第百七話 取り残されていた、その正体。
首から先がなく、そこからゆっくりと流れ落ちる、漆黒のどろりとした何か。
俺は血だと思っていたんだけど、エルシーの指摘のあとに、よく見ると確かにどこかおかしい
「ほら、聞こえない?」
「何が?」
足下の音が出ないようにし、耳を澄ましてみる。
すると、か弱い音が聞こえてくる。
――おぉおおおおん
秋口にいるような、林の中で虫が鳴いているようなか細い音。
それは、その少女の肩のあたりから聞こえてくるような、そんな気がしてならない。
「ルオーラさん。ここ。ここを照らして」
『か、かしこまりました』
俺が地面に手をついてるんだけど、その手にその黒い何かが寄ってくるんだ。
「な、なんだこれ?」
それは、あっという間に俺の手首を覆ってしまうんだけど。
何か、嫌な感じがしないんだよな。
「あ」
「どうしたの、ウェル」
「あぁあああああ……、エルシーにマナをわけてあげたときみたいに、何が身体からじわじわっと抜けてく感じがするんだよ……。これ最初はちょっと気持ち悪い感じがしたけど、慣れてくると気分はそれほど悪くない。なんだか不思議な感覚」
エルシーが彼女の身体を抱き上げたんだ。
それでもまだ、首から流れ落ちる何かが、俺を逃がすまいとまとわりついてくる。
でも、状況が変わってきたみたいだ。
「ウェル。この子、胸の上下が大きくなってきたわ。そのまま続けて」
「あ、うん。別にいいけど。どうせ底なしだろうから」
この子の首から流れていた意味不明な黒い霧状?
いや液状の何か、うん、よくわかんないけど。
それは五十ほど左側にずれたあたりに、足下の窪みがあったみたいで、そこに溜まっていたようだ。
まるで、それ自体が生きているかのように、俺の手にまとわりついてくる。
ただ、実体がないようにも思えるんだ。
それ自体に、重さを感じないから、うんやっぱりよくわかんないや。
ややあって、マナの吸われ方が弱くなってきたそのとき、
「……あ」
「ウェル。今の聞こえた?」
「うん。ルオーラさん」
『はい。聞こえました』
「……あ、あノッ」
俺たちとはちょっと、話した感じがずれてるような気がするけれど。
可愛らしい少女の声が、俺の足下から聞こえてくるんだ。
そもそもここは、大陸を二つほど超えてきた場所。
言葉が通じるかもしれないだけ、マシだと思わなければならないだろう。
同時に、俺の手元、いや、少女の首元あたりから、
『みょぉおおおおおおんんんん――』
それでもさっきよりははっきりと聞こえてくる、か細くも奇妙な音。
いや、聞き慣れてくると、なんだか可愛らしいかもしれないわ。
「ウェル。あなたの前」
「前? ……あ」
黒い何かが溜まっていたはずの場所に、その黒いもやもやしたものにつながっているような、そんな物体。
いや、物体じゃない。
後ろ向き。後頭部。
白い髪の、女の子の頭がそこにあったんだ。
「そう。こういう種族の子、だったのね」
ここは魔族領なんだ。
さっき聞いた羊魔族という名前だって、初めて耳にしたんだよ。
俺たちが予想しないことが起きたって、不思議じゃないんだ。
『ウェル。この子、おそらくだけどデュラハンという種族だと思うのよ。わたしも書物で読んだだけだから、はっきりとはわからないけれど』
なるほど、デュラハンね。
俺たちも知らない種族の子がいたって、べつに不思議じゃないんだ。
そりゃ、ちょっとは驚いたけどさ。
「も」
「も?」
「もちあげてくれたラ、嬉しいでス」
「あらあら。ごめんなさいね」
そう言ってエルシーはそっと、彼女の頭部を持ち上げた。
裏を返して顔を見ると、白目部分の少ない、黒目がちな三白眼。
肌の色は青白い。
いや、青みがかった白さって言うのか?
頬にそばかすがある、少し幼い感じのする可愛らしい女の子だった。
首が身体から離れてるという、違い以外はね。
「ウェル。身体の方、お願いね。ルオーラさん、とにかくここを出ましょうか?」
「うん。わ、わかった」
『かしこまりました』
俺はこの子の身体を横抱きにしようとしたんだけど、首がないからかもの凄く難しかった。
だらんと両手足を投げ出して、眠るデリラちゃんで慣れてなかったら、きっと大変だったと思う。
洞窟の外に出てきて、集落だった場所の中へ。
ここに来るまでの間も、『みょぉおおおん』という可愛らしい音は聞こえてたんだけどね。
これって、この黒いもやもやしたところから出てるのかな?
抱き上げてるから近いせいか、さっきよりもよく聞こえるんだよね。
それにしても……。
エルシー、聞こえるよね?
『えぇ、聞こえるわよ。どうしたの?』
この子の身体、あちこち噛み傷だらけで、服も同じようにほつれてるんだ。
けれどやっぱり血の匂いもしない、それにどこにも傷が見当たらないんだよ。
『そう。そのあたりは折々わかるでしょう。今はこの子が無事だったことを喜びましょう』
うん、そうだね。
エルシーがこの子に話しかけながら、どこに家があったか探しながら進むことにした。
すると、集落の外れに位置する、比較的壊されていない、ベッドのある家に戻ってきた。
そっと寝かせてから、横にエルシーも座る。
膝の上に、彼女の顔をそっと抱えて微笑んだ。
「わたしの名前はエルシー。あなた、お名前は?」
エルシーが優しく聞いてくれる。
「は、はイ。ここではしろかみちゃん。と、呼ばれていましタ」
「白髪だから、しろかみちゃん、なのね。名前は、ないのかしら?」
「はイ。お母さんがいませんのデ……」
「そうなの。あなたは今、お幾つかしら?」
「はイ。十になったはず、でしタ」
あら、デリラちゃんより五歳も年上だったんだ。
十歳か。
話し方に特徴はあるけど、思った以上に滑舌がはっきりしてる。
それにしたって、お母さんがいなくなるとか。
過酷な生活送ってたんだな、……いったいこの子の身の上に、何があったんだろう?
「名前がない理由はわかったわ。お母さん、どこへ行ってしまったのかしら?」
「わかりませン。ただ」
「ただ?」
「アティロおじさん、ナティマおばさんハ、言ってましタ」
アティロおじさん?
ナティマおばさん?
もしかして、この子の育ての親みたいな?
「なんて言ってたのかしら、ね?」
「ないのデ、つれて行けなイ。そう、言ってタ、そうでス」
何がないって、いうんだ?
種族的な何かなのか、うん、やっぱりよくわかんないや。
「……そう。大変だったのね」
「いいエ。やさしくしてもらってますかラ」
「アティロおじさん、ナティマおばさん。お二人は、『羊魔族』でいいのかしらね?」
「はイ」
エルシーが何度か、細かく聞き出したところでは。
母親はいたらしいけれど、彼女を預けてどこかへ旅立ってしまったらしい。
預けられたときには、まだお母さんがいたことも覚えていないくらい小さかったってことか。
おそらく、何らかの理由があって、この子をここに預けていったんだろう。
「アティロさんたちは、どこへ行ってしまったの?」
十歳の子供には少々酷な話かもしれない。
けれど、状況から考えて、ここにいた人たちが魔獣に襲われた感じがしないんだよ。
「はイ。逃げてもらいましタ。わたシがおとりになりま――」
「何だって?!」
俺はつい、声を荒げてしまった。
「ひッ」
「あぁあああ。つい」
「ウェル」
「あ、ごめんなさい」
「ごめんなさいの相手が違うでしょう?」
「そうだった。しろかみちゃん、でいいのかな? ごめんね、驚かせてしまって」
クスクスと笑ってくれた。
よかった。
「わたシ、デュラハンだと言われましタ。だかラ、だいじょうぶなんでス」
『あぁ、なるほど。それなら納得とも言えます』
「ルオーラさん、何か知ってるの?」
俺は後ろにいたルオーラさんを見た。
エルシーも、しろかみちゃんも見てる。
『あくまでも、知識でしかありませんが、魔族領のどこかに、里を作らないほど少数存在する、デュラハンという種がいると耳にしたことがあります』
「うん」
『我々や姫様たちより、どちらかというとエルシー様のような存在に近いそうです』
「エルシー? あ、精霊?」
『彼ら、彼女らは、不老ではありませんが、不死的存在ではないかと噂されているのです』
「不死?」
『朽ちることはあっても、滅ぼすことは難しい存在がいると教えられました』
「まるでウェルみたいじゃないの」
「ちょっと、何でそこで俺が出てくるんだよ?」
「だってねぇ、ウェルはほら『あれ』だから」
『なるほど、そう言われてみると、しろかみさんが、怪我をしない可能性は納得できてしまいますね』
「二人ともひでぇ……」
しろかみちゃんが、笑ってる。
ま、いいか。
結果的に、この場が明るくなっただけでも。
「あ、そういえばさ、俺のときもそうだったけど、ルファーマさんに群がった魔獣。もしかして、同じ物を追いかける習性があるのかも」
「良いところに気づいたわね。群れをなす魔獣は、そういうのもいるのは確かね。それでね、しろかみちゃん」
「はイ」
「アティロさんたちが逃げたのは、どれくらい前だったの?」
「はイ。えっト、んっト、これくらいでス」
しろかみちゃんの手元、指が三本立ってる。
「三日くらいかしら?」
「はイ」
「しろかみちゃんがあそこに逃げて、どれくらい経ったのかしら?」
「はイ。おとといくらいなのデ……」
「ウェル」
「うん。ちょっと待って。……えっと、あった」
俺は腰に下げた小さな鞄に入った、小さな練り菓子を取り出す。
領都にいる菓子職人さんが昔から作ってるものでね。
疲れたときに、これ、沁みるくらいに美味しいんだ。
デリラちゃんもナタリアさんも、最近お気に入りの逸品。
俺はそれを、エルシーに二つほど手渡した。
「しろかみちゃん。口開けてくれる?」
「はイ。……んっ! あ、甘いでス」
両側の口角が少しつり上がって、頬を押さえようとしてるのか、ベッドに寝てる身体の手が宙を描いてる。
「美味しいでしょう?」
「はイ……」
もしかしたら、二日も何も食べてないんだ。
こんな子供には、それこそ危険どころの話ではないから。
エルシーも慌てたんだと思うよ。
「おなかすいてたでしょう? 大変だったわね」
「あ、わたシ。魔力が切れたら、すぐ寝てしまうんでス」
「魔力?」
『ウェル様。魔族領の一部では、マナのことを魔力と呼ぶ地域もあるようですから』
「あぁ。そうなんだ」
「とても美味しい魔力を食べたのデ、そんなにお腹、減ってないでスよ」
あぁ、俺がマナをわけた感じになったんだね。
俺のマナが美味しい?
何だいそれ?
『ウェル様。エルシー様。ルオーラ、さん』
ルファーマさんだね。
相変わらず、ルオーラさんだけ呼び方に詰まってる。
『ルファーマ、静かにしなさい。子供がいるのです。驚いてしまうではありませんか?』
『あ、も、申し訳ありません……』
『それで、何の報告です?』
族長の旦那さんとはいえ、ルオーラさんにかかっては、ルファーマさんも年下のグリフォン男性なんだろうな。
『羊魔族を発見しました』
なんと、そういうことだったんだね。
朗報じゃないか。
お読みいただきありがとうございます。
この作品を気に入っていただけましたら、ブックマークしていただけたら嬉しいです。
書き続けるための、モチベーションの維持に繋がります、どうぞよろしくお願いいたします。




