15 卒業証書
ドラフト会議は、毎年10月第4週に開催される。
ストーブリーグでプロ野球界が最も盛り上がる時期である。
ドルフィンズの入社試験以降、楓のもとにドルフィンズから連絡はない。
ただ、記念受験的にプロ志望届を出してからの楓は何か吹っ切れていた。
高校生の時から憧れ続けたプロ野球の世界。
ドルフィンズの入社試験を受け、プロの打者を対戦することができた。
自分のボールで、2人の打者を打ち取ることができた。
そして、プロ志望届を出した。
あれから結局ドルフィンズを含め、どの球団からも連絡はない。
しかしそのことで、楓の中で何か吹っ切れたような感覚が生まれていた。
「やれるだけのことは全てやった」という思いとともに、「これでダメだったのだから、もう十分だ」という思いも生まれていた。
いわば、プロ志望届は、楓にとっての「卒業証書」だった。
変わらず就職活動を続けていた楓は、あかねのアドバイスや書類の添削のおかげもあり、徐々に書類選考や1次面接くらいには通るようになっていた。
人間、迷いがなくなれば何でもそれなりに結果が出るものである。
18歳の頃からあまりまともに見られなくなっていたプロ野球関係のニュースを見ることも、いまは趣味の一つになっていた。
楓はドラフト会議当日、面接の予定は入れずにドラフト会議をネット中継で視聴することにしていた。
──これは、私にとっての「卒業式」だ。
その日を過ぎれば、就職活動もさらに前に進むような気がしていた。
卒業までには、どこかしらの会社から内定をもらえるだろう。
あかねにもそう言われていた。
そして迎えたドラフト会議当日。
涙にくれたあの日ぶりに、モニターの前に向かい合って、ブラウザを立ち上げる。
「プロ野球ドラフト会議」と書かれた会場の大画面が、独特の緊張感を告げる。
全てのプロ野球選手候補生に、運命を告げる日。
全てのプロ野球ファンに、夢を与える日。
4年ぶりに見る見慣れた光景に楓は懐かしさを覚えながら、開始の時を待った。
「それでは、ドラフト会議を開始します。」
司会者の聞き慣れた渋い男性の声でアナウンスが入る。
あの日から何も変わっていない。
楓が見たあの日から何も変わらず、その声は毎年秋に多くの野球選手たちに運命を告げて来たのだ。
ドラフト会議の指名順は、プロ野球ファンであれば誰しも慣れ親しんだ方法が変わらず使われていた。
会場には、各チームの首脳陣が、チームごとに設けられた丸テーブルについている。
多くのチームで、球団社長、監督、二軍監督、一軍の各コーチが席についている。
ドルフィンズのテーブルが映し出された時、球団社長である本山奏子とホワイトラン監督、首脳陣の姿が見えた。
ついこの前、夢のような対戦をさせてもらった楓は、心躍るような気持ちでそれを見ていた。
(ドルフィンズが、いい選手を指名できますように)
そんな祈りを込めながら。
指名は、リーグ下位のチームから行う。
今シーズンで日本一を取れなかったチームの所属リーグの最下位チームが最初に指名し、その後日本一チームのリーグの最下位が指名する。その後、相互のリーグの下位順に交代で指名を行い、最後に日本一となったチームが指名を行い、一巡目の指名が完了する。
指名選手が重複した場合は、抽選を行い、交渉権獲得チームを決める。抽選に外れたチームは、やはり下位順に指名を再度行い、再び重複した場合はさらに抽選を行って交渉権を決める。
今年のプロ野球は、ナショナルリーグ1位の東京タイタンズが制したため、タイタンズが最後に指名を行う。
ナショナルリーグの順位は、
1 東京タイタンズ
2 中京ドジャース
3 大阪ロイヤルズ
4 東京城南フェニックス
5 広島カブス
6 湘南ドルフィンズ
の順だった。
対して、日本シリーズに敗れたのは、オーシャンリーグ1位の東武ウルブスである。
オーシャンリーグの順位は、
1 東武ウルブス
2 福岡ファルコンズ
3 東北ロイヤルズ
4 千葉マリナーズ
5 神戸ブリュワーズ
6 北海道ベアーズ
の順である。
ちなみに、ドルフィンズの昨シーズン成績は51勝93敗0引き分け、首位と42.5ゲーム差で圧倒的なリーグ最下位だったが、オーシャンリーグ1位のウルブスが日本シリーズで敗れて日本を逃したため、最初の指名はできない。
「では、各チームは、第一回選択希望選手の選択に入ってください。」
会場にアナウンスが入る。
しばしの間、小声で協議する各チーム首脳陣の声がざわめきとなってこだまする。
ドラフト会議はマスコミ以外にも一般観客席が設けられていたが、観客席は各チームの1位指名を待つ緊張感からか、咳払いひとつ聞こえない静寂を保っていた。
観客の視線は、各チームの丸テーブル上にある、選手指名用のタッチパネルの動きに注がれる。
「それでは、各チームの指名選手の発表に入ります。」
先ほどよりも会場の緊張感がさらに高まったのが、モニター越しにもわかった。
「第一回選択希望選手。北海道。」
ベアーズの1位指名選手が読み上げられる。
「──戸高 一平。22歳。捕手。創学館大学。」
会場がわずかなどよめきと、当然だという相槌のような声に包まれる。
戸高は、大学野球の名門校6校のみで構成される大学中央リーグで三冠王を獲得した捕手で、まさに大学球界の花形選手だ。
司会者は、間髪入れずに次々に選手の名前を読み上げていった。
「第一回選択希望選手。湘南。戸高 一平。22歳。捕手。創学館大学。」
「第一回選択希望選手。神戸。戸高 一平。22歳。捕手。創学館大学。」
最初の3球団がすべて戸高を指名した瞬間に、大きなどよめきが起こった。
会場の観客も戸高の複数指名は予想していたが、「まさか全球団戸高を1位指名するのでは?」という期待感が高まったのだ。
モニターを見つめる楓も、さすがに驚きの表情で口元を無意識に覆った。
奏子とホワイトランのことだから、指名でも何か奇策を仕掛けてくると思ったが、順当な戸高1位指名に逆に驚きもした。
「第一回選択希望選手。広島。藤野 紋之助。18歳。投手。東商学園高校。」
若手選手の育成に定評があり、先発投手陣の高齢化が課題のカブスは、甲子園優勝校の本格派右腕を指名してきた。
これはある程度妥当な選択だったようで、会場のどよめきは一瞬収まる。
しかし、この後、会場がさらに大きなどよめきに包まれることになる。
「第一回選択希望選手。大阪。戸高 一平。22歳。捕手。創学館大学。」
「第一回選択希望選手。福岡。戸高 一平。22歳。捕手。創学館大学。」
「第一回選択希望選手。中京。戸高 一平。22歳。捕手。創学館大学。」
「第一回選択希望選手。東京。戸高 一平。22歳。捕手。創学館大学。」
12球団中、7球団が戸高を1位指名したのである。
モニターの映像が、創学館大学内に設けられた記者会見場の戸高に切り替わる。
捕手らしいがっしりとした大柄な体つきの戸高の、目鼻立ちのはっきりとした一重まぶたの顔がアップになり、間断なく浴びせられるカメラのフラッシュに太い眉毛をしかめていた。
きっとこの後、指名球団が決まった後で記者が「意中の球団はどこでしたか?」とか、デリカシーのない質問をするのだろう。
捕手は一度レギュラーが決まったら、その正捕手の実力に陰りが見えない限り、補強しないのがセオリーである。
7球団の中には、まだ捕手の世代交代が必要ない球団も含まれていた。
それだけ、六大学三冠王・戸高一平の実力が突出していたのだ。
明日のスポーツ新聞の一面は、決まったも同然であった。




