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19 プロになるということ

いつも読んでくださる方、ありがとうございます。

感想やブックマーク励みになっております。

シーズンオフ11月。

ストーブリーグ最大のイベント、ドラフト会議が終わり、世間の注目はFA、外国人選手獲得、そして契約更改に集まる。

新人選手の契約金の額もその話題の一つだ。


ドラフトで指名を受けた楓もドルフィンズから契約交渉の場に呼ばれた。


楓の契約交渉日は11月28日。

新人選手としてはかなり遅い方だ。

それまでの間、他のドルフィンズに指名された選手のニュースが目に飛び込んでくる。


他の選手が契約していく姿をニュースで見ると、まだ契約していない自分だけ、実は契約してもらえないのではないかという不安に駆られてくる。


そんな中、楓はスマートフォンで見た見出しに驚いた。


『湘南・江川希、300万円アップの1500万円で一発更改』


ドルフィンズは希との契約を更改した。

いよいよ自分は契約がないのではないかという不安が大きくなった。


記事を見ると、希のコメントが掲載されていた。


『実のところ、今年は戦力外かと思っていました。理由は皆さんがご想像の通りです。でも、300万円アップという提示を頂き、ありがたく思っています。来年も全力でチームのためにできることを頑張ります。』


満面の笑みで希の写真が記事に掲載されている。


そこへ、楓のスマートフォンに登録されている、奏子の番号から着信が入った。

「やっぱり契約は無しで」という電話だろうか。

おそるおそる電話を取る。


「契約日だけど、約束の1時間の契約の後、新人全員でお披露目会をするから、夜もあけておいてね。あと念のためだけど、印鑑は忘れないように。」

「は、はあ……」


意外な内容に、気の抜けた返事をする楓。

ドルフィンズは、希と楓、両方と契約するということだ。

先日の「左のセットアッパー候補を期待している」という監督の電話は本当だった。


11月28日13時30分。

期待と不安が入り混じる気持ちが楓をはやらせ、約束の時間の30分前には横浜市西区にある球団事務所についていた。

事務所の会議室に通されると、出迎えたのは意外な人物だった。


「「あ――」」


希と楓は、お互いの姿を認めると言葉を一瞬失い、しばしの沈黙が流れる。


「その……この間は、ごめんなさい。」


先に口を開いたのは希だった。


「私自身、後がないと思ってた。でも、私もしばらくはドルフィンズの選手でいられるみたい。この後の記者会見、私が司会をすることになってるから、その……改めてよろしくね。」

「いえ、私もなんていうか、デリカシーなくて……希さん、ごめんなさい。」

「ううん、もうチームメイトなんだから、“希”でいいよ。同い年なんだし。」

「じゃあ……私も“楓”で……」


応接ソファに向かい合う形で座り、喧嘩した後のカップルのようなぎこちない会話を交わした後、再び流れる沈黙――。

その沈黙の気まずさを解きほぐすのは、やはり“先輩”だと考えたようだ。


「楓は3位指名。戦力として考えてるっていう話を監督から聞いた。」

「うん……。」


前回の反省から、再び口火を切った希に対して慎重な返答をする楓。

先輩らしく、それに動じることなく優しい口調のまま希は言葉を続ける。


「それを聞いて、やっぱり悔しいっていう気持ちになったのは本当。私だってマスコットみたいな仕事がしたくてプロに入ったわけじゃないから。やっぱり野球が好きだし。だけどね……私も楓のおかげで、諦めるつもりはないって思ったの。」

「諦める?」

「いつのまにか、私は現状に甘んじてた。『こんな役回りだけど、プロになれただけまだ幸せだ』って。だけど、楓を左の中継ぎ候補として取った監督と奏子さんの話を聞いて、私もまだあきらめたくないんだって気づけた。だから……」


そういうと、真っ直ぐと楓の目を見つめる。


「ありがとう――。」


ドキリとして楓は思わず赤面しながらうつむいてしまう。

さすがマスコットも務まる女子選手。こうして見つめられると、同性でもあまりのかわいらしさにたじろいでしまう。


「い、いや……私は……そんな……まだ活躍できるって、決まったわけじゃないし……」


たじたじなる楓の方を見つめたまま、さわやかで覇気のある声が会議室に響く。


「だから、今日から私たちはチームメイト!ポジションも違うし、一緒に日本シリーズのグラウンドに立とう!」


日本シリーズ――その言葉に楓は前に向き直る。


「うん!」


内野手と投手。希と楓は、これからは異なるポジションで日本一を目指すチームメイトなのだ。


「でも……」


希は、壁に張られた順位表と「Never giveup」と書かれた標語に目を向けると、照れたような笑いを浮かべながら言う。


「まずは、クライマックスかな?」


チーム事情を皮肉ったコメントで声を出して笑いあう2人の姿は、さながら来シーズンに再起をかけるチームメイト同士だった。


ナショナルリーグとオーシャンリーグからなる日本プロ野球は、リーグ戦方式の143試合を戦った後、1位から3位のチームでトーナメント形式の「クライマックスステージ(通称CS)」を戦う。

そして、そのトーナメントで優勝したチームが、リーグの代表として日本シリーズを戦うのだ。


圧倒的最下位のドルフィンズは、まずは日本シリーズではなくCS出場を目指す。

なんともチームメイトらしい目標設定である。


そこへ、ホワイトラン監督と奏子、そして球団職員が入ってくる。


「あら、さっそく仲直りしたみたいね。前もって江川さんに来てもらっていてよかったわ。」

「奏子さん!それ内緒って言ったはずじゃないですか!」

「そうだったかしら?ごめんなさいね。最近忙しくてあまり人に気を遣えないのよね。」


打ち解けた様子で奏子が希と話した後、楓の方に立ったまま向き直って言う。


「では、これからあなたの契約についてお話しします。」


希が出て行った会議室で、楓と向き合う形で左から球団職員、奏子、ホワイトラン監督が並んで座る。3人ともスーツ姿なのが、オフィシャルな場特有の緊張感を醸し出す。


「まずは――」


と言って、球団職員が楓の前に1枚の紙を切り出す。


そこには、


契約金 金2500万円也

年俸  金660万円也


と書かれている。


「こちらが、球団から提示させていただく金銭面の条件です。」


球団職員から告げられるまでもなく、自分の年俸であることは分かった。


実は660万円は支配下登録する選手の最低保証年俸額なのだが、楓は金額に構わずサインをすると決めていた。

プロになれる。それだけで十分だった。


「それから、あなたの背番号候補なのだけど、希望を教えてくれるかしら。」


奏子が言うのに合わせて、もう一枚の紙が提示される。


そこに書いてあった数字は、00から99までの空き番号が羅列されていた。

中には15などの若い番号もある。

希望を言うだけならタダである。


「じゃあ……98でお願いします。」


楓は控えめすぎる、ともすれば監督やコーチなどの首脳陣がつけるほど後ろの番号を選んだ。


これには少し驚いた様子を3人が見せた。

10番台の若い番号に対して控えめになるには分かるが、ここまで控えめな番号を希望するとは思わなかったのだ。

奏子が尋ねる。


「興味本位で聞くのだけど、なぜ98なの?」


楓がこの番号を選んだのは理由があった。


プロ野球では、若い番号は花形選手のものだ。他方、99番というのは他球団を戦力外になったりした、いわばこれ以上後がないが、ある程度のキャリアがある選手がつける。

私はそのどちらでもない。

だけど、私は女子選手という体格的なハンデを背負って、戦力候補としてプロの世界に入る。

『あと一歩で後がないところまで追い込まれるところから、プロ野球人生がスタートする』という意味を込めて、98という番号を選択したのだ。


「なるほど、あなたらしいわね。」


そういって奏子は微笑む。

それから、目の回りそうな文字数の契約書を見せられ、読み合わせが始まったが、国語の成績が3を超えたことがない楓の記憶はほとんどなかった。

目まぐるしく左から右へと流れていく文字の台風にへとへとに疲れたころ、ようやく契約の手続きが終わり、双方契約書に押印した。


「じゃあ、これから記者会見場に行くから、ついてきて。江川さんが先に行って待ってる。」


奏子が言う。

だが、楓にはまだ聞き残したことがあった。


「あの――」


手元の書類を片付けて引き上げようとする奏子に尋ねる。


「どうして、私を指名したんですか?」


対面でもう一度聞いておきたかった。現実のものであると、どうしても確認したかった。

口角を少し上げて、すべて察したような顔をすると、奏子は楓の目を真っ直ぐに見て言う。


「監督からも話があったと思うけど、私たちはあなたを左の中継ぎとして取った。将来は変則型の左のアンダーとしてセットアッパーを目指してもらいたいと思っている。一応、江川さんみたいな広報の仕事も入るかもしれないけど、ほとんどないと思ってくれていいわ。」


楓はようやくプロになるのが現実なのだと確信して、目を輝かせる。


「でも、どうしてそんなに疑問なの?私たちは3位であなたを指名したのに。」

「だって、女子選手って普通かわいい女子高生しかなれないし……」


それを聞くと、これまで聞いたことがないほど大きな声で奏子が爆笑した。

笑い疲れるほど笑うと、まだ笑いをこらえきれない様子で言う。


「そもそも、アイドルみたいな子を指名したいなら、あなたは指名しないわよ。顔も別に整ってないし、喋りがうまいわけでもないし……おまけにメイクの技術はリトルリーグ以下だし。」


女性社長がいるこの球団のセクハラはどうやら伝統芸能らしい。

これでこの球団からセクハラを受けるのは3回目だ。


「自信を持ちなさい。私たちは、あなたの投げるボールに契約金2500万円を支払うの。」


嬉しい……!

これまで野球をやってきて一番うれしい言葉かもしれない。

さっきのセクハラはなかったことにしよう。


「さあ、わかったらさっさと移動するわよ。」

「はい!よろしくお願いします!」


すべての不安が晴れ、楓は足取り軽く記者会見場へ向かう。


立花楓、背番号98、投手、年俸660万円。


一人の“プロ野球選手”の人生が幕を開けた。

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