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18 指名の理由

タクシーが大学に着いたのは、会見の予定時間の1分前だった。

楓は慣れないパンプスとスーツ姿で、会場となる太平洋大学の会議室へ。

大学女子選手初の指名、それも3位。

記者や大学職員、そしてチームメイトに大歓迎されることを否が応でも期待してしまうが、一生に一度の指名記者会見。楓も気合が入っていた。


「すみません!遅くなりました!」


引き戸を大きな音を立てて開けながら会場に駆け込むと、一瞬の静寂。

全員が見つめたあと、会場を爆笑が包んだ。


大声で笑うあかねやチームメイト、口元を押さえて笑いをこらえようとする大学職員と記者たち。


「楓…かお!なにそれ!かお!」


まだ笑いながらあかねが楓に寄って来る。


大学生活は毎日すっぴんですごしていた楓。しかも、もともと自分の容姿に自信はない。

これまでプロ野球の世界に入った女子選手たちは、みな容姿に恵まれた人達だった。記者会見のときも、ほとんどの選手がメイクをしていたし、していない選手もメイクしなくてもテレビ映えするような華やかな顔立ちだった。

自分だけダサいすっぴん姿で写りたくない。

せっかくの晴れの舞台に舞い上がってしまい、急いでメイクしてきた顔がどうやら滑稽だったらしい。


実際のところ、楓の顔は塗りすぎたファンデーションとチーク、手先の不器用さを表すように大きはみ出したアイラインとアイシャドウで、化粧を始めたての女子のメイクの中でも大失敗の部類に入る出来だった。


「お前、おてもやんみたいじゃねえか。」


自分も記者会見のために来ていた川中が、笑いをこらえながら話しかける。

さっきのネット中継でも見たが、相変わらずこいつのニヤニヤ顔はムカつく。

でも、川中なりにただの笑い者に楓をしないように、あかねと一緒に「仲間内の空気」を作って記者にプレッシャーをかけたのだ。

そのことくらいは楓にもわかっていた。ちょっと感謝している。


「サイアク……」


楓はそう呟くと、うつむいた顔を上げぬまま川中に連れられて、記者たちに向かい合うテーブルについた。

長テーブルと一緒にセットされたパイプ椅子に、記者から向かって左から大学野球部の監督、川中、楓、大学職員の順に座る。


先ほどの笑いが嘘のように、真剣な雰囲気で記者会見が始まる。

大学職員から、「はじめにタイタンズ1位指名の川中に、その後ドルフィンズ3位の立花という順でご質問をお願いします。」と手順を説明する。


「川中選手、まず率直にお聞きします。タイタンズからの指名ですが、入団はされますか?」

「はい、もちろんするつもりです!今シーズン日本一のタイタンズからの指名を光栄に思います。」


「プロ野球での目標を教えてください。」

「まずは、チームに貢献することしか頭にありません。どんな場面でも使っていただければ投げる覚悟です。」


こいつ、これも用意して来たな……。

川中は気のおけないところがある憎めない友人だが、どうもマスコミに接するときにすぐ格好を付けるところがある。

その様子をいつも楓は「キモい」「ウザい」と評するのだが、川中は「見た?昨日の俺のインタビュー」などとうそぶくのだった。


「これからはプロ野球選手ということですが、対戦して見たい打者はいますか?」

「そうですね。やはり湘南に入った戸高選手とは対戦してみたいですね。大学時代は練習試合でしか当たったことがないので。」


同じルーキー同士の名前を出せば角が立たないあたり、そつがないコメントを重ねる。


「まだ若い川中選手ですが、プロ野球選手として伴侶にしたい女性のタイプなどはありますか?」

「……へ???」


突然の予想外の質問に、固まる川中。


「い、いやいやいやいや!そそそそそんな結婚とかはまだぼぼぼぼ僕は……」


はい出ました。川中くんのテンパり病。

想定通りの場面ならいつもそつなく抑えるくせに、予想外の作戦を仕掛けられるとマウンドでもいつも独り相撲を始める。

帝都大学リーグでも、セーフティバントにスクイズ、エンドランにディレードスチール。川中に対しては各チームが精神的な揺さぶりに来た。


それにしても、こんなにわかりやすく動揺するのだから面白い。

さっき自分のメイクを笑った川中が動揺する姿を見て、楓は少し溜飲が下がる思いだった。


「例えばですが、隣にいる立花選手とかはどうですか?」


どう考えても意地の悪い質問をしたのは、東洋スポーツの腕章をつけた記者だ。

東洋スポーツはスポーツ新聞社の一つだが、芸能人のゴシップ記事もたくさん載せる会社で、スキャンダル記事などは大好物だという。


よりによって笑われるようなメイクをして来た日にこんな質問をするのは、楓にとってはいい迷惑以外の何物でもなかった。


「えええええええ?!?!たっ立花はチームメイトですし!こういう女っ気がないのじゃなくて、そう!女子アナ!女子アナがいいです!例えば芙蓉テレビのナナパンとか!!」


さらに動揺を重ね、チームメイトの女子にセクハラをした上に、キー局のアナウンサーを呼び捨て。

プロデビュー前から前科2犯だ。ざまーみろ。


「じゃあ、立花選手は?川中選手のことはどう思ってるの?」

「はあ?!?!?!」


思わず大きな声を出してしまった。

この記者……ほんと嫌いだ。

この質問は、大学の職員が遮ってくれて、答える必要なくことなきを得た。

野球選手の記者会見なんだから、野球の質問をしてほしい。

女子選手は特にそういう質問にばかり晒されているのを見て、普段から気分が悪かった。


そこからはありがちな野球に関する質問がいくつかされたが、一度動揺した川中はどもりながらよくわからない回答を最後まで続けていた。

きっと夜のニュースで放送されるだろう。そう思うとちょっとかわいそうになる。


「では、次は立花選手。異例の大学生女子選手の指名、しかも3位指名ということですが?」


それには楓自身が一番驚いている。

しかし、記者会見など、普通の人間が緊張する場面で肝が妙に座っているのが楓の強みだった。


「私自身も驚きました。もともと、プロ志望届も自分の気持ちに踏ん切りをつけるために出したものです。ですから、指名してくださったドルフィンズには心から感謝していますし、指名を受けた日が一番話題になる日にならないよう、努力していきたいと思っています。」


今日は、特に構えずにそのままの気持ちを答えることにしていた。


しかし、次からの質問で答えに窮することになる。

次々に質問されたのは、


「女子選手として、どんな広報活動をしてみたいですか?」

「CDデビューする選手もいますが、歌の方は自信ありますか?」

「選手同士で交際する事例もありますが、好みのタイプは?」


最後の質問をしたのは、当然東洋スポーツの腕章をつけた記者だ。

最後の質問だけ大学職員が遮ってくれたが、それ以外の質問に対しては、「正直なところよくわかりません」としか答えられなかった。


そして、歯切れの悪い楓に記者が飽き始めた頃、一人の記者が挙手した。


「どうしてご自身が指名されたのだと思いますか?」


鋭い。私自身が一番わからない質問だ。

少し沈黙したあと、楓はゆっくりと言葉を選びながら答える。


「私自身、それが一番わからないことです。女子選手は、これまでプロ野球でレギュラーとして活躍してきていません。ただ、私は見た目を見てわかる通り、ファンの方から人気が出るような人間ではありません。でも、ドルフィンズが野球選手として私を指名してくれたことは、紛れもない事実です。ですので、野球選手として、きちんと結果を出していきたいと思います。」


まっすぐな視線を向けて答えた。

シャッターが切られる数が、心なしか増えた気がした。


この質問の後、記者会見は打ち切られた。

なお、その日の夜に放送されたスポーツニュースには、滑稽なド派手メイクで大真面目にインタビューに答える楓の姿が全国放送され、お茶の間やインターネットを騒がせたのは予想の通りである。

次々に3人の兄から電話がかかって大笑いされ、楓は夜中まで落ち込んだ。


そして、帰宅してそろそろ寝ようと思い始めた夜12時頃、見慣れぬ番号から電話がかかってきた。

おそるおそる出てみる。


「──もしもし、立花です。」

「悪いね。こんな時間に。」


野太い男性の声だ。誰だろう……思い当たらない。

こんな声の知り合いが男性にいただろうか。まさか、新手のいたずら電話?


「ああ、失礼。リッキー・ホワイトランです。」

「えええええええええええ?!?!?!」


今日は何度驚けばいいのか。

あなた、ずっと英語で話してたじゃん……。


「日本語が喋れるとわかると、連敗中に記者に囲まれやすいからね。チームの関係者以外には黙っててね。」

「はい……(流暢すぎるでしょ……)」


非ネイティブ特有のイントネーションではなく、完全に日本人のそれだ。

声だけなら外国人とわからないだろう。


「すまないね。こんな深夜に。」

「いえ、とんでもないです。今日は指名していただき、ありがとうございました。」

「記者会見を見たよ。君に指名の理由を伝えておいたほうがいいと思ってね。」


日本中の誰もが疑問に思ったこの指名の理由を伝えに、わざわざ電話をかけてくれたのか。日本語で。


「まず始めに言っておく。我々、湘南ドルフィンズは、君を左のセットアッパー候補として指名した。」


息を飲んだ。

ドルフィンズは、楓を戦力として指名したのだ。

言葉を失う楓にかまわず、ホワイトランは続ける。


「あのピッチングの後、君の大学時代のVTRを見た。ストライクとボールがはっきりしていて、対策のしやすそうなピッチャーだね。カットボールとシュートも、変化が少ないから手元で少し合わせるだけで打てそうだ。」


上げておいて落とすスタイルはやめてほしい。

相手は意外とメンタルが弱い女子大生だということはわかってほしいものである。


「ただ──君があの日見せたシンカー。気になってたくさんVTRを見せてもらった。はっきり言おう。君のシンカーは、プロで通用する。まだ荒削りだが、十分ウイニングショットになる。」


上げておいて落として、もう一度あげるスタイルだった。

今日はさすがに疲れているので、あまり思考がついていかない。


「このチームには、左の中継ぎがもともと不足している。今シーズンで定着した中継ぎの左投手はいなかった。FAなどで補強することを計画しているが、それでは足りないし、計算できる左の若手がいない。君に期待するのはその役割だ。」


はっきりと告げられて、楓は疑っていた自分の指名の根拠をようやく確信した。

ドルフィンズは、私を「戦力」として指名した。

深夜に飛び上がりたいほど嬉しかった。


気がつくと楓は涙声になりながら「はい!」、「ありがとうございます!」、「頑張ります!」しか言わなくなっていた。


「ちょっと今日は情報量が多すぎたかな。次会うのは契約と入団記者会見のときだ。それまでは学生なんだから、最後の学生生活を楽しみなさい。では、また会うときに。」


楓の様子を察すると、ホワイトランは電話を切った。

楓は電話を握りしめたまま、自室のベッドに腰掛けてしばらく放心状態になったあと、突然立ち上がって、


「プロだーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」


大声で叫んだのだった。


やっと。やっと夢が叶った。

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