幕間2 番外編・それぞれの旅立ち(2)
シーズンオフの話を別視点で書いています。
飛ばしてしまっても話はつながりますが、流し読みでも読んでいただけると、お話の深みが増します。
3 投手、大久保健之の場合
関西の古豪・名門球団「大阪ロイヤルズ」に高卒で入団してから10年。
ようやくFA権を取得したその時から、行使することは決めていた。
節目となる10年目のシーズンは、3勝4敗6ホールド11セーブ。今シーズンを3位で終えたロイヤルズの中で、セットアッパーに抑えに大車輪の活躍を見せた。
しかし、大久保には仮にロイヤルズが年俸を上げても、他球団へ移籍したい理由があった。
(俺には、やっぱり先発しかないんや。)
中継ぎに転向したのは、2年前のことだ。
それまでは先発投手としてローテーションの一角を占め、最後に先発をした年は8勝8敗で悪くない成績を上げていた。
しかし、ロイヤルズが先発投手を補強し、さらに若手が台頭したことをうけ、先発投手の打ちで中継ぎもこなせる器用な大久保が後ろに回ることになった。
翌年もリリーフで投げてほしいと球団からは言われている。
とにかく大久保にはそれが不満だった。
(チーム事情も分かる。優勝できたら俺もうれしい。せやけど、俺のプロ野球選手としての人生は無視せんでほしい。)
「キャリア」ではなく「人生」と大久保が言うのには訳がある。
一人の時間を大切にしてひょうひょうと生きてきた大久保にとっては、先発投手としての生き方というより、週に1回だけ投げればよいという生活リズムが性に合っているのだ。
シーズン中、週に1度投げる以外はまったくボールを投げない大久保の「ノースロー調整」は球界でも有名だった。
各球団先発の枚数が不足している現状なら、先発でも実績のある大久保がFA権を行使すれば手を上げる球団は必ずあるだろう。
長年プロ野球を中から見てきた大久保健之には、その確信があった。
テレビのスポーツニュースでも、大久保の名前をよく耳にするようになった。
「FA権を行使した大阪ロイヤルズの大久保投手ですが、早速複数の球団が興味を示しています。現在のところ、東京、福岡、神戸の3球団が興味を示しており、大久保投手にコンタクトしているとのことです。」
「それはちょっと、ちゃうんやけどね。」
大阪市内にある、広々とした一人暮らしの高級マンションの一室で、大久保は独り言をつぶやく。
報道されている内容は、真実とは少し違うのだ。
その3球団の前に、FA宣言したその日にコンタクトを取ってきた球団がある。湘南ドルフィンズだ。
昨シーズン、湘南ドルフィンズからは3勝を上げさせてもらっている。その弱さもさることながら、とにかく大久保はもともとドルフィンズと相性がいい。
そういえば、プロ初勝利も、通算50勝目もドルフィンズからだった。
そのドルフィンズからコンタクトが来たのは、至極当然の結果である。今シーズンまでカモにされてきた大久保がFA宣言したのだ。先発の足りないドルフィンズは、大久保を獲得することで、先発の補強と苦手投手の攻略を同時になすことができる。
大久保は、FA宣言した後、コンタクトを取ってきた順に球団と交渉する予定だった。
よく言えば分け隔てなく、悪く言えばドライに人と接する性格の大久保にとって、各球団に「機会の平等」を与えるのは選手として当然の礼儀だった。
その流儀に従い、最初にドルフィンズとの交渉に臨んだ。場所は大阪市内のホテルにある会議室だった。
球団社長の女性と職員の男性を伴って訪れたホワイトラン監督は、開口一番こう告げた。
「大久保さん、我々は本気で来シーズンの日本一を目指している。そのためには、あなたの獲得が不可欠です。」
「あんた、日本語しゃべれたんかい!」
「変人」と評される大久保にとっても、ホワイトラン監督が突然流暢な日本語で話し始めたときのリアクションは人並みにならざるを得なかった。
大久保は、マウンド上でピンチを迎えるとニヤニヤと不気味に笑ってみたり、投げた後に真上を見上げたまま惚けて自分のピッチングに酔いしれてみたり、プレー中の行動については話題に事欠かない投手だ。そのため、インターネット上の掲示板にはいつも大久保のスレッドが上位に表示されている。
しかし、その大久保をもってしても、初手に真顔で突っ込ませてしまうほどの衝撃から、交渉はスタートした。
提示された金額は、契約金1億円、年俸1億2500万円。
悪くない金額だ。
「なるほど。ありがたいお言葉です。ただ、金額だけの話ならおたく以外の球団の話も聞いて、考えさせていただくことになります。何かありますか?」
「逆にですが、希望を聞かせていただけるかしら。」
代わって答えたのは、球団社長の本山奏子と名乗る女性だ。
企業の一流経営者らしいということくらいしか知らないが、この人が社長に就任してから、お得意様のドルフィンズ戦に少し苦戦するようになった。
「そうですね……一人でも楽しめる街に住んで野球しよー思ってまして。ドルフィンズさんの本拠地は、何があるんです?」
この質問には、2つの意図があった。
一つは字義通りの意味。もう一つは、予想外の要望に対して球団がどうこたえるかを推し量るためだ。
この変則的な質問に対して、奏子はつらつらと横浜・湘南地区の魅力を述べた。しかも、「おひとり様」が楽しめるという観点に絞って。
大久保は、まるで学生が修学旅行の予定を聞いているように気持ちが高揚していった。
そして、
「私も『おひとり様』歴は長いもので。だいたいのことは話せるんですよ。」
と奏子は不敵に笑った。
それから、大久保と奏子はおひとり様トークに花を咲かせた。
これまで行った最もハードルの高いおひとり様イベント、一人で行きやすい飲食店、中でも大久保の好きなラーメン屋の話など、契約交渉はそのほとんどが雑談だった。
ちなみに、おひとり様イベントの話は、奏子が行った「おひとり様結婚式」が突出しすぎていて、大久保はただただ感服したのだった。
その後、大久保はさらに3球団との交渉を行い、最後に古巣ロイヤルズとの交渉を行った。
東京 契約金2億円、年俸1億5000万円
福岡 契約金2億円、年俸1億6000万円
神戸 契約金1億5000万円、年俸1億2500万円
大阪 契約金1億5000万円、年俸1億3000万円
条件では、東京と福岡が抜きんでていた。
すべての交渉を終えた大久保は、その日のうちに結論を出し、4球団に連絡を入れた。
ほどなくして、全国のテレビに緊急ニュース速報が流れた。
「大阪ロイヤルズの大久保健之が、FAで湘南ドルフィンズへ移籍」
総勢5球団の取り合いを制したのは、優勝と日本一から最も遠いドルフィンズだった。
このニュースは言うまでもなく世間を驚かせた。
後日開かれた入団記者会見で、入団理由を聞かれた大久保は、
「いやー、やっぱラーメンの中で、家系が一番好きなんすよねえ。」
とマウンドさながらのニヤニヤ顔で答えた。
インターネットの掲示板では、大久保のニックネームが「変人」から「変態」に変わった。
4 新たなるシーズン
湘南ドルフィンズの新シーズンは、ドラフト獲得選手以外に新たに4人の新戦力を迎えることになった。
あるスポーツ新聞の新戦力紹介欄に記載された記事内容はこうだ。
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神田了悟投手
東京タイタンズから人的保障で移籍してきた左の中継ぎ投手。左ひじの遊離軟骨手術後は制球に難があるが、その球速は故障前から衰えず。
新天地ドルフィンズで再起を誓う。
マイク・ダグラス投手
メジャーリーグ球団オークランドから獲得。右の先発投手として実績を有する。重い直球と鋭いスライダーで押すタイプのパワー投手。ドルフィンズで足りない先発の穴を埋めるべく入団。
大久保健之投手
FA宣言により大阪ロイヤルズから入団。入団理由は「家系ラーメンが好きだから」。ひょうひょうと打者を交わす投球術で先発投手としての再起を目指す。
アンディ・ボルトン外野手
メジャーリーグ球団フロリダ傘下3A出身。右投げ右打ち。長打力にはやや欠けるが、俊足巧打と勝負強さが武器。
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新選手を獲得し、ドルフィンズは春季キャンプを迎える。




