第6話 魔法創者
お久しぶりです。
長い事書いてなかったから物を書く感覚が行方不明。
「痛い……死ぬ、死んじゃう……」
俺は今、満身創痍の体を引きずって風呂場への道を歩んでいた。
あの後、『身体強化』を使ってお祖父様と打ち合った。
それはそれは激しい物だったが、結局『身体強化』を使っていない状態のお祖父様に一太刀も入れる事が出来ないまま、地面に突っ伏す事になった。
ボロボロになった服が、その訓練の激しさを如実に表していた。
両手の袖は消し飛んでおり、膝の辺りは擦り切れて無くなった。腹部の布も幾筋もの線が走り、全身の衣服が存分に切り裂かれている。
ていうか木刀で布を切るって何それ。
因みに『身体強化』とは読んで字の如く、魔力を使って身体能力を引き上げる魔法だ。下半身に使えば脚力が上がり、上半身に使えば腕力が上がる。勿論全身に掛ける事も出来る。
特に詠唱は要らずイメージだけで即発動出来る為、近接戦闘には必須の魔法なのだ。
しかし当然の如くデメリットもある。
例えば実際の戦闘の場合、常に命の危険に晒されている。その状況で『身体強化』を常時維持すると言うのはなかなかに難しいらしい。目の前の敵に割くべき集中力を、魔力操作の方にも回さなくてはならないからだ。
故に、実戦で使う場合はそれなりに訓練を積む必要がある。
次に消費魔力の問題。
体中に常時魔法を掛け続けると言うのは想像以上に魔力を消費する。攻撃魔法などは一度発動すればそれっきりの魔力消費だが、『身体強化』は発動させている間は常に魔力を一定量ずつ消費するからだ。
なので『身体強化』を使用する場合は、インパクトの瞬間にだけ使用するのが最も正しい使い方だ。
しかしそうすると、戦闘中に発動させたり停止させたりしなければならず、煩わしい事この上無い。集中力も散漫になってしまう。
故に、常時発動させるよりもさらに厳しい訓練を積む必要がある。
さらに、反動の問題。
この世界の人間は鍛えれば鍛える程に強くなる。
それこそ木刀で大岩を打ち砕く様な人間だっている。
真剣で斬りつけられても小さな切り傷程度で済む様な人間だっている。
様々な装備を身に着けたまま、100メートルを5秒程度で駆け抜ける様な人間だっている。
しかしどこまで行っても結局の所、体は人間の物だ。あまりに強力な『身体強化』を使ってしまうと、その力の増幅に体が耐えられずに自壊してしまうらしい。
限界が精々2倍程度の強化率。瞬間的な強化なら3倍程度まで。それを超えると自分の身を滅ぼす事になると、お祖父様は言っていた。
最後に、発動中は他の魔法が使えなくなるという事。
これは他の魔法を発動することで身体を覆っている魔力が乱れてしまい、効力を失う事に因る。
勿論それは使い手が魔力操作・魔力制御に相当長けている場合はその限りではないそうだが、それを出来る者は多くはないようだ。
ちなみにお祖父様は『身体強化』と他の魔法の併用は出来るらしい。化け物ジジイめ……。
とまあ、そんなこんなで『身体強化』は結構穴の多い魔法なのだが、やはり実戦で使われる事もそれなりにあるようだ。
今の俺が使ってもそこまで大した効果は無いのだが、成長してからだとやはり違うのだろう。
しかし本当に体中が痛いし気だるい。
目立った傷はお祖父様の回復魔法で癒して貰っていたものの、細かい傷については『痛みを我慢するのも一つの修行』だとかで治して貰えなかった。
加えて、外傷は治せても体に溜まった疲労は回復魔法では癒せないらしく、休息を摂って自然に取れるのを待つしか無いらしい。
今は重い疲労感が、全身にのし掛かってきていた。
そうして修練場から牛歩でフラフラと進む事数分。目の前の曲がり角からスッと人影が出てくるのが見えた。
「お疲れ様です、エレン様」
「……ありがと、カタリナさん」
角から出てきたのはカタリナさんだった。どうやらそろそろ終わる頃合だとここで待っていてくれたらしい。
その手に持っていたタオルを手渡してくれる。
が、腕が痺れて上手く掴む事が出来ない。ぷるぷると指先が震え、触って離れてを繰り返している。
それを見たカタリナさんは気を利かせてくれたのか、俺の手からタオルを取り上げて、わしゃわしゃと顔や首を拭いてくる。
「んー! ほんはほほひひゃふへほ……」
「はいはい、ご自分で出来ないのですから大人しく拭かれて下さいね」
「……はひ」
顔と首に始まり、腕や背中、胸、腹、足と流れる様に拭かれて行くが、その際に幾多ある傷には触れないようにしてくれていた。
しかし体中にある傷に触れないようにして拭くと、自然タオルの動きは細かく複雑になってくる訳で。
「くっ……くふっ……」
「……何かおかしな事でも?」
「いえ、何でも……ぁふっ」
とてもくすぐったいです。
「……? まあ良いです。はい、終わりましたよ」
カタリナさんに「なんだコイツ」みたいな顔をされてしまったが、不可抗力だったので気にしない事にする。
体中を拭いて貰ったお陰で、汗や汚れなんかは殆ど落ちていた。これなら夜まで風呂に入らなくても良さそうだ。
――ただし、風呂と言ってもここでは湯で濡らした布で体を拭く事を意味する。
何せ日本のようにほぼ無制限に水が使える訳ではない。
日本は山が多い為、自然と川も多くなる。
川にダムを作れば水を溜める事が出来るし、殆ど途切れる事の無い川は、ダムが無かった時代でもそれはそれは大きな恩恵を齎しただろう。
しかしここは日本ではない。
山はここから北に、森を越えて行った場所にあるのみだ。そこから流れ出る水の流れは、森の中に池を作り出すに止まっていると言う。
つまり街で利用可能な場所まで流れて来ないのだ。
街の外の平原の西から南にかけてはそれなりの大きさの川が流れているが、街より低い場所に流れている上に、街の排水の一部を流しているので生活には利用出来ないらしい。
つまり必然的に、街の水源は井戸を掘って地下水に頼らざるを得ない。
このように街の立地条件としては決して良いわけではないが、“精霊の泉”を管理するにはこの場所に街が必要だった。
ある意味、この街は必要に迫られて仕方無く成立していたのだ。
だから湯を張ったバスタブに入る、なんて事はそれこそ貴重な水資源の無駄使いだ。
浄水技術さえ発達すれば日常的に入浴する事も可能かも知れないが、まあ直ぐには不可能だろうなあ。
誰か頑張ってください。
「……エレン様、何を呆けているんですか?」
自分の世界に入り浸っていたら、再び「なんだコイツ」みたいな顔をされていた。
そんなに見ないでください。照れます。
「いえ、何でもないです」
「……そうですか」
カタリナさんが何か諦めた様に溜め息を吐く。
「まあエレン様が変なのは前からですしね。もう気にしない事にします」
「えええ……」
さらりと酷い事を言われた気がする。しかも前から、って。
確かに年不相応な行動を取っている自覚はあるが、カタリナさんの中の俺はどんな風になっているんだろう。
「――ああ、そう言えばリリシア様が随分とご機嫌斜めだったようですが、どうかされましたか?」
……あー。
◆ ◆ ◆
無言。
目の前のリリは如何にも「不機嫌です」などと言いたげなオーラを漂わせていた。
しかし口は開かず、目も合わせず。
子供部屋の中で、俺とリリは“同じ方向”を向いて座っていた。
それは勿論隣り合って、という意味ではなく、俺がリリの背中を見つめる形でだった。
「リリー、ごめんってばー。ねえリリー」
何度呼びかけてもリリは頑として動かない。
もう10分以上この調子だ。分かってはいたけど、相当拗ねてるらしい。
こういう理不尽な怒りもそもそもが俺に構って欲しくての物なので、幼い子らしくて可愛らしいと言えば可愛らしいものだ。
が、あまり避けられ過ぎても今度はこっちが寂しい。
どうしたものかと唸っていると、背後でドアノブを捻る音がした。誰かが部屋の扉を開いたのだ。
「や、エレン。またリリに拗ねられてるのかい?」
誰が入ってきたのか振り返って確認しようとしたら、その人物は軽い調子で声を掛けてきた。
「あ、リオン兄さん、助けて」
振り返るまでもなく、声で誰か分かる。
兄のリオネル・アトカーシャだ。
声色はまだ9歳相応の物だが、その言葉遣いには早くも貴族然とした気品を備え始めていた。
リリもリオンの登場にピクリと反応したが、今だに背を向けたままだ。
「今度はどうしたんだい? リリを虐めでもしたのかい?」
リオンは俺の隣に腰を下ろし、ニヤリと笑う。
意地の悪い笑い方だ。将来は眉目秀麗が約束された顔立ちで、そんな風な表情をする物だから質が悪い。
それは勿論嫌いだからとか言う意味ではなく、ただ単に人を弄って楽しんでいるのだろう。
「そんな訳ないよ……。ちょうどお祖父様との鍛錬で遊んであげられなかったんだよ。それより兄さん、今日は体調良いの?」
リオンは生まれつき体が弱い。それは成長した今でも相変わらずで、時たま寝込む事もある。
ただ、最近はマシになってきた方で、昔は走る事さえ出来なかった。近頃はお祖父様に連れられて、軽く木刀で素振りをしたり、魔法の練習なんかもしているらしい。
が、それらは酷く初歩的な部分でしかなく、俺は例外にしても、他の子ども達と比べるとリオンはやはり体力的に劣る。
しかし――
「ああ、今日はすこぶる気分が良くてね。だからまたリリに手を焼いているエレンを弄り……けほっ、助けにきてあげたんだよ。ああ、体調が悪いのにも拘わらず弟を思い動く兄、なんて偉いんだろう!」
「今すこぶる気分が良いって言ったよね」
「けほっ、ごほっ」
なんという白々しさ。一切悪気を隠そうともしない。
「そう言えば勉強はもう良いの? 兄さん、確か今は“アレ”を……」
「ああ、勉強はもう終わったよ。三日後の分まで終わらせてきた」
さらりととんでもない事を言って退ける。
俺の場合の三日分とは、精々が数十年分の歴史の予習だとか、数学で言えば数列の章の予習だとか、その程度だ。しかし“リオンの言う三日分”とは、元の世界で言えば教科書半冊分程度はある。
学者を呼び寄せる日と時間は俺もリオンも同じなので、俺がお祖父様と鍛錬していた数時間で、その量の勉強を終わらせた事になる。
けれど、最早その程度ではさして驚かない。
耳元にリオンが口を寄せて、囁くように言う。
「それから、“アレ”って言うのは、例の“新魔法”の事だね? 実はあれ――もう昨日の内に完成してたんだ」
「――ゑ?」
思わず声の調子が狂う。さして驚かないとか考えた次の瞬間に吃驚してしまった。
今、何て――
「……マジの助?」
「マジの助。今回は一部の構築式を他の物から流用したからね。あ、勿論今回用にアレンジはしてあるけど」
思わず天井を仰ぐ。まさかここまでとは。
リオンは今までも十分に驚くべきスピードで新魔法を創ってきたが、今回はさらに早い。
一般的に見て魔法に精通し、優れている者でも、一つの新魔法を創り上げるのに、奇跡的に早くても一カ月はかかる。普通は一年に数個出来れば良い方だ。
それを、前回の新魔法完成から僅か二週間で。たった9歳の少年が、だ。
そう、リオンは天才とも言うべき頭脳の持ち主だった。
新しい魔法は理論的に創る事が出来る。
その理論に則って魔法を創る者を“魔法創者”、若しくは単純に“創者”と呼ぶ。
魔法は、複雑かつ多重の式から成る。有り体に言えば、それは数学の様な物だ。
魔法は数値化し、図形化し、文章化する事が出来る。
魔力を式に通して形作り、その解として魔法が成立する。
これが第一段階。
しかしそのままでは膨大な量の式を通さなければならず、スマートに魔法を発動出来ない。
よって、次にするのが図形化。つまり魔法陣だ。
式を図形化し、魔法陣として収束させ、簡略化する。
これが第二段階。
しかし魔法陣だと、使用の際にわざわざ陣を描いたり、陣の描かれた触媒を用意しておかなければならない。
そこで考えられたのが詠唱文。
式なり魔法陣なりを触媒に一度発動された魔法は、組み込まれた式によって、使用者の“魂”に魔法式を記憶される。
しかし記憶された魔法はそのままでは使えない。魔法式を意識的に引き出す必要があり、そしてその役割を担うのが詠唱文なのだ。
これが第三段階。現在はこれが魔法発動の最終段階として定義されている。
書に載っている魔法に、必ず魔法陣と詠唱文が併記されているのはこの為だ。
その魔法陣を使って魔法を発動させ、魂に記憶する事で初めて詠唱文での魔法発動が可能になる。
ちなみに俺があんな幼い頃、何も知らない頃から“光玉”を使えたのは、単純な話、“光玉”がとても簡単な式で出来ていた為だ。
わざわざ魔法陣化するまでもなく、暗算で処理出来る程度の式量で構築された魔法は、人が使う瞬間を見ただけで式を理解出来る、らしい。実際、感覚的に使ってたからたぶんそうなのだろう。
「……ほんと、兄さんは規格外だね。俺も新魔法創ってみたことあるけど、一ヶ月掛かった上にほとんど不発だったし。小さな火の玉が生まれただけだったよ」
親指と人差し指で小さな輪っかを作って見せる。
それを見てクスリと笑うリオンは、何故か嬉しそうだ。
「そりゃあね。初めてで、一カ月で創られたら僕の立つ瀬が無いよ」
「いや、それを言ったら他の新魔法開発に携わってる人の立つ瀬が無いんじゃないかな……」
「ん? そうでもないと思うよ」
リオンはトンと俺の胸、心臓の辺りに指先を置く。
「僕は他の人と違って万人用に組む必要が無いからね。毎回エレンの魔力の波長に合わせて調整してる分、慣れてるしやりやすいんだよ」
――魔力は人に依って波長が変わる。例えば誰か特定の人物向けに創られた魔法は、別の誰かには扱いづらい場合が多々ある。
けれども、一般向けに売られている魔法書に記載された魔法は、全てが万人向けに調整された魔法である。
それは先人達が長い長い時間を掛け、途轍もない回数のトライアルアンドエラーを繰り返した、弛まぬ努力の結晶だ。
遠い昔はエルフ族や魔法に秀でた一族、そして一握りの天才のみに扱える才能だったらしいが、彼らのお陰で今では魔法は一般的になり、誰もが扱える代物となっている。
理論や技術が纏まっているとは言え、新しい魔法を創ると言うのは、つまりそれぐらい大変な事なのだ。
「いくら個人用に創ったと言っても流石に……まあいいや。兄さんが変なのは今さらだしね」
呆れながらそう言うと、リオンは怒ったような顔を作る。
「えー、酷いなあ。変なのはエレンも一緒じゃないか」
「あ、否定はしないんだね」
「けほっけほっ」
「もういいから」
リオンは「ま、でも」と一置きし。
「完成したとは言っても“発動確認”がまだだからね。今日あたり早速やりたいんだけど……どう?」
顔を傾けながらそう言ってくる。その表情は爽やかな微笑だが、その実『拒否は許さない』という薄ら寒い雰囲気を孕ませていた。怖い。
まあ、断る気はサラサラ無いのだけども。
「勿論。じゃあ手順なんだけど……」
そうして、俺とリオンは予定を立てていく。すぐ傍で、放っておかれて拗ねているリリの存在を忘れたまま。




