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2 主題の繰り返し

2017年12月11日の活動報告を一部加筆修正したものです。

 くろしお出版の『基礎日本語文法』を読んでいたら興味深いことが書いてありました。第Ⅲ部第11章2節、繰り返しについてです。

 以下に引用します。



『主題を省略せずに、繰り返す場合、場面の転換があることが多い。

 例(24)田中に会った。忙しそうだった。田中はいつも忙しそうにしている。

 (24)では、「田中」が話題の中心であるが、「田中」を省略していない文では、その場面の状態でなく、田中のいつもの性質を説明している。この場合、2番目の「田中」を省略すると、この場面で話者が持った感想の報告になる。』



 言われてみればそんな気がします。

 主題を省略せず繰り返す場合に場面の転換があるというのは確かにそうかもしれません。

 一方、省略した場合、つまり上記の例だと「田中に会った。忙しそうだった。いつも忙しそうにしている。」となるわけですが、この「いつも忙しそうにしている」は田中の様子に対する話者の感想だと、この本では述べています。



 とても微妙なニュアンスの違いで、分析するのが難しいです。

 個人的な感覚ですが、主題を繰り返す文と省略した文を見比べると、確かに繰り返す文はより客観的で、省略した文はより主観的な印象を受けます。

 省略した文の方が口語的だからかもしれません。



 省略した文からは、話者が田中の忙しそうな姿を何度も見ている、あるいは話者が会う度に田中は忙しそうにしている、というようなことが想像できるように思います。

 「こいついつも忙しそうにしてんな」という感じになるのでしょうか。



 うーん、難しいです。

 でも、自分で文章を書く時に主題を省略するか否かは結構迷ってましたし、わりと感覚でやっていたので、今後は場面の転換を意識してみようと思います。

【参考文献】

益岡隆志、田窪行則(1992)くろしお出版『基礎日本語文法・改訂版』

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