19. その紋章が示すもの
早朝から兄妹と連れ立って森へ行ったはずのジョバンニが、魔物の解体所に突如出現し、夕食の時間に少し遅れるとの報告があった。
普段は公開しない場所だが、所長からの強い後押しがあったため特別に見学を許可し、それからずっと作業員達と楽しく過ごしているようだ。
「そういえば貴女達、昨夜グレゴール卿に何か頂いたのでしょう? 持っていらっしゃい」
昨夜は魔物退治で不在にしていた夫人に促され、フレデリカは大事に持っていた短剣を手渡した。
夫人は包みの組紐を解き、短剣を取り出す。
よく見ていなかったユルグ辺境伯も、どれどれと覗き込み……二人は息を飲んだ。
「あなた、これは」
「……うん、間違いないな」
あぁ~~、と頭を抱える辺境伯夫妻。
「その剣がどうかしたのですか?」
叱られるのを怖がる子供のように両親に近付き、フレデリカはおずおずと尋ねた。
「御覧なさい。貴女、この紋章が何か分かる?」
「んん? なんでしょう。見覚えがあるような、無いような……」
鷹に剣。
うん、多分見たことがある。
のほほんと答えるフレデリカに、辺境伯夫妻は頭を抱えた。
「いくらなんでも国章を覚えていないとは! これは我が国の国章です! そしてこれが使えるのは、王家だけです!!」
「はぁ、そうですか」
気の抜けた返事をするフレデリカに、思わず夫人は声を荒げる。
自室から戻ってきたパトリシアは、夫人の声に驚き、弽を胸に抱いたままコソリと席に着いた。
「いいですか、本来であれば王族しか持つことを許されないモノを、貴女は頂いたのですよ!?」
王族から下賜された品は、代々家宝にするのが通例だ。
それほど貴重なものである。
ジョバンニの祖母は元王族。
おそらく彼女が侯爵家に輿入れした際、持ってきた品の一つをジョバンニが譲り受けたのだろう。
緻密な彫刻が施された鞘を丹念に眺めていたユルグ辺境伯は、柄に血がこびりついていることに気付き、目を眇めた。
「……フレデリカ、お前まさかコレ、使ってはいないだろうな?」
「え? もちろん使いました。大きな熊を仕留めましたし、川で捕った魚もさばきました」
「さ、さかな……」
くらりと椅子に倒れこんだ夫人の背中を撫でて落ち着かせ、ユルグ辺境伯が鞘をはらうと、鈍く光る灰色の剣身が姿を現した。
「「……ミスリル!?」」
辺境伯夫妻が同時に叫び、絶句する。
ミスリル鉱石は希少だが、それ以上に加工が難しく、市場にも滅多に出回らない。
さらに王家の紋章が刻まれているとなれば、その価値は計り知れない。
食い入るように短剣を見つめる二人のただならぬ雰囲気に、フレデリカはクルシュを振り返った。
妹達恒例、困った時の兄頼みである。
お兄様たすけて。
……だが彼は目を合わせない。
巻き込まれたくなさそうに俯いている。
お兄様たすけて!!
……やはり目を合わせない。
返事すらない。
ただの屍のようだ。
……なるほどそれでは、本物の屍にしてやろうか。
フレデリカから放たれた殺気を一身に受け、クルシュはピクリと片眉を動かした。
八つ当たりをしようと臨戦態勢をとった妹のため、自身の安全のため、やれやれとクルシュは肩をすくめる。
「僕が見るに、ただの短剣ではないようです。かなり複雑な術式が組まれています」
クルシュが何事かを呟きパチンと指を鳴らすと、ユルグ辺境伯が握っていた短剣が、わずかに光り出した。
「うん、所有者がフレデリカに書き変わってますね。年代物のようですが、最初に使用した者を所有者にするよう、当時の製作者が魔術を施したのでしょう」
つまりこれまで誰一人として使うことなく、鞘に入ったまま大事に飾られてきたということだ。
「古い魔術なので、もし所有者を解除する場合は、それなりの時間をかけて解読する必要があります。フレデリカ、戻れと願ってごらん」
クルシュに言われるがままフレデリカが「戻れ」と言うと、ユルグ辺境伯の手元からが短剣が光の粒になって消え、フレデリカの手元に戻ってきた。
「移動したッ!?」
「このように、所有者の手元に戻る仕組みのようです」
淡々と説明するクルシュに、もはや声も出ない夫人。
虚ろな目を彷徨わせ、ジョバンニにもらった弽を抱いて小さくなっているパトリシアに手を差し出した。
「パトリシアが頂いた物もこちらへ」
ユルグ辺境伯夫妻が確認し、クルシュもまた「問題ありません!」と力強く頷いた。
「こちらは大丈夫そうだ。侯爵家の紋は入っているが、王家にまつわるものではない」
先程の光景が衝撃的過ぎたため、一同はホッと息をつく。
夫人は弽をパトリシアに返し、大事に使うよう伝えた。
一方フレデリカには今まで以上に慎重に扱い、肌身離さず持つことと、なるべく人目に晒さぬことを何度も何度も言い含める。
改めて御礼が言いたくて、お土産を見せてもらおうと思っただけなのに……意図せず、緊張感溢れる場になってしまった。
その時ノックが響き、執事がジョバンニの到着を告げる。
「お待たせして申し訳ありません!」
重い空気を絶ち切るように現れた、元凶の男ジョバンニ。
元気溌剌、満を持しての登場である。
自分がやらかしたことなど知る由もなく、爽やかな笑顔で席に着く彼を、辺境伯夫妻は引きつった笑みで迎え入れた。







