第百四十五話 成長したデリラちゃん。
もう六月も後半の二十三日。
あと十六日でこの月も終わるね。
そうしたらさ、三十九日でデリラちゃんが七歳になるんだよ。
ほんと早いもんだよ一年ってやつは。
デリラちゃんは六歳を過ぎて、すくすくとお姉さんになってきた。
デリラちゃんの活動の幅は城内では狭すぎて、あっという間に城外、城下町に『お忍び』に出かけるようになったんだ。
それも一人でだよ?
俺もナタリアさんも、父さんも母さんも、そのときの一生懸命なデリラちゃんの声に、お姉さんになった表情にも驚いたもんだ。
ぶっちゃけ、声にならなかったよ。
その晩ナタリアさん、声を押し殺して泣いてたんだ。
もちろん、嬉し泣きだった。
デリラちゃんの成長も喜んでるけど、何より俺に感謝をするんだ。
『あのとき集落で行き倒れてくれて、ありがとうございます』とか、ナタリアさんも何言ってるかわけわからなくなって笑っちゃったほどにね。
俺だってそうだったんだ。
俺の側から離れようとしなかったデリラちゃんが、一人で遊び歩くようになったんだ。
ちょっとだけ寂しくなっちゃったけど、それはそれでデリラちゃんがたくさん成長したってことだからって、ナタリアさんが言うからさ。
あー、俺も何言ってるかわかんなくなっちゃったよ。
それだけ嬉しいんだ、ぱぱもままもね。
▼
俺、いつものように作業に没頭してたんだ。
元々職人肌だったのかもしれないくらいに、時間忘れるんだよね。
「パパ、もうすぐごはんなの」
「ん? デリラちゃんだね。もうちょっと、あとここをね過ぎたらさ……」
これで今日の作業は最後のひとつ。
わかっちゃいるけどさ、きりの良いところまで終わらせないと気持ち悪くてね。
それに明日は仕事をなるべく休むようにする、いわゆる十三日に一度の『あの日』だから、半端な作業を残したくないんだよ。
「パパ? 駄目でしょ? みんな待ってるの。デリラちゃんもね、困っちゃうのよ?」
「はいっ」
慌てて後ろを振り向くとさ、右手を腰にあてて、左手の人さし指で意思表示。
デリラちゃんが何かをやらかしたときに、ナタリアさんが言って聞かせるときの仕草にそっくりなんだ。
その上、ナタリアさんがたまに俺に呆れるときのような、それでいてちょっと困った感じの表情。
その姿はまるで、小さいナタリアさん。
俺もたまにこんなふうにやらかして、全く同じ仕草のナタリアさんに怒られることがあるんだ。
きっとデリラちゃん、見てたんだろうな?
こんなときはナタリアさんのときと同じで、素直に謝るのが一番。
俺が全面的に悪いんだからさ。
「デリラちゃん、俺がわるかったよ。ごめんなさい」
「うん。デリラちゃんも言いすぎたかもしれないの。デリラちゃんもごめんなさい。うん、これでごめんなさいはおしまい。いっしょに行くの、はい、パパ」
こういう感じに最近は、以前よりも滑舌が良くなってきてるんだ。
前みたいに、年相応にちょっと舌っ足らずなデリラちゃんももちろん可愛かったよ。
でもさ、こうお姉さん染みてきたデリラちゃんは、もっと可愛いんだ。
そんな愛らしいデリラちゃんは、手を伸ばして繋げとおっしゃるわけだ。
「かしこまりました。デリラ姫」
俺は椅子から立ち上がって回れ右。
デリラちゃんの足下に跪いて、下から手をすくい取ってあげるんだ。
「えへーっ。デリラちゃん、お姫様だったの」
するとさ、俺の手のひらに左手の指先をちょこんと乗せて、右手の手のひらを頬にあてて、ちょっとうっとりした表情で微笑むんだ。
デリラちゃんは、自分がお姫様だということを自覚してる。
王城にいるときも、外でお忍びをしてるときも、人に見られているという自覚というか意識するというか、そんな感じが見て取れるようになったって、ナタリアさんも話してたっけ。
たぶんこの表情が、そのひとつだと思うんだ。
王妃様と呼ばれて、今でもかなり困ってるナタリアさんとは逆なんだよね。
俺の手を引いて先導してくれるデリラちゃんと、一緒に工房を出て行くとき思ったんだ。
デリラちゃん、やっぱり少し身長伸びた?
肩幅もちょっとだけ大きくなったかもしれない?
あの日俺の足に抱きついてきたデリラちゃんは小さく感じたけど、以前よりももっと元気なデリラちゃんを見せてくれるんだ。
他の国のお姫様は、ここまで元気いっぱいなのかわかんないけどさ。
悪いけどあっちの駄目な元王女たちよりは、立派なお姫様になると思うよ、デリラちゃんはね。
領都と王都の皆さんに向ける『大好き』の本気さは絶対に負けてない。
それにナタリアさんがほら、どーんと大きいから。
デリラちゃんも立派に育つと思うんだ。
『ウェル、何のことを言ってるわけ?』
はいっ、ごめんなさい。
『わかればいいわ。でも本当にデリラちゃん。すくすく育ってるわよね』
うん。
ナタリアさんも喜んでるし、俺もこの先が楽しみで仕方ないんだ。
『背中を見られるウェルはもっと、しっかりしないといけないわねぇ?』
わかってますって。
『ほんとかしら?』
▼
その夜、デリラちゃんの成長を肴に、ナタリアさんとお酒を飲んでたんだ。
明日は仕事をしちゃいけないから、もちろんナタリアさんも治癒の奉仕はお休み。
父さんも俺の代わりにやってくれてる国の公務が休みだからって、グレインさんたちと酒盛りの真っ最中。
母さんはお酒をあまり飲まないけど、おかみさんたちと一緒に楽しんでるらしいよ。
もちろん、エルシーもイライザさんもいるだろうし、最近はフォルーラさんも参加してるって話だからね。
グレインさんの家で入りきるのか心配になるくらい、大勢になってると思うんだけどね。
ま、俺が心配しても仕方ないけどさ。
ドアがノックされたからどっこいしょ。
別にいかがわしいことをしてるわけじゃないから、普通にドアを開けたら、そこにはぺこりとお辞儀なオルティアがいたんだ。
「若様、若奥様、でハ、失礼いたしますネ」
「うん。いつもありがとう、オルティア」
「オルティアちゃんも、ゆっくり休んでね」
「はイ、明日はゆっくりさ――え?」
オルティアが身体ごと後ろを振り向いたんだ。
彼女は首の装具をつけているから、そうしないと頭が落ちちゃうから。
その勢いで、首が装具から少しずれて、黒いもやのような『あれ』が漏れ出してた。
瞬間――
ドンッ
小さな音だった。
けれど、普段は鳴らない、あり得ない音。
『ウェル』
「うん、聞こえてる」
『ごめんなさい。お酒入っちゃって、油断してたわ』
「姫様っ!」
オルティアがもう駆けだしてた。
「デリラちゃん?」
『音の方角はそうだわ。わたしもすぐに行くから』
「うん。わかった。俺も向かう」
「あなた……」
「俺が先に行ってる。あっちで待ってるから」
「はいっ」
俺はすぐに、オルティアの後を追った。
うわ、オルティアの足、めちゃくちゃ速い。
これ、強力を限界まで引き出してたりしない?
俺の部屋からデリラちゃんの部屋は少し離れてる。
それなのにもう見えなくなってるよ。
デリラちゃんの部屋の前、ドアがこじ開けられてる。
オルティアがやったんだろう。
「デリラちゃん、大丈夫か?」
何かが燃えていたのか、やたらと焦げ臭い。
ジャリッとした足から伝わる感触。
もしかしたら、部屋中燃えてたんじゃないか?
窓が破壊されてるからか、外へ煙が逃げてる。
けれど、何も見えやしない。
「わ、若様……」
オルティアの声を頼りに振り向くすると、そこに小さな白い髪が見えた。
やっと煙が消え始めたのか、それとも俺の目が慣れたのか。
黒焦げになった床の上で、オルティアの姿が確認できる。
誰かを背中から抱きしめてる、間違いなくデリラちゃんだろう。
ただ、彼女の腕から先、いるはずのデリラちゃんが見えない。
オルティアがすすり泣きをしてるのだけはわかった。
俺はとにかくオルティアごとデリラちゃんを抱き上げた。
よく見ると、オルティアの首から黒いもやが出ていて、デリラちゃんをすっぽり包みこんでる。
おそらく、オルティアが何かを感じて、そうやったのは間違いない。
外に出て、後を追ってきてくれてるナタリアさんのいるはずの場所へ走った。
「ぱぱ、ごめんな、さい……」
そのときデリラちゃんの声が聞こえたんだ。
くぐもった感じがしなかったからきっと、オルティアは包んでいた黒いもやから、デリラちゃんを出してくれたんだろう。
「いいから。大人しくしてる」
意識はある。
「姫様のマナ、暴走してました。私その、ごめんなさい。姫様守るためにマナ、食べるしかなかったです」
オルティアの身につけてる服も、あちこち何かで焦げてしまったようになってるから。
「うん。なんとなくわかる。ありがとう、オルティア」
デリラちゃんは、慣れてない『何か』をやって、マナの制御をしくじったんだろう。
ただ、爆発するって、何が起きたのか、それこそ何も思いつかないんだよ。
「あなた。あたしたちの部屋に」
ナタリアさんが大声で、俺の部屋の前から声をかけてくれてる。
「あぁ、わかった」
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