース付近を襲った。


谷口に指示であらかじめ2塁寄りに守っていたサードの田村が懸命に横っ飛びをするが、グラブのボール1個先を通って、ボールは3塁線を破っていく。

レフトの宮川が猛然とダッシュして何とか回り込んで捕球し、松田の打球はシングルヒットになった。


打球の行き先を見ていた楓の目には、肩で息をする田村と宮川。


(すみません、すみません。)


心の中で何度も謝りながら、もう一度スコアボードを見る。

もちろん、何度見ても1点差になっているのは変わりない。


無死1塁。1点差。

ここでフェニックスベンチが動く。


「9番、ピッチャー、藤本に代わりまして、小松。」


フェニックスの代打の切り札・小松の登場に、レフトスタンドのフェニックスファンは逆転を期待して大いに沸いた。

楓は救いを求めるように一塁ベンチを見る。


しかし、ホワイトラン監督は微動だにせず、腕組みをしてマウンド上の楓を見つめていた。


◆試合経過

城南 000 100 01

湘南 001 200 0


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