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13 夢の賞味期限

 ベンチに戻ると、楓のピッチングを見ていたホワイトラン監督からは質問攻めにあった。


「内田に打たれた球は投げ損じか?」

「金村を打ち取った球で空振りを取ったことはあるか?」

「最後に何度も首を振ったのはなぜか?」

「大きなシンカーは内角と外角に同じ精度で投げ分けられるか?」


 あのジェットコースターのようなマウンドでのドラマの直後でまだ顔が紅潮するほど興奮している楓に対して、それよりもさらに真っ赤な顔で質問攻めにするホワイトラン監督。

 その口調に呼応するように、早口で答え続ける楓。


 そんなやりとりが5分は続いただろうか。


 このまま終わる気配がない二人のやりとりを、球団社長・本山奏子の通った声が(さえぎ)った。


「見せてもらったわ。監督や首脳陣と協議して、あなたを選手として迎え入れる場合はこちらから連絡します。念のため確認するけど、あなたはプロ野球選手として、この株式会社湘南ドルフィンズに入りたいという理解でいいのかしら?」


 そのまなざしは、明らかに本気だった。


「はい!」


 楓もマウンドで真剣勝負をする時と同じくらい強い眼差しで答える。


 こうして、楓の入社試験(?)は幕を閉じた。


 ドルフィンズの練習場は、練習試合にも対応できるよう、ベンチの裏がダグアウトになっている。

 これも経営母体が変わってから改装されたものだ。

 日頃は、ドルフィンズの二軍や、これも経営母体が変わってから組織された三軍の練習試合のほか、地元の実業団チームに貸し出したり、大会を開催したり、様々な用途に利用することでチームの財務基盤を支える一つのインフラになっている。


 ダグアウトへ降りると、ロングタオルをかけたまま、座ってうなだれているユニフォーム姿の人影があった。

 明らかに野球選手としては小さな体、細い手足、そして長いタオルの先端から大きくはみ出すほどの長い髪。

他でもない、江口希その人だった。


 楓は、その場をそろそろと遠慮がちに通り過ぎようとしながら、彼女の感情に思いを馳せた。


 自分が高校生の時に描いたように、同じプロ野球選手という夢を描き、高校野球で結果を出し、そしてプロ野球選手になった希。

 楓自身、当時も今も負けていないつもりでいる。

 楓が指名されなかったのは、結果ではなく、他の選手よりも見た目が整っていなかったからもしれない。社交性に欠け、ファンサービスに不適格だと思われたのかもしれない。

 女子選手のドラフト指名が、単に実力だけで決まらないことは、楓自身もわかっていた。


 だが、プロはプロ、アマはアマ。


「あの……」


 そのアマに自分の場所を奪われそうになる危機感を想像しながらも、すでに遠慮がちに声をかけていた。


 しばしの静寂の後、希が顔を上げる。

 目にはいっぱいに涙がたまっていた。


「なに?今日からは私がドルフィンズの女子選手だから、『今までお疲れ様』とでも言いに来たの?!」


 打席にいた時ほどではないが、きつい形相と強い口調で楓に返す。

 その向こう側に張ってあるポスターの中で、笑顔でボールをこちらに差し出すポーズで映る希の姿があまりに対照的だった。


「私だって、絶対に、抑えられるわけにはいかなかった……」


 もう一度視線を下に向けてうつむきながら、希は続けた。


「もう私も4年目だからね、そろそろ新しい女子高生がドラフトで指名されるんじゃないかなって思ってた。女子選手としては賞味期限が近づいてるってことはわかってた。だから、いつでも諦められるように、心の準備もしてたつもりだった。」

「それは……」


 返す言葉に困る楓に構わず、希は続ける。


「でも、あなたが来たとき、わからなかった。私はどうしてもプロ野球選手になりたかった。だから、客寄せ目的の消化試合や守備固めだけの起用でも頑張ってきたつもり。本当は人前に出るのだって得意じゃないけど……でも……テレビに出たり……握手会やったり……」


 言葉を続けるうちに、ぼろぼろと大粒の涙が希の頬を伝う。


「そんなときに、あなたがきて……まるで本物のプロ野球選手みたいに入団テストを受けて……挙句の果てに金村さんまで打ち取っちゃってさ……今までの私は何だったんだろうって……悔しかった。だって、女子大生だよ?同い年だよ!『お前はもうオバサンだからお払い箱だ』って言われるなら心の準備はできてたよ。だけど、同い年の女子選手って……」


 言葉が出ずに無言で見つめる楓に向き直ると、さらに希は言葉を続ける。


「だから、あなたのボールは絶対に打ちたかった。負けたくなかった。ドルフィンズの女子選手は私なんだって……プロの女子は私なんだって証明したかった。」

「でも……!」


 楓が声をかけようとした瞬間、希は軽やかに立ち上がると、泣きはらした顔とは対照的なさわやかな笑顔を楓に向けて言う。


「女子選手は2人要らない。これは、チーム編成をする人間なら誰だって合理的だと考える。そして、立花さん、あなたの勝ち。女子で金村さんクラスを打ち取れるピッチャーだったら、選手の枠を潰さずに、女子選手の客集めもできるしね。」

「女子選手が2人所属しちゃいけないなんてルールないじゃない!」


 いつの間にかお互いタメ口を聞くようになっていたことを忘れて、強い口調で楓が返す。


「そんなきれいごとやめてよ!!!」


 さらに強い口調で返された言葉に、楓は再び押し黙る。


「プロ野球チームは、勝つために存在するの。女子選手は男子選手よりも体も小さいし、使いどころも限られてる。それをベンチに2人も入れることが不合理なことぐらい、誰だってわかるでしょ?!ましてやオーナーの本山社長やホワイトラン監督は、データの鬼だよ。そんな人たちが、あなた以外の女子選手を所属させるなんて考えられない!」

「……ごめんなさい」

「謝らないでよ……余計惨めになるじゃない……」


 しばらく黙ったまま向かい合ってうつむいていた2人だが、その静寂を希が明るい口調で破った。


「だから、頑張ってよね!私はできなかったけど、あなたは活躍できる女子選手になれるかもしれない。本物の野球選手になって。」

「あの……ありがとう。」


 希の言葉に圧倒されながらも、楓は深くうなずいていった。


 女子選手の平均選手寿命は、5年程度と言われている。

 人気がなくなったタイミングで、若い高卒の女子選手に交換リプレイスされるのだ。


 その歴史を、立花楓なら変えてくれるかもしれない。

 希は、自分自身がプロ野球選手として叶えられなかった夢の続きを、楓に託したのだった。

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