Ep 2/8 ランの落とし物 - 学生手帳 -
それから2時間にも及ぶ厳しい実習が終わると、40分間の長い休憩時間がやってきた。
一昔前はもっと短かったそうだけど、色々とあって今の形になったそうだ。
僕は先生にお礼を言ってから訓練棟を出て、寄り道は止めて真っ直ぐに教室に戻ることにした。
この時間は訓練棟や校庭のあちこちに、英雄科の生徒たちが座り込んだり、床や芝生に寝転がっている。
2時間という限られた時間の中で全力で出し切って、頭も身体も動かなくなる。
他の学科からするとそれが羨ましく見えるようだ。
特に官僚や学者を目指す普通科からすれば、転科をしたくなるほどの憧れに映るそうだった。
休日以外、朝から晩まで机に向かい続ける生活なんて、僕たちからすれば想像も付かない。
ともかく僕は校舎裏を歩いた。
こっちを通った方が断然近道なのだけど、道がレンガ舗装されていないせいか、好んで使う生徒はあまりいない。
「あれ……あれってなんだろう。あっ……」
そんな土くれのちょっとでこぼこした道を進んでゆくと、僕は進路に赤い何かを見つけた。
気になって近付いてみるとそれは、革張りの小さな手帳だ。
「これってうちの学校の……」
見覚えがある。これはここ王立学問所の学生手帳だ。
魔法科は紫色、英雄は赤色、普通科は茶色で、赤いこれは英雄科のものだった。
落とした人はきっと困っているだろう。
それにリョースくんとケニーくんから前に聞いた話によると、ここの学生手帳は裏の世界で取り引きされているそうだ。
身分の証明としても上等な上に、卒業生になりすませるため、アウトローの間で人気だ。
お前は特にボーッとしてるから盗まれないように気を付けろと、二人にそう口を揃えて言われてしまった。
「職員室に……。いや、でもそれだと……」
学問所の先生を頼ろうと思ったけど、やっぱりそれは止めた。
この学校には派閥がある。
必ず折るとわかっているのに僕に剣を貸そうとしてくる先生がいる反面、レイテ先生みたいな、前後が何も見えなくなっている人もいる。
僕が直接届けるのが確実だ。最悪は、僕が盗んだとこじつけられるかもしれない。
そこで僕は持ち主には悪いけど、手帳のページを開いてみた。
「あ……っ!?」
そしたら驚いた。そこに貼られていた写真には、白黒になったランさんが写っていた。
これはランさんの学生手帳だ。
持ち主が彼女だとわかると、僕は内心ホッとした。ランさんなら届け際に緊張する必要なんてない。
いや、それにしても、ランさんって……。
僕はぼんやりとランさんの写真を見つめた。
白黒だからあの綺麗な緑の髪の輝きはなかったけれど、それにしたってランさんはかわいい人だった。
故郷のモルジアで暮らしていた頃は、世界にこんな神の奇跡みたいな技術があるだなんて、僕は知らなかった。
爺ちゃんが僕を王都に行かせたのは、モルジアの狭い世界で僕の一生を終わらせるのが惜しいと思ってくれたのかもしれない。
僕はこういう性格だから、爺ちゃんがああやって強引に事を運ばなければ、一生あの辺境で、あの家が崩れるまで、爺ちゃんとの思い出を引きずったまま、あそこで暮らしていただろう。
「凄いな……。いつでもランさんの、姿を見れるなんて、凄いな……。この手帳、ちょっと欲しいかも……」
とはいえ返さなければランさんが困ってしまう。
今頃ランさんは紛失に気づいて、不安になっているかもしれない。
「あ、あれ……?」
だけど僕は気づいてはいけない部分に気づいてしまった。
だってそのランさんの学生手帳は、名前の箇所に、こう記載されていたんだ。
【姓名】ランドルフ・ガーランド
「ラン、ドルフ……? え、これがランさんの……ええっ、ラ、ランドルフさん……?」
女の子にしてはあまりに勇ましい名前だった。
何度読み返しても、目の錯覚でもなんでもなくて、そこにはランだけでは終わらず、ランドルフと記載されている……。
「いや、まさか……そんなわけ、そんなわけないよね……。お、男らしい名前の女の子だって、いるよね……」
するとどうしても気になって、ランさんの気持ちを考えれば、これ以上見ちゃいけないのに、僕は学生手帳を顔に押し付けたまま、続きの項目に目を向けた。
そして僕は、思考どころか顔の筋肉までまとめて、凍り付いた……。
【姓名】ランドルフ・ガーランド
【性別】♂
「ぇ……」
お、男……? え、あんなにかわいいのに、男……?
男……男……男男男男男男男男……男……。男っっ!?
え、ええっ、えええええええええーーっっ?!!
「ど、どど、どうしよう……どうしよう、これ……どうしようっ!?」
学生手帳がなければランさんが困る。だからこれは必ず、ランさんに届けなければならない。
だけど届ければ、中を見てしまったことがバレてしまう……。
ランドルフという勇ましい名前が頭に焼き付いて離れない。
あの明るさと開放的なスキンシップに、僕はランさんに好意を持っていたのに、まさか、そんな、ランさんが実は男だったなんて……。
僕はどう心の整理をすればいいんだ……。
「お、落ち着け……こ、こんなときは、こんなときは爺ちゃんだ! 爺ちゃんなら、爺ちゃんならこんなときどうする……!?」
あるいは、僕の中にいるアイツならどう行動するだろうか。
……そう、そうだ。どっちも堂々と行動するに決まっている。
この機密が他の誰かに漏れる前に、自らの手で、彼女あらため彼に届けることを選ぶだろう……。
なら決まりだ。手帳をランさんに届けよう……。
それで聞かれたら、正直に中を見たことを伝えて、ちゃんと謝ろう……。
僕は勇気を出して、ランさんのクラスを訪ねることにした。
今は不在であることを、心の中で期待しつつ……。
・
教室の前に立つと、その奥に不機嫌そうにしているランさんの姿を見つけてしまった。
イライラとした様子で机に肘を突き、私物や机の中を探っては、またイライラと怖い顔をしていた。
教室におじゃまして、僕はそんな挙動不審なランさんの前に立った。
「や、やぁ……」
「あ。エドガー。いや、アルクトゥルスだっけ? とにかく一昨日の晩はごめんね」
「え、一昨日?」
一昨日の晩って何? どういうこと?
ま、まさかアイツ、また僕が寝ている間に勝手なことをやっていたんじゃ……。
「ん、んんーー?」
「えっ、な、なに……っ?」
僕が当惑していると、ランさんが急に立ち上がって、マジマジという表現そのままにこちらへと綺麗な顔を近付けた。
きっと僕は女の子みたいに情けない赤面をして、その凝視から逃げるような姿になっていたと思う……。
「なんだ、エドガーの方かぁ……。ややっこしいなぁ……」
「ねぇ、まさかとは思うけど……一昨日、アイツに会ったの……? というより、なんでアイツに詳しいの……?」
「だって本人が、俺はエドガーではない、アルクトゥルスと呼べ。って言ったし」
ア、アイツ……! いつもいつも、僕に断りなく何勝手なことやってるんだよ……っ!?
モモンガのレオくんのことといい、僕はランさんに詳しい話を聞くのが怖くなった……。
まさか、まさかとは思うけど、ランドルフ(♂)さんにアイツ、変なことしてないよね……?




