21 サイレント・ダイアログ
新人自主トレで行うフリーバッティングの形式はこうだ。
鈴木→グスマン→楓の順に、戸高がマスクをかぶり、高橋に投げる。
次に同じ順番で、今度は谷口がマスクをかぶり、戸高に投げる。
これで2人の打者と3人の投手が対戦するという方式だ。
まず、戸高がマスクをかぶって、鈴木とバッテリーを組む。
最初に投げる鈴木祥万は、社会人出身の右腕で、先発候補として指名された。
MAX149km/hの速球と、スライダー、フォークの3種類を中心に組み立てる、いわゆる「右の本格派」というやつだ。
簡単な打ち合わせをした後、高橋が右打席に入る。
対する高橋紘一は、甲子園でベスト8に進んだ高校の4番打者で、内野もショート以外全部守れるという素質あふれる高卒新人だ。
戸高が慎重にサインを出し、鈴木がうなずく。
初球、アウトコースに直球 ――ストライク 0-1
2球目、アウトローにスライダー ――ボール 1-1
3球目、インコースにツーシーム ――三塁方向へ強い当たりのファウル 1-2
4球目、インコースにフォーク ――一塁後方へぼてぼてのファウル 1-2
5球目、アウトコースにフォーク ――空振り
最初の打者、高橋を鈴木は見事に空振り三振に打ち取った。
次はグスマンがマウンドに上がる。
グスマン真は、身長189センチの長身から投げ下ろす147km/hの速球が武器の右投手で、武器になる変化球はこれと言ってないが、スローカーブとチェンジアップを織り交ぜた緩急あるピッチングを得意としている。
今後プロで生き残っていくためには、新たに変化球を習得することが急務だろう。
しかしこの直球だけは、十分プロで通用するレベルだ。
初球、アウトコースに直球 ――三塁方向へファウル 0-1
2球目、アウトコースにカーブ ――見逃してボール 1-1
3球目、インハイに直球 ――見逃してボール 2-1
4球目、アウトローにチェンジアップ ――振り遅れ気味のファーストゴロ
人数の都合で守備を付けていないため、ボールは転々とファーストベースの後ろまで転がって止まった。
グスマンも見事に高橋を打ち取った。
高橋は一瞬明らかに悔しそうな顔をしたが、すぐにそばで見ていた谷口に駆け寄ると、今の2打席のアドバイスを乞うていた。
高卒ルーキーでもこういう貪欲な姿勢はさすがだ。
そして3人目、楓がマウンドに上がる。
前の2人と同様に、戸高がマウンドでサイン決めと軽い打ち合わせを行う。
その間も、ずっと戸高は下を向いてぼそぼそと小声でサインについて話していた。
「ええと……じゃあこれが真っ直ぐで、これがカット。カーブはこれで、シュートはこれ。そんで大きいシンカーがこれで、小さいシンカーがこれで。」
挨拶は無視するのに、私の持ち球を全部覚えてきていたのか。
私に興味があるのかないのかわからない人だな。
さて、そんなわからない人は、初球にどんなサインを出してくるのか。
(アウトローに、ストライクを取りに行く真っ直ぐ)
さっきから初球絶対アウトコースから入るんだな。セオリー大事にする派?
まあいいや、言われた通りに投げてみましょう。
左のアンダースロー投手特有の、右打者の遠いところからストライクゾーンをかすめるストレートが放たれる。
ボールがベースに近づく瞬間、右打席の高橋が前に出した左足を、バッターボックスの線からはみ出そうなくらいに踏み込んで外に打つ。
鋭いボールがファースト後方をライナーとなって襲い、外野を転々としてファウルラインあたりで止まった。
これは文句なしのライト線ツーベースだ。
高橋と楓の勝負は、たった1球で高橋に軍配が上がった。
この勝負の結果は、楓にとって不服ではなかった。
他の2人も立派なプロ野球選手だという認識でいたからだ。
自分のボールがまだまだだった。ただそれだけのことだ。
やっぱり真っ直ぐは簡単に打たれないように、対策しないとなあ……。
そんな反省を込めながら、楓は一度マウンドを降りる。
今度は、戸高が左打席に入り、谷口がマスクをかぶる。
六大学三冠王の戸高だが、鈴木はスライダーとフォーク中心の投球で的を絞らせず、セカンドフライに打ち取った。
そしてグスマンは、初球のストレートを痛打されたが、高く上がったボールはギリギリセンターのフェンス前で力なく落下した。
実際の試合ならおそらくセンターフライだろう。
そして、再び楓の番が回ってきた。
マウンドに駆け寄って谷口が一言。
「この前の感じで行けばいいから。」
とだけ告げて戻っていった。
なんだか私だけ雑に扱われている気がする。
少し口をとがらせながら、楓は谷口の初球サインを覗き込む。
(アウトコースのストライクゾーンに、小さなシンカー)
はいはい。この前の感じね。
楓の放ったボールは、アウトコースに大きく外れる軌道から、左打者のアウトコースにギリギリ外れるかどうかという場所へ変化する。
それを戸高はヒッティングに来るが、バットの先にあたった打球は力なく三塁方向のファウルグラウンドに転がる。
カウント0-1。
楓自身も、谷口同様、「バッテリーだけの無言の会話」というものができるようになってきていた。
(インハイに、ボールになる真っ直ぐ)
なるほどね。と心の中でつぶやいた後、戸高の目線付近に大きく外れるストレートを投げた。
これでカウント1-1。
2球目を見送るときの戸高は、まったくのけぞることもなくこれを見送った。
その貫禄たるやさすが六大学三冠王だ。楓も思わず気を引き締めて、3球目のサインを覗き込む。
(インコースに、ストライクからボールになる大きなシンカー)
おそらく、谷口さんの意図はこうだろう。
1-1で、通常の投手としてはバッティングカウントにしたくないという意図で、ストライクゾーンにボールを投げてくる、と打者は読む。
それを逆手にとって、空振りかファウルでカウントを稼ぐ。
しかもここで決め球の大きなシンカーを使ってしまうことで、投手は三振を取りに行きにくくなると思いきや、打者としては余計に次のボールが読みにくくなる。
ってことでしょ? 谷口さん。
2回目にして日に日に谷口とバッテリーの意思疎通ができる気がして、楓は少し口角を上げてマウンド上で微笑んだ。
そして投じた3球目、楓のシンカーは戸高のバットを少しかすめた音を立てた後、谷口のミットに収まった。
これでカウント1-2。さーて、追い込んだ。
ここからが本番だ。
六大学三冠王の戸高はあらゆる場面で死角なしと言われてきたが、そのゆえんの一つが追い込まれてからの土俵際の強さだ。
きわどいボールはほとんどファウルで逃がして、甘く入った球を痛打する。この打撃で多くの投手がその膝をマウンドの上についてきた。
(アウトコースに、ボールになるシュート)
これはどういう意図だろう? いったんうなずいた後、セットポジションのまま楓は思いを巡らせる。
ボール球はあと2つ投げられる。ということは、次の球のための布石?
いや、戸高相手に谷口さんが遊び球を投げさせるとは考えられない。求められているのは、打ち取れるシュートだ。
だとしたら。
楓はここぞとばかりに地面を這うように体を沈み込ませ、いっそう低いところからボールをリリースする。
地を這うようなボールがアウトローのストライクゾーンギリギリに向かっていき……打者の手元でボール1個分ゾーンの外へ外れる変化をする。
戸高はすでにバッティングモーションに入っていた。
思い通りのコースにボールが行き、打ち取ったという確信を得る楓。
しかし、戸高は無理やり腰を上にひねるようにしてバットを止めた。
あのスイングスピードで打ちいって、あのタイミングでバットを止めるのか……。
やはり生半可な変化では打ち取れない。恐るべし、三冠王。
これで2-2の平行カウント。
普通の捕手なら、ここでサイン悩むところだ。
だが、何の迷いもなく、小気味よいテンポで次のサインが谷口から出る。
(インコースに、ストライクになるまっすぐ)
なーるほど。
この人、本当に性格が悪いなあ。誉め言葉だけど。
さっきのシュートを見せておいて、「次は振る」と思った投手がインコースに同じ球を投げるのを装うわけね。
楓は谷口の意図を理解すると、さっきとまったく同じフォームから、少しだけ指先の力を緩めたストレートを投げる。
今度は一瞬体を動かすのが遅れた戸高のバットが空を切った。
「うーん、文句なし。ナイスピッチ。」
捕球した瞬間、独り言のようにつぶやく谷口。
一方、125km/h程度の直球に三振を喫した戸高は、思わず無言で天を仰ぐ。
「戸高くん、これが『大人のリード』ってやつよ。」
したり顔で戸高の方を向くと、「勉強になります……」とだけつぶやいて、トボトボとベンチへ引き下がっていった。
そのあと、休憩を兼ねて簡単な反省会とクールダウンをした後、この日は解散になった。
約2名を除いては。
戸高は谷口にひたすら説教をされていた。それも結構厳しい口調で。
ドラ1位で入って、自主トレ初日にこんなに先輩に怒られたら、さすがに誰でもへこむだろう。
厳しい口調で話し慣れていないせいか、一方的に話す谷口の声はダグアウトの方に漏れ聞こえていた。
「教科書通りのリードしてたらどんなエースでも打たれるぞ。ロボットかお前は。」
「鈴木とグスのときもそうだが、楓ちゃんのリード。あれはひどいね。悪いリードのお手本集めてもあんなひでぇリードできねーよ。」
いつの間にか陰で「楓ちゃん」と呼ばれていたことにも驚いたが、それ以上に楓が驚いたのは、ドラ1ルーキーへの人格全否定パワハラ指導だ。
厳しい口調でなされる指導に対して、「はい……」、「すんません……」とひたすら述べるだけの戸高。
この人、もしかしたら明日来ないかも。
そんなことを考えつつも、ずっと聞いているのも悪いような気がした楓たち新人一同は、足早に球場を後にしたのだった。




