第九十五話 烙印の変化? その1
八月に入ると、朝晩はかなり涼しくなってきた。
クレイテンベルグは元々、足下を深く掘ると湯の出る地域。
冬の長いこの地域も、そのおかげで暖かい生活を送ることができてる。
身体の弱かった父さんが、少しでも暖かい場所で静養するようになって、移り住んだのが領都だった。
ここ、王都も領都と同じように、深く掘ると湯が湧いた。
だからこの城にも、お湯を引いていて、いつでも暖かい風呂に入ることができるんだ。
もうじき、俺とナタリアさんの誕生日になる。
去年は俺と母さん、父さん三人で食事をして祝ってもらった。
けれど今年は、大家族どころか、国中で祝うことになりそうなんだよね。
忘れてたけど俺は国王で、ナタリアさんは王妃様。
祝ってもらえるだけ嬉しいからいいんだけどさ。
俺はほら、毎年一年はじめ、一月の最初の日に、皆さんの前でありがとうを言ってたから慣れてるけど、ナタリアさんはどうなんだろうね?
きっと顔中真っ赤になっても、一言二言はありがとうをしてくれると思うんだ。
――ふぁああああっ。
楽しいことを考えながらも、手を止めずに動かしてたみたいだ。
俺も職人になってきてるのかな?
ま、……それにしてはちょっと、頑張りすぎたか?
寝室行ってさっさと寝よう……。
▼
「――ぱぱー。ぱぱー。おーきーてーっ。ごはんだからおきるのーっ」
……デリラちゃんの声だ。
俺とナタリアさんの寝室は、明かりをつけていない。
冬場だから雨戸にあたる引き戸を閉め切ってる。
このあたりは、領都にある父さんの城の造りと、鬼人族の習慣の融合なんだよね。
だから明かりを消すだけで、真っ暗になる部屋なんだ。
目を開けても光が差してこない。
だからぐっすり寝られるんだよ。
……あ、あぁそっか、俺また、寝過ごしちゃったんだな。
布団の上でひとつ伸びをして、深呼吸。
吐く息が白くなるほど部屋は冷えてるけれど、頭はすっきりしてくる。
俺はデリラちゃんの声の聞こえる方向を見て、
「はいはい、ありがとう。今起きるから」
デリラちゃんにそう返事をする。
俺の声を聞き取ってか、彼女はドア越しに聞こえるほどの大きな声で、
「ままー、ぱぱおきたー。ぱぱあとでねー」
台所という名の厨房にいるはずのナタリアさんへ、俺が起きたことを伝えてくれる。
特徴のあるぱたぱたとした、子供らしい足音が遠ざかっていった。
デリラちゃんは六歳になるあたりからお姉さんになったようで、人に対する思いやりや気遣いなどをナタリアさんが教えてるんだろうね。
声をかけてくれるけど、俺が着替えをしてないことを知ってるようで、部屋の中まで入ってくることがなくなったんだ。
寂しいといえば寂しいけど、成長したことを嬉しくも思うんだ。
複雑な気持ちだよ、父親としては。
最近俺は、仕事が面白くてつい、遅くまで作業に明け暮れることがあるんだ。
魔石の制御に慣れてくると、最初に作ったときよりも、更に細いものが作れるようになる。
そうなると、もっと凝った意匠のものが作れるようになるんだよ。
グレインさんが二晩も三晩も、作業に没頭するのがわかるような気がするんだ。
とにかく、物作りは楽しくて仕方がない。
特にね、俺が作ったものを見て、デリラちゃんが、ナタリアさんが嬉しそうにしてくれたのが、たまらないんだよ。
ナタリアさんは最初、あまりの高価なものに驚いて、半分怒ったような表情になったっけ。
デリラちゃんは、ナタリアさんの腕にある腕輪を羨ましがった。
すかさず俺は、デリラちゃん用の腕輪を取り出し、彼女の小さな手を通した。
満面の笑顔になったデリラちゃん。
そういや、母さんに初めてドレスを着させてもらったときのデリラちゃんもさ。
自分のことを『かわい?』って何度も聞いてきたっけ。
デリラちゃんは綺麗なものが大好き。
可愛くなることが大好き。
女の子って、どんなに小さくても女性なんだ。
改めてそう思ったよ。
だから昨夜も、晩ご飯を食べて、風呂に入って。
デリラちゃんが寝付いた後にまた、工房へ戻って作り始めちゃったんだよ。
彼女が欲しくなるような、そんな可愛らしい宝飾品ができるようにってね。
魔獣の討伐をほぼ、ライラットさんたち若い勇者さんに任せて、俺は王都の開拓に携わるようになった。
街道の敷設が終わると、次は農園つきの家々。
鬼人族の職人さん、領都の職人さんたちの指揮をとりつつ、先頭になって汗をかいた。
そりゃもう、楽しかったんだよね。
ある程度見通しがたつと、俺のやることはなくなっていったんだ。
そりゃそうだよね、なんせ職人さんたちの方が、手は早いし仕事は丁寧だ。
化け物じみた力を持つ、俺が必要な部分はあっさりと終わっちまう。
だからかな、デリラちゃんの誕生日が過ぎたあたりで、やることがなくなっちゃったんだ。
そこで新たに生きがいのようになったのがこの、魔石や空魔石を使った宝飾品作りだった。
空魔石自体は言葉の通り、魔石から魔法回路を使ってマナを取り出した抜け殻みたいなもので、加工するのは普通の職人には難しすぎる。
他へ使いようがないから、取引されることも少なくて、それほど高いものじゃないらしい。
かといって、元は高価な魔石だから、捨てないで取って置いたものがそれなりに数はあったそうなんだ。
光に当てると、美しく光る性質をもっていたから、加工のあまり必要のない宝飾品に使われていた。
空魔石の周りを金属などで囲み、女性向けの指輪など、宝飾品にするのが一般的だったみたいだね。
ナタリアさんやデリラちゃんがつけてるみたいな、魔石の多いものは高額になるけど、空魔石で作ったものはそれなりの価格に抑えられた。
王都や領都のみなさんでも気軽に手が出せる価格になってからは、バラレックさんの商会でも人気の商品になってるらしい。
俺みたいな、なりたての職人が作ったものでも喜んでもらえる。
だからつい、頑張って作っちゃうんだよね。
デリラちゃんの『ぱぱおきたー』から、それなりに時間も経ってる。
さて、そろそろ起きて着替えないと、ナタリアさんが心配する。
あ、足音が聞こえてきた。
これって表現しづらいんだけど、ほかの人とちょっと違うんだよ。
ほぼ間違いなく、ナタリアさんだと思うんだ。
音をあまりたてずにドアが開いた。
「あなた。やっと起きたんですね?」
ほら、やっぱりね。
「あ、ごめん。昨日はちょっとね」
「ほんと、仕方ないんですから。はい――」
俺を引き起こそうとするような仕草で、手を伸ばしてくる。
こうなっちゃ俺も、起きないわけにはいかないから、右手を出すんだよ。
なにせ、ナタリアさんは、場合によっては俺なんて簡単に持ち上げるくらいの強力を使うんだから、素直に言うことを聞くのは当たり前なんだよね。
抱き起こされちゃったりしたら、恥ずかしいどころじゃなくなっちまうからさ。
「あら? あなた」
「ん?」
ナタリアさんが首を傾げる。
俺に近寄ると、やや険しい表情になるんだ。
エルシーや父さんみたいに深酒をしてるわけじゃないから、顔色がどうこうってわけじゃないと思うんだけど。
『あら何気に失礼ね』
エルシーが、俺の頭に直接話しかけてきた。
あ、聞いてたんだね。
別にそういう意味じゃないんだってば。
『仕方ないでしょう? あの子たちがある程度以上に育っちゃったものだから。わたしもあまりやることがないのよね』
あの子たち、あぁ、ライラットさんたちのことね。
エルシーは若き勇者さんたちの剣術の顧問なんだ。
母さんは槍術だったから、俺の剣術はエルシーに教わったようなもの。
何せエルシーは、武具全般に詳しかったみたいだからね。
エルシーの身体を構成してる、青い魔石の大太刀を扱う、鬼人族に伝わる剣術の文献を読んだだけで、あっさりと理解して、俺に教え直したくらいだからね。
『褒めても何も出ないわよ?』
感謝してますって。
『そうやってすぐ誤魔化すのも悪い癖なのよね……。ほら、いいから早く起きてあげなさいな。ナタリアちゃんが心配するわよ』
わかってます。
「あなた、その首元」
「俺の首元? 昨日は別に、ナタリアさんと仲良くしてたわけじゃ――」
「な、何を言ってるんですかっ! ……ってそうじゃなくですね。ちょっとじっとしていてください」
耳まで真っ赤になってる。
可愛いよね、ナタリアさんも。
『いい加減にしなさい。ウェル、悪い癖よ』
「はい、ごめんなさいっ」
「……脈絡のない返事。一体誰に謝っているんです? きっとまた、エルシー様に怒られたんでしょう? ほんと、大きな男の子みたいで仕方のない人ですね」
「ナタリアさんにまで言われてるし」
「あ、これ。あなた、ちょっと上を脱いで」
「どうしたの? 別にいいけど」
俺は寝間着の紐を解いて、前を開けた。
「は、恥ずかしくてあまりじっと見ることがなかったのですが、これはおかしいわ」
俺があの日、鬼人族の集落で初めて魔獣に向かっていったときみたいな、怖い表情になってるナタリアさん。
何を心配してくれてるんだろう?
「ちょっと待ってください」
そう言うと、ナタリアさんは部屋を小走りに出て行った。
「ぱぱ」
ドアの陰から顔をそっと、こちらをのぞき込むようにしてるデリラちゃん。
「ん?」
「おはよぅ」
「おはよう、デリラちゃん」
「かお、あらわなきゃだめなの?」
「あ、うん。わかってる。ちょっと待ってね?」
「あいっ」
デリラちゃんにまで注意されてる。
ほんと、お姉さんになったね。
ぱぱは嬉しい。
『ウェル。何かあったの? ナタリアちゃんが、凄く心配した表情でわたしを呼びに来たのよ』
いや、俺もよくわかんないんだけど。
俺、そんなに顔色悪かったのかな?
いや、違うか。
それならナタリアさんが治癒をするはずだし……。
『いいわ。わたしもそっちに向かってるから』
ほんと、世話をかけてごめんなさい。
『いいのよ、いつものことですもの』
ナタリアさんがエルシーを連れて、戻ってきた。
「あ、エルシー、おはよう」
「……ウェル。あなたそれ、どうしたのよ?」
「ん? どれ?」
「ナタリアちゃん。手鏡あったわよね?」
「はい。エルシー様」
ナタリアさんは、自分の収納家具を探して、丸い手鏡を持ってきた。
「ウェル。あなた一日に一度くらい、顔を見てないの?」
「いや、俺、男だし。髭くらいは、手触りでわかっちゃうから、見なくても――ってな、なんじゃこりゃっ?」
びっくりした。
俺の肩から首筋に至るまで。
二匹の黒い龍の烙印がまるで育ってるかのように、大口を開けて噛みつこうとしてるかのように見えたんだ。
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