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第十九話

 トウエンリッダに向かうビュラン王国軍は千を超える規模となっていた。前を見ても後ろを見ても鎧を着た騎士の列が続く。その長々と延びる隊列は壮観だった。その一部だからこそ壮観などと言えるのだろうか。街道沿いの小さな村を通り過ぎた時のことだ。その村の人々は異様な物を見る目つきだった。怯えも見受けられた。このような大勢の人間を見た事などないのだろう。それも皆厳めしい鎧姿。同じように辺境の村で暮らしていた頃のレックスの記憶でもそうだった。


 あれからも毎日ロギさんに挑んではいたが、一向に勝機は見えてこない。もちろんエリナとアストリッドもだ。三人同時でかろうじてといったところだ。なかなかに厳しい。あと数日もすればトウエンリッダに到着するというのに……、このままでは無理かもしれない……。体調もひどいものだった。日に日に疲労が蓄積している。数日休んでからの方がいい結果が出そうですらあった。


「……難しい顔」


 今はシビルが御者台に座り、馬車の中にはアストリッドと二人だった。シビルの馬車の扱いも随分とましになった。最初は酷いものだった……。俺も最初は同じようなものだったのだが。


 眉間に指を当てほぐす。考えるなと。剣を信じろと。ロギさんに言われた言葉を思い出す。だが、これが難しい。これまでずっと考えて戦ってきたのだ。それを今、急に言われたところで……。考えずに戦うという事に俺が懐疑的な部分も関係しているのかもしれない。ロギさんが考えずとも戦えるのはこれまでの経験からではないだろうか? 考え抜いて戦ってきたその経験があるからこそ今考えずとも戦えるのでは? そう考えれば、まだまだ対人というものにおいて経験の浅い俺は、今はまだ考えなければならない時期なのかもしれない。


 ……。


 どちらにしろ、このままでは勝てない。


「……とりあえず休も?」


 アストリッドが心配そうに声をかけてくれる。俺と同じようにアストリッドも疲労しているはず。そうだな。少しでも夜までに体調を戻さなければ。俺が休んだほうがアストリッドも休めるだろう。



「レックス! レックス!」


 耳元で聞こえる大きな声に目を覚ます。と、視界いっぱいにシビルの顔が広がっていた。


「よかった……」


 そう一言シビルはもらし、俺を力いっぱい抱きしめた。えっと……? どういう状況だ? しばらくシビルはそうしていたが、唐突にがばっと身を起こすと両手を俺の肩に当てたまま離れる。


「全然起きないから心配したんだよ? 死んじゃったかと思ったよ」


 そう言うシビルは泣きそうな顔をしていた。大げさだな……。息はしていただろう?


「ごめん」


 だが心配をかけた事には違いはない。どうやら自分で思っていた以上に疲れていたようだ。慣れぬ長時間の馬車旅に、毎夜の手合せ。疲れきっていて当然か。身を起こし馬車から降りる為にステップに足をかける。ただそれだけでよろめいた。慌てたようにシビルが支えてくれる。


「ありがとう」


 シビルの肩を借り外へと出る。外は真暗であたりにはすでに野営の準備が整っていた。まったく気がつかなかったな。気を失ったかのように熟睡していたというのに、疲労は抜けきってはいない。馬車の外にはアストリッドと……そしてロギさんがいた。心配をかけてしまっただろうか? だが、これではさすがに今日は無理だ。


「付き合っていただいているというのに申し訳ないのですが、さすがに今日は……」


 ロギさんは頭の先からつま先まで俺を眺め、


「ふむ……。問題はなさそうだな。敵はおぬしの体調を気にしてなどはくれんぞ。それだけ動ければ充分だ」


 と一言。それだけ言うと背を向け歩いて行く。シビルに支えられ立っている状況だというのに?


「わかりました」


 歩み去る背に声をかけた。これほどひどい状況で迷宮に入る事などないし、ロギさんとは立場が違うと思うのだが……。


「ちょっとひどくない? いくら強いからって……」


 シビルはロギさんの態度に不満気な様子を見せた。……俺の中にもシビルの不満にも似たもやもやとした何かが確かにあった。だが、シビルがしっかりと口に出して不満を表に出してくれた事で、俺のわだかまりのような物は消えていた。


「ありがとう」


 今はロギさんに教えを乞うている状況だ。ロギさんが問題ないというのなら問題はないのだろう。シビルは俺の礼が何に対してかよくわからなかったようで、目を開き首を傾げていた。



「よろしくお願いします」


 ロギさんと対峙する。手にあまり力が入らない。かろうじて剣を握っているといった状況。これで本当に戦えるのか?


 先に仕掛けてきたのはロギさんだった。珍しい――というかこれまでには一度もなかった事だった。一息で距離を詰められる。疲労困憊の俺に対してもロギさんは普段通り。当然か。手加減してもらえるなどという考えは俺の甘えでしかない。疲労のためか思考も漫然としている。


 右腕を上げ、上段から振り下ろされる剣を防ぐ。この数日でロギさんの剣速にも目が慣れ、難なくとは言えないがある程度は軽く防げるようになってきていた。


 拙い!


 そのはずだったのだが、受けたはずの剣は俺へとそのまま降ってくる。俺の剣を下にして。ロギさんの剣を防げるほど右手に力が入らなかったのだ。慌てて左の剣を添え両手でロギさんの剣をなんとか防いだ。両腕に力を込め弾き返す。が、ロギさんは予測していたように、すっと剣を引き横薙ぎに再び打ちこんでくる。体の前に両剣を縦にしてその斬撃を防ぐ。剣と剣が軽くぶつかる。と、その衝撃を利用してすぐに反対側から剣が打ちこまれる。剣をずらし再び防ぐ。


 一方的だった。俺はなんとか防げているという状況。躱す事などできない。両腕を動かし受ける事しかできないでいた。ロギさんの剣は軽い。決して歳を経て筋力が衰えたからではないだろう。力など不要。この方の戦い方はそういうものだ。そのおかげで防げているのだ。実戦であったなら……あの上段からの振り下ろしの一手で俺は両断され死んでいただろう。剣を斬れぬはずなどないのだから……。


 だが、そうわかっていても防ぐしかなかった。これも甘えか……。ロギさんの剣を受ける度に、手から力が失われていくのがわかった。手だけではない全身だった。その衝撃は手から腕へ、肩に、胸に……そうして全身へと伝わる。


「斬ろうとしなければ、決して斬れぬぞ」


 反撃を許さぬ絶え間ない斬撃を繰り出しながら、ロギさんは軽口を叩いた。


「……」


 言葉を返す余裕などない。ひたすらに口を固く結び、歯を食いしばり、剣を剣で受け止める続ける。防げていたはずのロギさんの剣が俺の体を打ち始める。力が失われ、腕の反応が鈍っているのだ。だというのに、何故か頭はすっきりともやが晴れたようだった。


 視界は広がり、周囲の物が目に入ってくる。これまでは俺へと向かって来る剣しか見えていなかった。なんの変哲もない騎士達が心配そうにこちらを見つめている。エリナ達かな? 心配させてしまうような弱い俺でごめんな。


 意識はロギさんから外れていた。だが、なぜか当たり始めていた剣を再び防げるようになっていた。むしろこれまで以上に楽に防げている。腕がほんの少し――数センチ動くだけでロギさんの剣は俺には当たらない。


 そしてさらに視界は広がる。周囲へと。手を止め遠巻きに眺める騎士達。風に揺れる草花。遠くの木に止まっている梟。周囲に広がる闇。そんな闇に浮かび上がる空の星々。


 そうして徐々に広がった視界は白くなっていく。白く――白く――


 もう何も見えない。真白な世界が俺を包む。その世界には金属同士がぶつかり合う音が響いていた。だがその音も徐々に小さくなり消えていく。そして何も聞こえなくなった。自身の呼吸や心臓の音すら聞こえない。痛いほどの静寂が世界を支配する。


 そんな世界で剣を振るっていた。相手も見えず聞こえず感じず。だというのに不思議と怖くはなかった。ただあるべき場所に剣を置くだけ。体が勝手に動き始める。



 どれほどの時間が経っただろうか? 時間感覚すら失われた。それはほんの数秒のようでもあったし、または数十時間のようでもあった。


 そんな世界に、カツンと小さな音が響いた。


 同時に世界は色づき始める。


「よくやった」


 耳に入る言葉。静寂の中にいたせいか、それは思いのほか俺の耳には大きく聞こえた。声のした正面を見る。ロギさんだった。ああ、そういえば俺はロギさんと手合せをしていたんだった。両手の剣はロギさんの胸に突きつけられていた。それはどんな効果も与えない。ただほんの少し当たっただけ。


「あれ?」


 やったのか……? 実感はない。静寂の中響いた小さな音。あれは俺の剣がロギさんへと届いた音……。その場に崩れ落ちる。全身から一切の力が抜け落ちていた。瞼を開けている事すらできぬほどに。

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