4 解散!
とはいえ今は、プライドよりも何よりも時間が惜しい局面だ。
これから会おうとしていたバルディーニ伯爵夫人が持つ情報をこの男から得られるなら、ものすごく時間の節約になる。なにせ夫人はものすごくおしゃべり好きで話が長い。
一方でフランツは、テレーザとは一秒でも長く話していたくなさそうだ。目的さえ達成できるなら、こちらのほうが都合がいい。
問題は、おしゃべり(とテレーザが)嫌いなこの男は、聞いても教えてくれない可能性が高いところだ。
どう聞いたら、教えてくれるだろう。エミリオ殿下は今夜、ここにいるのか、どうか。
「……オペラに興味がないと噂の、あなたとエミリオ殿下をお呼びできたんだもの。今夜の公演は大成功だと、各紙がきっと絶賛するわね?」
テレーザが人畜無害な笑顔で投じた釣り針に、目論見通り、フランツは目元を眇めてそっけなくながらも、応じた。
「勘違いをしているようだが、エミリオ殿下はいらっしゃっていない」
「あら、そうでしたの」
軽い返事とは裏腹に、心の内では満面の笑みが広がる。
第二王子はここにきていないらしい。存外、簡単に必要な情報を得られた。
「てっきり上司の方とのご観劇に、殿下もご一緒してるのかと思ったわ。あなたとエミリオ殿下はとても仲がよく、頻繁に軍のお話もしているとカルロ殿下からお聞きしていたから。ああでも、あんまりひきとめてはその上司の方に失礼ね。ではごきげんよう」
「コッラーロ伯爵令嬢、何を企んでいる?」
迅速に引き上げようとしていたテレーザは、刺すような問いに固まった。
だがすぐに持ち直し、きょとんとした顔を作って小首をかしげて見せる。目薬をさした目がうるうると潤み、いつもより瞳孔も大きく見えていることを見越してぱちぱちと瞬きも付け加える。フランツの探るような、怪しむような目つきにも動じずに。
「あれだけ熱烈にカルロ殿下と抱き合っておきながら、なぜ一人でいる。カルロ殿下に近づく他のご令嬢方を罠にはめて遠ざけておきながら、今度はなぜエミリオ殿下を気にしているんだ」
「あら、見てらしたのね、お恥ずかしい。……実は、眩暈がしたところを殿下に支えていただいて。体調がよくないから、わたし今夜はもう帰ろうかと」
「鞍替えか?」
図星を指されても、そのことは表情の一片にも、髪の一筋にも見せはしない。
テレーザは完璧な微笑を浮かべて「あらあら」といなしてみせた。
「どうしてそう思うのかしら。まるでわたしが稀代の悪女みたいに」
「違うのか? 各地の集まりでライバルとなりそうなご令嬢のスカートを汚しては帰らせ、招待状をすり替えて閉め出し、あまつさえ他の独身男とめあわせて、次々に蹴落としてきた君が」
テレーザはたっぷり二秒間心臓を凍らせて、動揺を抑え込んだ。目の前の男はこちらの後ろ暗いところについて、思っていたより詳細に把握しているらしい。
だが動揺が収まると、入れ違いに湧き上がったのは怒りだった。
「……今のお話、なんのことだかよくわからないわ。誰か他の方とお間違えに?」
言いながら、テレーザの中でフランツに対する軽蔑が積み上がる。
フランツがこんなにも王子妃レースの裏側について把握しているなら、テレーザの方もまた、ライバルたちからそれなりの攻撃を受けていたのも知っているはず。なのに、テレーザだけが卑怯者とでも言いたげに責めてくる。
理不尽だ。
――そういえば、このフランツが少し前に見慣れない令嬢をエスコートしていたと噂になったことがあった。
そのときは何も思わなかったのだが、もしかしたらその令嬢は姉妹のいないフランツが、カルロの婚約者にと用意した遠縁の娘か何かだったのかもしれない。そうなると、フランツが王子妃関連のことについてテレーザにことさら強い敵意を示してくることに合点がいく。この男もまた、コッラーロ家に負けていたのだ。テレーザの知らないところで、勝手に。
だがフランツのいちおしの娘がカルロを射止められなかったからって、テレーザたちには関係がない。
たとえ、ローベルシアの年頃の娘を抱える卑怯者たちの中で、父娘合わせて一番卑怯だったとしても。
(……でもご安心なさい、フランツ・ディ・フェッロ。あなたの大事なカルロ殿下は、明日の朝には魔女の手から解放されたとわかるでしょうから)
代わりに、もう一人の王子をいただくけれど。
「ディ・フェッロ卿、あなたの勘違いを責めたりはしないわ。誰だって勘違いくらいするし、わたしも……ああ、考え事をしていたら頭がくらくらしてきた。先ほど殿下に寄りかかってしまったことといい、本当に、今夜は調子がよくないみたい」
本格的に引き揚げる段階に入ったテレーザは額をおさえ、苦しげに眉を寄せてふらついてみせた。
突然の豹変に驚いたのか、フランツは目を丸くしてこちらへ腕を伸ばしかけたが、予期していたロべルトがそれより素早くテレーザを支える。
「見苦しいところをお見せしてしまったかしら。どうぞ寛大な心でお許しになってね、ディ・フェッロ卿。……もうわたしはお暇させていただきますけど、せっかくの夜よ。たまにはあなたもローベルシアのオペラを楽しんで」
テレーザはこの後の段取りを頭に描きながら体勢を整えると、そのまま軽い挨拶とともに通り過ぎていこうとした。
――だがそれは、手袋越しの大きな手に腕を掴まれ、阻まれる。
あまりにも予想外の不躾さに、テレーザはぎょっとして声を荒げた。
「な、何するの!?」
「……体調が悪いのなら、王族の休憩室に行けばいいだろう。カルロ殿下はきっと君の使用を許してくださる」
獲物を捕らえた男がひときわ低い声で提案することは、この後のテレーザの段取りをすべて潰すものだ。
冗談ではない。テレーザは自分の中の余裕がざっと波が引くように消えたのを、どうすることもできなかった。
「……ご心配どうも。でもあなたにご提案いただく必要などないわ。わたしの体のことも、わたしと殿下のことについても、あなたは何も関係ないのですから」
それまでとは打って変わって冷ややかな声に、フランツの眉がぴくりと動く。
構わず、テレーザは拘束から逃れようと、掴まれた腕を強く引いた。
すると、腕は予想以上にあっさり解放された。自由を取り戻したテレーザは、黙った男をひと睨みして背を向ける。
「ぼうっとしてないで止めてちょうだい、ロベルト。人に見られたら、わたしが卿を誘惑していたと誤解されてしまうじゃない」
不機嫌な声が、置き去りにした男にも聞こえるよう言いながら、テレーザはその場を後にした。
あらすじ詐欺状態ですみません。そのうち追いつくはずです…。




