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11 最終面接(4)

 打者2人に対し、2安打。いずれも長打。うち1つは本塁打。


 楓はホームランが飛び込んだライト側を見つめたまま、しばし立ち尽くしていた。


 おかしい。

 おかしい。

 おかしい。


 内田に打たれたストレートは、確かに外すボールだった。球速も低い外側の真っすぐが打たれたのは、まあわかる。

 しかし、新川に打たれたアウトローのスライダーは、狙い通りのコースだった。フォームも泳がせた。

 なのに、打たれた。


 状況が理解できず、頭の中が思考の渦でいっぱいになる。


 たまらず谷口が駆け寄るのに気づいて向き直る。


「なんで?!?!」


 思わずタメ口を発していた。目にはうっすら涙がたまっていた。


 これは入団試験だ。打たれたら、本当の本当に、私のプロ野球人生が始まる前に終わる。

 その危機感と動揺で、楓はすっかり我を失っていた。


「うーん……」


と困った顔で楓を見ていた谷口が、


「まずは深呼吸しようか。はい吸ってー、吐いてー……」


 小学生みたいな扱いをされて不服に思いながらも、頭の中でぐるぐる回る思考の渦からいったん離れたくて、言われた通りにやってみる。

 少し落ち着いてきた。

 そもそも、深呼吸は心拍数を下げるためにやるものだ。吸うのではなく、吐くのから始めないとあんまり意味がないのに。

 そんな不平が浮かぶくらいには、楓の心は落ち着き始めていた。


「まあ、1本目は内田がうまかったね。あれと同じバッティングをもっかいやれったって、たぶん3回に1回しかできないよ。それを今やらんでもなあ。」


 苦笑しながら谷口が言葉を続ける。


「新川のやつは逆だ。あれは何本でも打たれる。言い訳するつもりはないけど、配球も逆を突いたはずだよ。」


 じゃあ、もう投げるところがない……。

 お手上げ宣告ってことかな。

 うなだれて再び思考が停止しそうになる楓に、「ただ――」と谷口は言葉を続ける。


「さっきのスライダー、色気がまったくない。ストライクほしいの丸出しすぎだよ。」


 最悪だ。

 長打を2本打たれて、セクハラまで受けるのか。

 こんなの聞いてない!


 でも、その程度の実力ってことなのかな。グラウンドでは実力と成績がすべて。男も女もない。打てない奴、抑えない奴には人権もないってことだろうか。


 一言も発せずうなだれ続ける楓にまったく構わず、谷口続ける。


「いいかい。バッターは何回ストライクを取られたらアウトになる?」


 もういい加減小学生扱いを受けるのに慣れ始めていた。


「3回……」


 楓は叱られている子供のように不服そうな口調で答える。


「そう、3回。3つストライクを取ればいいんだ。その間、3つボール球を投げてもいい。立花さん……だっけ。2つ目のストライクにするボール、絶対にコースに入れようと思ってなかった?」


 え?

 だって、ストライクゾーンってサイン出したじゃん。そしたらストライクゾーンに投げるでしょ。

何言ってるの?

 谷口の言っていることが分からず、目を白黒させる。


「1球目で空振りした打者は、『さっきの球の残像を意識したボールが来る』と思う。だとしたら、予測する球種は逆変化だ。それでも、あえて俺はスライダーを要求した。それがなぜだかわかる?」


 本当に禅問答みたいなことが好きだなこのオジサン。本当に性格悪い。

 そんなの知るわけないじゃん。出された通りのコースと球種を投げて……


 ここまで考えて、楓はふとした違和感に気づいた。


「予想通りのボールが来たら、バッターは打ちに行く……!」

「その通り。でも、そのボールを打てなかったら、追い込まれる。」

「ということは、逆球にも対応できるように待つわけだから……」

「つまり?」

「ほんとにギリギリのコースには対応できない……!」

「そう。よくできました。」


とだけいって、谷口はミットで楓の頭をポンと叩くと、ホームベース方向へ戻っていった。


 楓は、文字通り「要求されたコース」へ投げていたのだ。

 アウトローへスライダーなら、審判が10人中10人ストライクとコールするアウトローへ投げる。

 そういう「優等生のアウトロー」を投げてきた。


 だからこそ、大学野球界では「コントロールがいい」、「テンポがいい」と評価されてきたのだ。


 だが、ここはプロのマウンドだ。

 そんな「優等生のアウトロー」は何百万回と見てきた猛者たちの戦う場所だ。


 当たり前のことだが、ストライクの定義は、「ストライクゾーンをボールの一部が通ること」である。


 一瞬でもかすめればいい。

 ボール球は3つまで投げられる。

 その間にストライクを3つとればいい。


 野球を習うときに最初に教わるルールを、もう一度反芻(はんすう)してみた。


 そうか、審判が全員ストライクとコールするコースでなくても、ストライクゾーンギリギリを通るボールを投げれば、逆球にも対応しようとするバッターには対応できない。

 しかも、0-1の状態でそれを投げれば、追い込まれることを嫌ってバッターは打ちに来ざるを得ない。

 その1ストライクを得るための初球シンカーだったのか……!


 プロの配球の奥深さに驚嘆しながらも、超ハイレベルな駆け引きに、さっきまでの落ち込んだ心が躍るのがわかった。


 次の打者は、元首位打者・金村。

 おそらく、今のドルフィンズで最も多くの安打を打った男だ。


 だが、この人を抑えなければ、プロ野球選手・立花楓の明日はない。


 楓は自然と、天を仰いで深呼吸していた。


(大丈夫!私のシンカーは世界一!)


 そういつものように心の中でつぶやくと、打席に入った金村を見据えた。


 両打の金村は、なんと左投手の楓に対して左打席に入った。

 明らかに、決め球である大きなシンカー・カエデボールを意識しての行為であることは楓にも分かった。


「金村ってさあ、ほんと性格悪いよねえ……」


 打席の金村に向かって、谷口がぼそりとこぼす。


「一応、僕もプロなんでね。目の前のピッチャーには最善を尽くしますよ。」


 ニヒルに笑うと、バットを立てて投手方向へ向けるルーティンを経て構えた。


(今度こそ、谷口さんのサインの意図をくみ取って見せる!)


 楓はサインを覗き込む。


(インハイへ、ボール球になる真っ直ぐ)


 真っ直ぐ?!

 最多安打男の金村さんに?!?!


(もう私のこと、見限ったのかな)


と頭に浮かぶネガティブな思考を振り切って、サインの意味に頭を絞る。


 相手はあらゆる変化球を打ち返し続けてきた金村さん。

 いきなりストライクを取りに行っても簡単に打ち返される。

 ということは……。


 何かを決意した顔を見せると、楓はセットポジションに入る。

 クイックではなく、ゆったりとしたフォームからストレートを投じる。


 地面すれすれから狙い通りにリリースされたボールは、金村の目の高さまで舞い上がり、ストライクゾーンから大きく外れてミットに収まった。


「オッケー!ナイスボール!」


 楓のもとにボールとともに返ってきた言葉で確信して、楓は思わず口元を緩める。

 じゃあ次は……


(インローへ、ボールになる小さなシンカー)


 なるほどね。

 今度は、ストライクからボールになるシンカーを投じる。

 見送った金村の肩がピクリと動くのがわかった。

 

 カウント2-0。

 セオリー的には圧倒的に打者が有利。次のボールでストライクを取らないと投手が追い込まれる、「バッティングカウント」というやつだ。


 しかし、楓に焦りは全くなかった。

 次はどんなサインが出るのか、ワクワクしてたまらない気持ちを抑えながら、サインを覗き込む。


(アウトローのストライクゾーンへ、カットボール)


 うん。わかったよ、谷口さん。

 打者心理からすると、そうだよね。


 口元を真一文字に結ぶと、楓はモーションに入る。

 要求通り、カットボールはアウトローへ。


 ただし。


 狙いに反し、ギリギリボールになるコースへ。


 鋭く振られた金村のバットが、鈍い音を立てる。

 ボールは力なくぼてぼてとサードの前へ転がり、一塁へ送球された。

 金村がボールからだいぶ遅れて一塁を駆け抜けていった。


 そうか。

 打者の打ち気を高めるために、あえて2球ボール球を続けたのか。

 しかも、初球は真っ直ぐの残像を一番近くで見せるためにインハイへ要求した。

 そのあとの小さなシンカーは、インコースへの変化を見せつつ、ストライクカウントを取りに来たように見せかけた。

 打者に、「意図せず2-0に追い込まれて、ストライクを投げたくて仕方がない投手」を見せたのだ。


 そこへまっすぐと球速が一番近いカットボールを投げて、「カウントを取りにきた打ち頃のストレート」と見せかけた。

 それを引っかけさせて、サードゴロで打ち取った。


「ナイスピー!」


 一塁手から返球されてたボールを受け取って、軽く会釈すると、楓はホームベースに向き直る。


(やっぱり、プロってすごい!!)


 まだあと1人いる。

 2人抑えれば、評価してもらえるかもしれない。


 そして4人目の打者、希が打席に入る。

 いつも明るい様子でテレビに映る希。

 今日もさわやかな笑顔を振りまいて、グラウンドの華になっていた。「頑張ってね!」と声をかけてくれた希の表情を思い出しながら、打席を見る。


 次の瞬間、楓の背筋が一瞬凍った。


 整った顔立ちからは想像もつかない、鬼のような形相でマウンドを睨む希の姿に。

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