第八十六話 デリラちゃん、初めての魔法。
グリフォン族族長フォルーラさんの娘、フォリシアちゃんと一緒に誕生日を祝ったデリラちゃん。
フォリシアちゃん本人の諸事情もあって、暫く二人で遊ぶことができなかったからか、翌日は目一杯遊びまくった。
幼なじみかそれとも姉妹かという感じに、仲の良い二人。
よく食べて、よく遊んで、よく眠る。
そりゃ育つわけだよと、俺もナタリアさんも思ったっけ。
エルシー経由でフォルーラさんの話も聞いた。
フォリシアちゃんが来られなかった手前、一人で来るわけにもいかなかったからか、それとも娘の前でお酒を飲めなかったからか。
エルシーたちと浴びるほど飲んだみたいだね。
お祝いムードが抜けきった三日の今朝、フォリシアちゃんとフォルーラさんは里へと戻って行った。
フォリシアちゃん一人での外出は、まだ許してないらしいんだけどね。
だからたまにはデリラちゃんを連れて、遊びに行ってあげないと駄目だと思ったんだ。
翌日、俺たちは居間と呼ぶには大きすぎる、城に作った食堂にいた。
父さん、母さん、エルシーと俺が座って見てる。
その先には、デリラちゃんとナタリアさん。
これから始まるのは、デリラちゃん、初めての強力の練習。
正確には『強力の魔法』って言うらしいんだけど、鬼人族の人たちの間では、略して強力って呼ばれてる。
鬼人族の子供は、六歳になると強力を教えられる。
父親から息子へ、母親から娘へ。
男の子の強力と、女の子の強力はその性質が少々違うらしい。
父親と母親では、教え方も違うらしいんだよ。
男の子は、瞬時に爆発的な作用を心がけ、女の子は持続的で繊細な作用となるように。
十歳になると女の子は、治癒の魔法を教えられるから。
男の子は、古来から伝わる家族を守るための秘術、鬼走りを教えられるから。
治癒や鬼走りへの導火線となるべく、強力はマナの制御を学ぶのに適している。
今は勇者たちがいるから、鬼走りを使うことはないと思ってる。
グレインさんたちを通じて、使ってはならないとお願いしてる。
ナタリアさんも、デリラちゃんも、今朝は鬼人族の民族衣装。
その上ナタリアさんは、足首までの下履きを履いている。
珍しい、っていうより、初めて見るかもしれない。
女性はあまり着けないって聞いてるからね。
正座っていうんだっけ?
膝を折って、お尻の下にかかとがある座り方。
背筋がぴんと伸びて、凄く綺麗な座り方なんだけど。
俺、あの座り方。
長い時間できないんだよ。
すぐに足が痺れちゃってさ。
初めて座ってみて、痺れたとき。
デリラちゃんが、楽しそうに笑って近寄ってきた。
足の裏や指なんかを、つんつんするんだよ。
うつ伏せになってしまい、もだえ苦しむほどのもの。
あれはきつかった。
ナタリアさんも、苦笑して止めないんだもんな……。
デリラちゃんの座る姿も、ナタリアさんに似て、背筋がすっと伸びてる。
年齢以上に、お姉さんに見えるね。
「デリラ」
「あいっ」
「あたしの真似をするの。いいわね?」
「あいっ」
元気の良いデリラちゃんの返事。
ナタリアさんとデリラちゃんは、向かい合って座ってる。
「ナタリアちゃんはさながら、学校の先生みたいだね」
「……学校って俺、行ったことないからわかんないんだけど」
「僕も同じだよ。結局、通うことができなかったから。だからかな? 学校の先生ってナタリアちゃんみたいな人なんだろうなって。そう言う意味だったんだけどね」
あ、そっか。
父さんも子供の頃、身体が弱くて。
学校という、物事を教えてくれる教育機関があるのは知ってた。
ただ俺みたいな庶民には、縁のない場所だったんだ。
「そうだね。きっとそうかもしれないね、父さん……」
「あ、始まったみたいだね」
「う、うん」
ナタリアさんは、両手の手の指を揃えておへその下あたりに添える。
するとそのまま。
「おなか」
デリラちゃんもナタリアさんの真似をして。
「おなか」
そのまま両手をすぅっと持ち上げて。
「おむね」
「おむね」
正中線を通って、ナタリアさんは大きいから、ちょっとやりにくそうだけど。
喉の手前で腕を交差させて、両方の鎖骨へ沿うように動かした。
「かーた」
「かーた」
ナタリアさんは腕を交差させたまま、両手を少し前に移動。
胸の前で、腕を組むような感じになった。
「ひーじ」
「ひーじ」
そのまま両手を滑らせて、右の手で左の手首を、左の手で右の手首を軽く握る。
「てくび」
「てくび」
手首と手首をくっつけたまま、軸にしてくるりと回し。
ナタリアさんたち、鬼人族の人がお祈りをするときのような感じに手をあわせると。
両手をそのまま花が咲くかのように開いた。
「おてて」
「おてて」
あれ?
これって何かの動作に似てる。
「マリサさん」
「どうしたの? あなた」
「これってあれに似てないかな?」
「あ、私がウェルちゃんに教えたあの方法かしら?」
「うん。僕は、話に聞いたことしかないんだけどね」
やっぱりね。
母さんから、魔剣を正しく扱う方法を、教わった動作に似てるんだよ。
ナタリアさんは今度、胡座をかいて座った。
デリラちゃんも真似して座るんだ。
あぁ、だから今日はナタリアさん、下履き履いてるんだね。
なるほど、そうしないと見えちゃうから。
なるほどなるほど。
それはある意味残念だ。
『ばっかじゃないの』
あ、はい。
ごめんなさい。
「おなか」
「おなか」
「こーし」
「こーし」
「ふともも」
「ふともも」
「ひーざ」
「ひーざ」
「すーね」
「すーね」
「あしくび」
「あしくび」
「デリラ」
「あいっ」
「今のをゆっくり、もう一度やってみて」
「あいっ。……おなか――」
凄いな。
一度教えてもらったことを、もう覚えちゃってる。
座り直して。
「――おなか」
おそらくあの動作は、マナの循環させる方法だと思うんだ。
「――あしくびっ」
「はい。よくできました」
「えへーっ」
デリラちゃん、ちょっと自慢げだね。
「こっちにおいで。デリラ」
「あいっ」
ナタリアさんは胡座をゆるくかいたまま、デリラちゃんを自分の足の内に座らせる。
「背中をままにくっつけて座って」
「あいっ」
デリラちゃんはそのまま、ナタリアさんに身体を預けるようにする。
「そのまま目を閉じるの。開けちゃ駄目よ?」
「あいっ」
デリラちゃんは、言いつけ通りに目を閉じる。
ナタリアさんは、デリラちゃんのお腹に両手の人差し指と中指をそっと添える。
よく見ると、触れるか触れないかぎりぎりの場所で指を止めてるみたいだね。
するとすぐに、彼女の青い角が淡く光るんだ。
「デリラ、ここ。暖かいのがわかる?」
「おなか?」
「そうよ」
「うんっ」
「暖かいのがどこにあるか言ってみて?」
「おなか」
ナタリアさんはデリラちゃんの胸骨あたりに指先を移動させる。
「ここは?」
「おむね」
デリラちゃんの両肩へ移動させる。
「ここは?」
「かーた」
「両手を前に出して。ここは?」
「ひーじ」
「ここは?」
「おてて」
「はい。よくできました」
「あいっ」
「正座して目を瞑って。今みたいにね。おなかにある、暖かいのをね。ゆっくり動かすの。やってみて」
「あいっ。おなか――」
デリラちゃんは声を出しながら、ゆっくりと動作を繰り返す。
その間に、ナタリアさんは一度立ち上がり、厨房へ消えていく。
すぐに戻ってくると、周囲五十はある、木の樽を持ってきた。
目を瞑るデリラちゃんの前に置いたときの音が、とても重そうに聞こえる。
「あれって、水が入ってるのかな?」
「そうかもしれないね」
「――おてて」
「デリラ。目を開けて」
「あいっ。あれれ?」
「それを持ってみて」
「うん……」
デリラちゃんは、樽に手を回す。
「思うの。『重たいの、持ち上がれ』って」
「うん。もちあがれっ」
するとあり得ない現象が起きる。
ひょいと、デリラちゃんは樽を持ち上げてしまったんだ。
「――おぉー……」
デリラちゃん自身も、驚いてるみたいだ。
「降ろしていいわ」
「あ、あいっ」
デリラちゃんは、そのまま手を離す。
どすんと音を立てて、樽が彼女の手から滑り落ちた。
「なるほど、そういうことなんだね。マナの流れを、治癒の魔法の効果で教えたんだ。これは思いもしなかったよ……」
父さんが言うとおり、さっきの角が光ったのって、やっぱり治癒の魔法だったのかな?
流石父さんだ。
ナタリアさんが教えてる訓練法を、読み解いてしまったんだから。
「ということはあなた。私たちももしかして」
「うん。ナタリアちゃんに補助してもらえたら、強力を使うことができるかもしれない」
「あら? マリサちゃんは無意識に使ってたと思うわよ」
「え? 本当ですか?」
エルシーの声に、きょとんと母さんが答える。
「それにね。クリスエイルさんもね、もうわかるんじゃないかしら? あれだけナタリアちゃんから治癒を受けてるんですもの」
「あ、なるほど。あの暖かい感覚が、そうだったのかな?」
「――おてて」
「え? マリサさん?」
「えいっ! あら不思議。できちゃったわね」
ひょいと父さんを持ち上げる母さん。
流石は天才肌。
「おばーちゃん。すごいすごい」
デリラちゃんは手放しに拍手してる。
「ありがと。デリラちゃん」
「ずるいよ、マリサさん……」
「あとで教えてあげるわ。コツ、掴んじゃったからもう大丈夫」
「お母様ったら」
ナタリアさんもクスクス笑ってるし。
「デリラ」
「あいっ」
「次は。足首までやってみて」
「あいっ」
一通り呪文を唱えるように、復唱するデリラちゃん。
「――あしくびっ」
「はい。デリラ、立ち上がってみて」
「あいっ」
「そのまま、ぴょんぴょん」
「あいっ! ――あ、あははは」
凄い。
デリラちゃん、自分の身長くらいの高さに飛び跳ねてる。
「たかいたかい。ぱーぱ。みてみて」
「うん。よくできてる。デリラちゃん、偉い偉い」
「えへーっ」
「あの、マリサさん」
「何かしら? あなた」
「そろそろ降ろしてもらえないかな?」
「あら嫌だ。おほほほ……」
母さんまだ、父さん持ち上げたままだった。
すごくわざとらしく、誤魔化すように笑ってるよ。
「ナタリアさん。凄いよ」
「そうですか?」
「あっという間に強力を教えちゃうんだから」
「あたしもこうして、亡くなった母から教わったんです」
遠い記憶を思い出すようにして、微笑むナタリアさん。
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ちなみに、後からなんだけど。
グレインさんがライラットさんへ、強力を教えたときのことを聞いたんだけど。
すっごく不憫に思うくらいに、ほぼ鍛錬みたいな教え方だったんだよ。
「こうしてな。ライ。腹筋固めろ」
「え?」
「マナを意識しろ」
どすんと音が聞こえるくらいの勢いで、そのまま拳をライラットさんの腹に拳を叩き込む。
「ぐぇっ――」
「これが腹だ。どうだ? 懐かしいだろう?」
「オレ。もう、強力使えるってば……」
「そうか? まぁ、気にすんな」
これが男親の教え方なんだね……。
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