第百四十八話 だいじょうぶ?
……ん?
あぁそっか。
目が覚めちまった。
外はまだ暗いみたいだし、かなーり早く起きたみたいだ。
そういやナタリアさんと、デリラちゃんを挟んで一緒に寝たんだっけ。
どれどれ?
デリラちゃんも、ナタリアさんもまだ寝てるな。
デリラちゃんが焼け焦がしちゃった袖の服は、ナタリアさんが昨日着替えさせたから、何事もなかったかのような感じだね。
俺たちは色々話し合ってはみたけどさ、それでも現場を見たわけじゃないから、推測の域を脱することはできなかったんだ。
実際デリラちゃんが何をやらかしたのかわかってないんだよ。
あ、ナタリアさんが目を覚ましたよ。
ちょっとぼけっとした目。
「……おはようございます、あなた。デリラは?」
俺とナタリアさんの間に寝てるんだけど、気づいてないというより忘れてるっぽい。
珍しいかもだけど、昨日はナタリアさんも疲弊しきってるだろうから仕方ない。
「まだ寝てるよ。マナが枯渇してた状態だから、もしかしたらいつもよりゆっくりかもしれないね」
俺がナタリアさんとの間に寝てるデリラちゃんを見ると、視線を追いかけてやっと気づいたみたい。
彼女はデリラちゃんを『ほんとうに仕方のない子』という感じに見てるね。
「えぇ。何もなければいいのですが……」
「それよりほら、台所の争奪戦は? デリラちゃんは俺が見てるからさ?」
「いいんですか?」
「いいって。フレアーネさんもオルティアも、昨日はこっちに泊まったんだから。ほら、急がないと」
「は、はいっ」
慌てて着替え始めるもんだからつい。
「ちょ、ま、俺後ろ向くから」
「うふふ、あなたらしいですね」
「ほっといて」
うあ、うん、我慢我慢。
「では、いってきますね」
「あ、うん。いってらっしゃい」
あっという間に着替え終わって、ナタリアさんは台所へ向かったんだ。
俺はぼうっとデリラちゃんの寝顔を見てた。
「うちの娘はほんと、なーにやってたんだい?」
気持ちよさそうに、すーすーっと規則正しい寝息を立ててるんだよ。
外はまだ暗いみたいだけど、普段だったらもうすぐ起きてる時間だと思うんだ。
前に聞いたことあるけど、デリラちゃんが起きる時間にはもうフレアーネさんとオルティアは王城に来てるらしいんだよね。
だからまだ起きてない可能性もあるなと思って、ナタリアさんを急かしたんだけど。
どうだったんだろ、……ってあれ?
部屋のドアが開いて、ナタリアさんがこっそり入ってきた。
何やら気まずそうな表情してるんだけど?
「ナタリアさん、どしたの?」
「負けてしまいました……」
「え?」
「台所に行ったらですね、もう明かりが点いてるんです。こっそり覗いてみたら、オルティアちゃんに『姫様どうでしタ?』と聞かれてしまったのでつい、『気持ちよさそうに寝てるわ』って……」
「あらら」
そしたら、あ。
デリラちゃんの目がぱっちり開いてて、俺とナタリアさんを交互に見てる。
俺はナタリアさんを見る、すると彼女は目を閉じて頷いて笑顔になったんだ。
うん、ナタリアさんは怒ってない。
もちろん俺も怒るつもりはない。
だって俺もナタリアさんもさ、何が起きたのかわからないんだから。
ほらほらデリラちゃん、泣きそうにならなくてもいいんだって。
「大丈夫よ、デリラ」
「大丈夫だよ、デリラちゃん」
「……だいじょぶ? 怒ってないの?」
「わかるだろう? デリラちゃんなら」
『遠感知』を持ってるデリラちゃんなら、俺たちが怒ってるかどうかわかるはず。
「うん。ママもパパも怒ってないの」
ゆっくり身体を起こそうとしてるけど、辛そうにしてるから背中をそっと支えたんだ。
ナタリアさんは俺が支えてる間に、デリラちゃんの背中に布団を丸めて寄りかかれるようにしてあげる。
うん、さすがナタリアさん。
「おいっしょ、……あれ? デリラちゃんね、なんか変なの」
「あぁ、そのことか」
「あのね、デリラ」
「うん」
「昨日、デリラがね」
「うん」
「大変なことになったの、覚えてる?」
ひとつひとつ諭すように、ナタリアさんはデリラちゃんに説明してくれてるんだ。
「うん……」
「それでね、あのとき――」
こんこん、とドアがノックされたんだ。
まるで、このときを待っていたかのようなそんな感じにね。
「いいよ。入っておいで」
もちろん、誰がノックしたかなんて、わかりきってるよ。
俺とナタリアさんと、同じくらいに心配してくれて、俺たち以上に心を痛めてる優しい女の子なんだから。
「はイ。失礼いたしまス」
ほらね。
入ってきたのはオルティアだったんだ。
いつものようなふわりと両手でスカートを持ち上げるお辞儀ではなくてさ、左手を右手にかぶせて前に揃えてる。
利き手を押さえてみせることで、『私はあなたに危害を加えません』と意思表示するスタイルだったかな?
その仕草のお辞儀だったんだ。
多分オルティアは、身体全体で『ごめんなさい』を現してたのかもしれないって、そう思ったんだよね。
「あ。オルティアお姉ちゃん。おはようなの」
「お、おはようございまス。姫様」
そのままおずおずと遠慮がちに入ってきた。
やっぱりオルティアらしくないな。
いつもなら『もういるし』みたいな感じだものね。
養父のエリオットさんみたいにさ。
デリラちゃんのそばに、正座をしてぺたんと座るとさ。
両手を前に揃えて、深々とうつ伏せになるような姿勢になるんだ。
これって確か、ナタリアさんが前によくやってた『おかえりなさい』や『申し訳ありません』のときの姿勢。
何て言ったかな、よく覚えてないけど。
『タタミ』っていう草を編んで作った床材を敷いた、ここみたいな鬼人族の部屋でじゃないと見られない作法みたいなものだって聞いたけど。
「姫様、本当にごめんなさい」
ありゃ?
いつもの口調じゃない。
けど、なんていうかさ、年相応の言葉に感じるんだよね。
「どしたの? オルティアお姉ちゃん?」
デリラちゃんは布団に背を預けたまま、いつものように首を傾げてる。
うん、こんな状況だけど、デリラちゃんはお姉さんになっても可愛いな。
じゃなくて。
ごめんなさいのあと、まだオルティアは顔を上げないんだ。
「私、姫様のマナを全部食べてしまったんです」
「ほんと?」
「はいっ、その、とおりです」
「美味しかった?」
デリラちゃんは笑顔、笑顔のまた笑顔。
「はい?」
「デリラちゃんのマナ、どんな味だったの? 甘かった? しょっぱかった?」
そうきたかー。
オルティアは謝罪をしてるんだけど、デリラちゃんは興味津々。
まったくかみ合ってないこの状況。
ほら、ナタリアさん見たら俺と目が合っちゃって、優しそうに目を細めるし。
毒気を抜かれちゃった感じでさ、そのままデリラちゃんとオルティアに視線を戻して、のやりとりを苦笑しながら見守ってるし。
「その、ごめんなさい」
「はい?」
ありゃりゃ?
デリラちゃんが『よくわからない』って表情になって困り始めてる。
受け答えがデリラちゃんとオルティア逆になってるよ。
ナタリアさん見たらさ、口元に手ぬぐい当てて笑いを堪えてる。
こっちはこっちで珍しいわ。
そんでもって、オルティアはまだ顔を上げてない。
デリラちゃんは両手を伸ばして、もがくみたいにしてる。
きっと、わけがわからなくてさ、オルティアに近寄ろうとしてるんだろうけど、身体が動かないから、どうにもならないんだろうな。
「その、……ですね」
「うん」
「覚えていないんです」
「え?」
「いっぱいいっぱいだったからその……」
ナタリアさん見たら、うんうんって頷いてる。
「味わってる暇が、……なかったんです」
「そ」
「そ?」
「そ?」
俺とナタリアさんはつい、声を出しちゃったんだけど。
「そんなぁ……」
ありゃこっちも珍しい。
デリラちゃんがすっごく嫌そうっていうか、残念そうな表情、こんな風になるんだね。
眉を斜めにして、眉間にちょっとだけ皺寄せて。
口を半開きにして、いかにもな表情になってるわ。
ナタリアさんもう、くすくす笑ってる。
誤魔化せてないって、まったくもう。
「あのね、デリラ」
「はい、ママ」
デリラちゃんがちょっとだけ真面目な表情になったよ。
あぁ、見たことあるわ。
確か、強力の魔法を教わってるとき、こんな感じだった。
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