20 プロ野球人生、スタート
奏子たちに連れられて訪れた記者会見場には、多くのマスコミが来ていた。
部屋に入る瞬間からたかれる無数のフラッシュと、鳴り響くシャッター音。
契約から会見までの間で、あからじめ用意されていたユニフォームに着替えた楓。
夢にまで見たプロ野球のユニフォームだが、こうもバタバタとしたスケジュールの中では感動している暇などなかった。
すでに待機していた5人の選手たちの視線が楓に注がれる。
やはりユニフォーム姿の女子選手というのは目立つ。
記者席に向かって、左からドラフト指名順に並んで座る。
1位指名 戸高一平・大卒・捕手・背番号27
2位指名 鈴木祥万・社会人・投手・背番号22
3位指名 立花楓・大卒・投手・背番号98
4位指名 グスマン真・高卒・投手・背番号59
5位指名 高橋紘一・高卒・内野手・背番号61
ちょうど楓が真ん中の席に座る形になった。
記者の質問は、もちろん7球団競合の大型新人である戸高一平に集中する。
「今シーズンの目標は?」
「まずは1試合でも多く使ってもらえるよう、しっかり練習とアピールをしていきたいと思っています。」
「大学ナンバーワン右腕の呼び声が高いタイタンズ川中投手は、対戦したい打者に戸高選手を上げていますが?」
「僕自身も対戦は楽しみにしています。ただ、まずはチームに貢献することが目標です。」
例年通り、期待の選手が答えるテンプレのようなやりとりが続く。
楓には、やはり女子選手に対するテンプレのような質問がなされたが、事前に球団職員に用意されていたQ&Aシートがあったので、そつなく答えることが出来た。
そして、最後に記念撮影をして、記者会見は終了となる。
「では、監督を中心に、新人選手の皆さんで手を合わせてください。」
そう司会に促されて、監督を中心に新人選手が扇状に並び、手をベルトの高さあたりにまっすぐ伸ばして半円の円陣のような形になる。
途中、楓は一つの異変に気付いた。
写真撮影はある程度の時間がとられるため、手持無沙汰になった他の新人選手は、目を合わせて楓に話しかけてきたりする。
内容は新人同士の雑談程度のものだ。
しかし、戸高は一切楓に話しかけないどころか、目すら合わせようとしない。
思い切って、楓の方から話しかけてみることにした。
「これから、よろしくね!」
その言葉に対する対応は、驚くべきものだった。
なんと戸高は目をそらして、何も返答しなかったのだ。
多数の記者の声とシャッター音が響く記者会見場だが、この距離で声が届かないということはない。
楓には、その意図は不明でも無視されたことは分かった。
悶々とした気持ちのまま記者会見を終えた楓だったが、その後の日々は予定がぎっしり詰まっており、気にしている暇のないものだった。
他の選手よりも予定が多いのは、一応女子選手だからなのだろう。
カレンダーの撮影、球団サイト用の動画撮影、テレビやラジオ出演。
楓は慣れない露出の仕事に目が回りそうになりつつ、「広報の仕事はほとんどない」といった奏子を少し恨んだ。
まあ、球団によっては水着写真の撮影があるらしいと聞くから、それがないだけまだましなのかもしれない。
そんな目まぐるしい日々を経て、新年を迎えた1月、新人選手たちは合同自主トレに入った。
場所はドルフィンズ2軍グラウンド。
毎年、新人選手の親睦を兼ねて、2軍グラウンドを提供してくれており、指南役のベテラン選手とともに新人選手は自主トレを行うのだ。
プロ野球選手として迎えた新年が、楓は待ち遠しくて仕方なかった。
年末から、遠足に行く前の小学生のように、グラブを磨いてみたり、スパイクの金具を付けては外してみたり、落ち着かない様子だった。
ただ、それが家族には本当にほほえましく見えたようだ。
実家に帰ってきていた3人の兄たちは、それぞれ一緒に道具の手入れを手伝ってくれたり、野球談議の相手をしてくれたりしていた。
一人娘の夢がかなった両親は、その姿を見ては毎日のようにうれし涙を流した。
そんな家族の様子を見て、楓はようやく夢をかなえた実感を徐々に得ていくのだった。
そして迎えた自主トレ初日。
楓は開始時間である朝9時の2時間前、7時にはグラウンド入りし、外野の外周を走っていた。
高校の時からいつも続けてきた日課だ。
体格的に恵まれない女子選手は、スタミナが不安視されることが多かった。
しかし、それでもどうしても大学野球で先発投手がやりたかった楓は、高校時代から練習開始の2時間前に来て外周を走り続けたのだった。
その成果もあり、安定した下半身から放たれるボールはキレを失うことがなく、大学では3年時から先発経験をさせてもらった。
4年の時には、ローテーション入りも果たし、3勝を挙げることが出来た。
結果的に、そのときのVTRがホワイトラン監督の目に留まり、こうしてドルフィンズ球場の外周を走っている。
プロの練習場であるためか、楓はいつものように走る外周もなぜか走りやすく感じていた。
「おお、早いね。」
練習開始30分前、他の新人選手よりも早く来たのは、背番号12、須藤克博投手だ。
須藤は社会人時代にドラフト3位でドルフィンズに入団し、プロ9年目を迎える33歳のベテラン投手だ。
MAX132km/hと、現代のプロ野球ではかなり遅い直球で、決め球もないが、打者の裏をかく老練なピッチングで昨季も5勝7敗という成績だった。
今年の投手側の指南役は須藤が務めることになっていた。
「おはようございます!」
プロになって最初の挨拶は、できる限り大きな声ですると決めていた。
早朝の透き通るような空気に、楓の声がこだまする。
「うん、おはよう。元気いいね。」
「ありがとうございます!」
そういうと、須藤は楓を誘って柔軟体操を一緒に始めた。
そしてまた一緒に外周を走る。
「実はね。俺も入団してから毎日この外周を走ってるんだよ。」
「知ってます。『須藤ロード』ですよね。」
「はは……ロードなんて大したものじゃない。そうしないと、人並みでいられないだけだよ。」
ドルフィンズ球場の外周には、外野の一番外側に芝生が剥げて土があらわになった部分がある。
通称「須藤ロード」。
ルーキー時代の須藤が、2軍選手時代に毎日外周を走ったため、そこだけ芝生が生えなくなったのだ。
楓が走りやすさを感じたのも、むき出しになった土の上を走っていたからかもしれない。
社会人で活躍した男性選手でも、プロの投手として「存在」し続けるためにはこれだけのことをしなければならない。
その事実は、楓の気を一層引き締めた。
そうして外周を二人で走るうち、約束の9時少し前になると新人選手と、野手指導役の谷口繁捕手がグラウンドを訪れた。
今年の新人野手は、捕手の戸高と内野手の高橋だけなので、谷口が指導役を買って出たらしい。
1つしかない捕手というポジションを争うライバルに、新年早々から直々に指導しようというのだから、谷口の器の大きさがうかがえる。
さすが「ドルフィンズ一筋・ミスタードルフィンズ」である。
今日、楓はもう一つ決めていたことがあった。
戸高に、もう一度大きな声で挨拶をしてみること。
「戸高くん、おはよう!」
真っ先に駆け寄ると、さっきよりも大きな声をかけた。
戸高の背中がびくっとうごいて、肩越しにこちらを見る。
「ああ……おはよう。」
そういうと、走り込みにいってしまった。
確信した。やっぱり、なぜか避けられている。
他の選手たちとは、楓は早くも打ち解けていた。
投手メニューをこなす間も、他の新人投手と談笑しながらキャッチボールをしたり、他の野手に打撃投手をするときも、宣言したボールと違うボールを投げてはふざけあってみたり、早くもチームメイトといった雰囲気になっていた。
だが、戸高だけはどうも歯切れが悪い。
他の選手と話すときも、大声で笑ったりするようなことはないが、多少にこやかに話したりしている。
しかし、相変わらず楓には目も合わせないのだ。
さすがに、高卒新人のグスマン真が小声で声をかけてきた。
「立花さん、戸高さんと仲悪いんすか?」
「いや、それが私にもさっぱりで……。」
「じゃあ、俺が聞いてきます!」
「は?!」
楓が次の言葉を発する前に、高卒ルーキーらしい全力ダッシュでグスマンは遠くの戸高の方に駆けていった。
沖縄育ちでハーフのイケメン、おまけに性格までさわやかなグスマン少年は、どうやら人を疑うということと人に気を使うということを海の向こうに置いてきてしまったらしい。
大学時代の川中を思い出すような裏表のなさに、楓は「またこのタイプか……」と頭を抱えた。
「戸高さん、何でもないそうです!」
再び全力ダッシュで戻ってきたグスマン少年、陸軍の一兵卒のように直立不動で答える。
高校野球の伝令じゃないんだから……。
「そう……ありがとう。」
苦笑しながら楓も答える。
そこへ、全員を集める声がかかり、谷口が新人たちに声をかける。
「じゃあ、今年はちょっと早いけど、親睦を兼ねて軽くフリーバッティングやってみようか。」
こういうもやもやは野球で晴らすのが一番だ。
大学ナンバーワン打者の戸高とマウンドで向き合えば、何か彼のことがわかるかもしれない。




