第二十三話
エリナ達が海ではしゃいでいるのをテラスから眺める。水着に着替えたというのに、海に入るのを躊躇している様子のアストリッド。そんなアストリッドへと、先に海へと入っていたシビルが手で海の水をかけた。呆然としているアストリッド。
「ごめんごめん」
そんな声が聞こえるようだった。シビルがアストリッドに謝る仕草。だが、その顔は笑顔。と、そんなシビルの周囲に魔素が集まり始めた。こんなところで魔法? 疑問に思っていると、アストリッドへと海の水が大量に押し寄せる。シビルが風魔法で海の水を動かしたのだ。不意を突かれたかのようにアストリッドはその水に足を救われ、海へと引きずり込まれていく。大丈夫だろうか? アストリッドは海を見た事がないと言っていたが泳げるのか?
水中へと隠れたアストリッドだったが、すぐに水面へと顔を出した。どうやら大丈夫だったようだ。アストリッドはシビルに向かい意外にも器用に泳いでいく。住んでいたというエルフの森にも湖くらいはあるのかもしれない。
シビルの周囲の海が渦を巻き始める。それらが一瞬で舞い上がった。シビルと共に。どうやら今度はアストリッドの魔法のようだ。シビルは驚いた顔。水の滴がキラキラと舞い、シビルの周囲に浮かんでいる。こちらから見る分には綺麗だった。空高く飛んだシビルはすぐに周囲の水と共に海に落下した。
エリナは水に足をつけながら、そんな二人を眺めて笑っている。そんなエリナへとシビルとアストリッドの視線が向く。これは目をつけられたな……。まあ楽しそうだしいいか。
テオドラさんはそんな三人には目もくれず、ひたすら泳いでいる。あちらの世界ならばオリンピックで金メダルも余裕であろうほどの速度で。ただひたすら泳いでいる。泳ぐのに邪魔だという理由で裸で来ようとしたくらいだしな……。
「レックスもどう? 気持ちいいよお!」
「そうですよ!」
シビルが声を張り上げ叫ぶようにこちらへと話しかけてくる。エリナも追従する。たぶんあれだ。次の被害者を俺にしようというのだ。楽しそうではあったが、まず間違いなく疲れる。今回は遠慮しておこう。
海で遊ぶ四人を、飽きる事もなくずっと眺めていた。どうして女性の楽しげな姿というのは、見ているだけで幸せな気分になるのだろうか。そんな事を考えたりしながら眺めていた。だが、そんな楽しい時間にも終わりは来る。まだまだずっと眺めていたかったが……。陽が傾き始めていた。
「そろそろ帰るよ!」
大声で海にいる四人へと声をかける。俺の声に渋々といった感じではあったが、四人は揃って海から上がった。砂浜を歩きこちらへと向かって来る。低くなり赤みをおびた太陽が四人を照らす。水に濡れた肌が輝く。粒子の細かい真白な砂が足に張り付いている。そして気だるげな表情。そんな四人は景色も相まって絵画的な美しさを持っていた。
「レックスも入ればよかったのに」
テラスへと上がってきたシビルが、髪を手で絞りながら話しかけてくる。確かにな。ただ水着に着替えただけだったな。だが、まあこういうものは雰囲気が大切だ。海に来た。水着になった。それが重要なのだ。海には入らずとも俺は充分楽しめた。うん。もちろん今も楽しんでいる。体調が戻り、その時にまた機会があればだな。
「とりあえず風呂に入ろう。その後は共に食事でもどうだ?」
テオドラさんのありがたい提案。
「ぜひ」
久々にシグムンドさんに会える。少しでも強くなった俺を見てもらいたかった。なにせ俺の二人目の戦闘の師匠だからな。もちろん一人目はソールさんで、三人目はロギさんだ。
海には入らずとも女性陣の後に、風呂を使わせてもらった。海風によって体がべとついていたからだ。パブロさんにお礼を言わないと。
テオドラさん達が泊まっているという宿へと向かいながら、別れた後の話になった。テオドラさん達は順調にサレストで塔型迷宮を攻略しているそうだ。ガザリムの迷宮よりも先に進む事が困難だという話だったが、シグムンドさんの加入もあって進行速度も上がっているらしい。
「それでそっちはどんな感じなんだ?」
一通りテオドラさんの話を聞き終えた頃、テオドラさんが話を振ってきた。
「ギルドランク3になりました」
俺の言葉にテオドラさんは目を輝かせる。
「おめでとう! もうすぐだな。それで? サレストに来るつもりはあるのか?」
「そのつもりです。いつになるかはわかりませんが……」
とりあえずはランク2だ。それに……ガザリムに家を買ったばかりだしな。
「楽しみだな。そうなったら、どちらが先に塔の頂上に辿り着くか勝負だな」
愉快そうに笑うテオドラさん。
「あれから随分と成長したと思ったが……」
俺達を眺め、
「ランク3か……」
と感慨深そうに。
「色々ありましたよ……」
そう色々あった。大きかったのは、アストリッドのパーティ加入もそうだが、やはり魔素中毒者であるヨハンとの戦闘だろう。あれは大変だった。
「詳しい話は後で聞こう。着いたぞ」
テオドラさんが一つの建物の前で立ち止まった。トウエンリッダらしい茶褐色の石造りの屋敷だった。それは俺達が王太子によって用意され泊まっている宿と同程度の屋敷のようだった。さすがは高ランク探索者だな。
「帰ったぞ! 懐かしい人間を連れてきた!」
扉を開けると同時にテオドラさんは大声を上げる。せめて部屋に着いてから……。テオドラさんの声を聞きつけ、従業員の方が出てくると、
「お帰りなさいませ」
丁寧に美しく頭を下げる。
「パブロ達は?」
「皆様、お屋敷内にいらっしゃるはずです。すぐに呼んでまいり……」
従業員であろう方がパブロさん達を呼びに行こうとしたところで、
「さすがにあんな大声をあげれば屋敷中に聞こえているよ。皆すぐ来るはずさ。それで……」
奥の通路からパブロさんが顔を出した。そして俺達に目を止めた。
「レックス達か。君達もトウエンリッダに来ていたんだね」
「お久しぶりです。海で偶然テオドラさんとお会いしまして。俺達もビーチを使わせていただきました。ありがとうございました」
「そうか。トウエンリッダには戦争が終わるまではいるのだろう? 使いたいときに使ってくれてかまわないから」
その言葉を聞いたシビルの満面の笑みが横目に入った。味をしめたのか。これはまず間違いなく行く事になるだろう。俺も再び三人の水着姿を見られるのだから嬉しい事にかわりはないが。
「その時はよろしくお願いします」
四人揃ってパブロさんに頭を下げた。
「ん? レックスか?」
頭を上げながら声がした方向へと顔を向ける。
「シグムンドさん!」
そこに居たのはシグムンドさんだった。シグムンドさんは懐かしむような表情でやって来る。
「お久しぶりです!」
そう言いながらシビルが一歩前に出た。
「ああ。久しぶりだな。成長したようだな」
シグムンドさんはあの頃と同じようにシビルの頭に手をやる。
「はいっ!」
シグムンドさんはそこで怪訝そうな表情となった。何だ? それとは対照的にシビルは嬉しそうな表情。これはあれだな。飼い主と犬って感じだな。犬ならばしきりに左右に尻尾を振っていた事だろう。
シグムンドさんはすぐに表情を緩め、俺へと目を向ける。
「レックスも……随分と強くなったようだな」
「ええ」
まあ、人の事はいえない。俺もたぶん犬ならば尻尾をしきりに振っていただろうと思う。
「エリナも」
「はい」
たぶんエリナも。嬉しそうな表情を見ればわかる。それほどまでに俺達の中でシグムンドさんというのは大きな存在だった。シグムンドさんがアストリッドへと視線を向けた。そこにギヨームさんとシャリスさんもやって来た。エントランスに両パーティの全員が集まっていた。ちょうどいい。
「新しいパーティメンバーです」
アストリッドの肩に手をかけ押し出すように紹介する。
「……アストリッド」
名前をぽつりと。
「レックス……。これまた綺麗な子だな……」
と、シグムンドさんは苦笑した。エントランスだというのに、久々の再開に話が弾む。あまり積極的でないアストリッドを気使ってか、シャリスさんが話を振ってくれている。アストリッドも迷惑そうではない。その輪に混ざろうとしたところで、俺の首に手が回った。それはとても力強かった。頭がとても巨大で柔らかな物に挟まれる。首だけで後ろを見上げると、そこにはテオドラさんが笑顔でいた。
「私とのときよりもシグムンドと再会したときの方が、随分と嬉しそうだったね」
その笑顔が逆に怖い。
「いや、そんな。テオドラさんとお会いした時も嬉しかったです」
実際嬉しかったのは確かだ。どちらが上かと言われればもちろんシグムンドさんではあるが……。俺の言葉に、テオドラさんはすぐに俺の首から腕を外した。
「冗談だよ。パブロ。レックス達を食事に誘ったから」
「ああ。そのつもりだろうと思っていたよ。もうレックス達の食事も用意させている」
大きな、百人は入れそうな食堂だった。そんな大きな食堂だというのに、俺達合わせて九人しかいない。テーブルには九人では食べきれないほどの料理と酒。
「貸切か何かですか?」
目の前に座るテオドラさんに聞く。
「あれ? 言ってなかったか。ここはパブロの家なんだよ」
「……そうなんですね」
トウエンリッダは貧しい国だと聞いていたが、どこの国にもお金持ちというのはいるらしい。
「それじゃあご家族の方にご挨拶を」
「ああ必要ないよ。ここは普段使われていない私個人の所有だからね」
どこの国にも想像を絶するお金持ちというのがいるらしい。というかトウエンリッダは本当に貧しいのだろうか? 街の様子も活気があったし、ガザリムなどとそう変わらない。確かにトウエンリッダの街に来るまでに通った村は貧しそうだったが、それはビュラン王国も変わりはない。現にレックスが住んでいた村は貧しかった。
食事は和やかに何事もなく進んだ。サレストの塔の魔物の話などとても興味深かった。さすがに魔素中毒者の話の時は場が盛り下がったが……。
「それでですね……」
食事も一通り終わり、酒が回りはじめた時の事だった。
「レックスなんてあのロギさんに剣を突きつけたんですよ!」
その一言で幾人かの目の色が変わった。
「そのロギというのはあのロギの事か?」
テオドラさんがシビルに疑問をぶつける。
「いえ、その」
エリナが。
「違うんですよ」
俺が、なんとか話を変えようと……。
「そうですよ! あの伝説の騎士様です! レックスすごくないですか!? あのロギさんから一本取ったんですから!」
「……あれはすごかった。私にも見えなかった」
アストリッドまで……。
「それが本当にあのロギならばすごい事だな。詳しく聞こうか」
これは、きちんと口止めしていなかった俺が悪い。きっとシビルは俺達の成長をシグムンドさん達に知ってほしかったのだろうと思う。俺も出来る事ならば自慢したかったくらいだったのだから。
いくら酔っているとはいえ、シビルの口からエリナと王太子妃であるエレナさんの関係が漏れるとは思わないが、ここは俺から説明した方がいい。
「実は王太子殿下がガザリムを訪れられまして……」
迷宮の案内をした事。共にトウエンリッダへと来た事。その道中にロギさんに手ほどきを受けた事。エリナとエレナさんの関係だけは伏せ必要な部分だけを話す。
「やるじゃないかレックス!」
テオドラさんが俺を抱きしめる。顔が巨大なスライムに埋まる。く、苦しい……。
「よくやった」
と、ギヨームさんは一言。一言だけではあったが、寡黙なギヨームさんのその一言で充分だった。
「弟のように、弟子のように思っていたが……、今なら肩を並べて戦えるかもしれないな」
シグムンドさんのそんな言葉が聞こえた。優しげな声色だった。シグムンドさんに認めて貰えたのだと、そう思うと涙が出そうになった。たぶん窒息しそうな苦しさによるものではないと思う。
「ありがとうございます」
胸に埋もれながら、もごもごと……。これは胸に埋もれていたからであって、感情が込み上げうまく言葉を発せなかったからではない。とりあえず、結果的に俺の懸念するような事態にはならなかった。シビルに感謝しよう。
「それで……」
テオドラさんが俺に回した腕に力を込めた。
「今の話だと、ロギとレックスは随分と親しいようだ」
あっ……。
「そのようだな」
幾人かの目の色が変わった。それはテオドラさんの谷間しか見えない俺でもはっきりとわかった。




