第十六話
ノックをする前に扉は開かれた。扉を開いたのはエリナだ。俺の気配に気付き開けてくれたのだろう。部屋へと入る。部屋の構造は俺のあてがわれた部屋と変わらない。壁に一面の大きな収納、ベッド、テーブルと椅子が二脚。シビルはベッドに、アストリッドは椅子に座っている。
「どうぞ」
そう言うとエリナはシビルの隣、ベッドに腰を下ろした。余った椅子へと腰をかける。
「それでロギ様のお話というのは?」
「具体的な話はまた今度……」
仲間に隠し事というのは心苦しい物があるが、ロギさんの秘密は俺の口から言える物ではない。皆、ギフテッドが異世界から来た者である事は知っているとはいえだ。
「それでこの家を買うって話だけど」
「レックスが来るまでに話してたんだけど、わたし達は買ってもいいかなって」
そうか。特に反対する理由を持たない。この機会を逃せば、これほど条件のいい家を買う事ができるのは、いつになるかわかったものではないしな。大きな部屋に、寝心地のいい柔らなベッド。それに、一つだけというのは少し不便ではあるが、独占して使える風呂もある。それについては将来的に問題はなくなるか。……ああ。俺はとっくに結論が出ているというのに、引き伸ばしているのだ。ランク2まで待つ、という言葉に甘えて。皆の事は好きだ。仲間としても異性としても。俺と同じように三人が好意を示してくれ、その上誰か一人を選べなどと迫るわけでもない。有難い話だ。……ただやはり自信がない。これまでの人生で一人とだってそういった関係を結べなかったのだ。一人ともだ。それがいきなり三人? 今の関係はとても上手くいっている。その上で、一歩踏み出す。どうなるかもわからないというのに?
「俺もそれでかまわないよ」
とりあえず、今、俺に出来る事は先送りしかない。
「あのさ……」
だというのに、
「一つの家に住むわけじゃない? その……。俺は三人の事が。エリナ、シビル、アストリッドの事が。仲間としてだけじゃなく……。女性として好ましく思わせていただいておりまして」
おかしな事を言っているのは自分でもよくわかった。いや、よくわからない。が、ただ三人に伝えたかった。俺はこういう時になぜ普通に話せないのだろうか? いつもこうだ……。
「存じております」
エリナが、唐突な俺の告白に頬を染めながら、そう返してくれた。
「突然どうしたの?」
そういうシビルの顔も真赤だ。
「あ、いや。……それで、ありがとう」
気まずい……気恥ずかしい沈黙が部屋に漂う。言わなきゃよかった。そもそも言うつもりもなかったわけだが。アストリッドに目をやればこちらもほんのりと頬を染め上げている。
「トウエンリッダに行く話だけど! どうしよっか?」
シビルがこの状況をなんとかしようと、大きな声を上げた。
「あ、うん。その事だけど、俺は行きたいかなって。ロギさんともう少し話したい事もあるし」
話題が変わったことにほっとする。
「そっか……。わたしは反対だな」
あれほど戦争の事を楽しそうに話していたシビルが反対? てっきりシビルはトウエンリッダ行きには賛成してくれるだろうと思っていた。
「行ったら何週間も迷宮に入らないわけじゃない? 迷宮の探索が遅れるのはどうかなって。レックスが言ってくれたけど……。それってランク2になるのが遅れるわけじゃない?」
少し話が戻ったな……。
「エリナとアストリッドも、シビルと同じ?」
エリナは黙って頷く。そうか……。ただ俺としては、やはりロギさんをもう少し見ていたかった。三人よりもロギさんを優先したいわけではない。同郷の人間だからという理由ではない。もちろんそれもないとはいいきれない。だが、
「行ったほうが結果的に迷宮探索は早いんじゃないかなって」
と思ったのだ。あの人は今までに出会った中でもまず間違いなく一番強い。ロギさんの戦闘を観戦するだけでも、学べる事がたくさんあるはず。俺達の迷宮探索が順調だったのはシグムンドさんに出会えたからだ。出会っていなければ死んでいたであろう場面が何度かあった。順調だったからこそそういった場面に出くわしたという側面もあるのだろうが……。今度も同じだ。
「アストリッドは?」
「……賛成」
ロギさんの戦闘を直接見たからだろう。二対二。出来うる限り、表現できる限りの言葉で、二人を説得した。アストリッドはほとんど何も言ってくれなかった。実質、二対一とその他一だった。
「わかりました。レックスがそこまで言うのであれば……。それに、長期休暇というのもいいかもしれません」
「うん。いいよ」
だが、俺の熱意は伝わった。
「ありがとう」
「少し遠いね」
ギルドへと向かう途中だった。今朝は、探索者の喧騒などで目が覚めるなどという事もなく、柔らかなベッドで眠りから覚めた。ベッドを降り窓を開くと、小鳥のさえずりが聞こえていた。窓から入る早朝の冷たな風が心地よく眠気を流して行く感じだった。いい環境だった。……が、ギルドからは遠くなってしまった。
繁華街から離れているというのは、利点であると同時に欠点でもあったという事だ。静かで確かに住むには最適の場所なのだろうが、探索者としてはギルドがあり店が集中する南門近くのほうが便利であったのは間違いない。
「いえ、これくらいは我慢しましょう」
すっきりとした顔でエリナはそう答えた。三人は朝風呂に浸かっていたのだ。宿でも可能ではあったが、やはり早朝からともなると頻繁に出来る事ではない。掃除などを考えると、これもまた一長一短ではある。しかし、エリナ達にとっては長所の方がはるかに大きかったであろう事は想像に難くない。
「そうだね」
すぐに見慣れた道へと出た。普段よりも遅い時間ということもあり、ギルドへと向かう探索者の姿も多く見かけられる。店の準備に忙しくしている人々もいる。何も何十分と歩かなければいけないわけでもないしな。ただ、俺にとってのガザリムはこんな風景だったのだ。馴染みのある風景に安堵を覚えたのは確かだ。店の人々と挨拶を交わしながら、ギルドへと入る。
ギルドカウンターにはいつもと同じステラさんがいる。
「昨日は報告に来れずすいませんでした」
「依頼主の方からすでに報告は受けております」
王太子の方からすでに報告はされていたようだ。心配をかけずにすんだようで、ほっとした。
「報酬ですが……」
今回はギルドカードではなく、現金でもらう事にした。旅先では現金のほうが使い勝手がいいだろうという判断だった。
「少し、街を離れる事になりました。トウエンリッダのほうに行こうかと」
俺の言葉にステラさんが、少々困ったような顔をした。
「あの……何か問題でも?」
「申し訳ありません。決してそういうわけでは。ただ高ランク探索者の方の中には、レックスさん達のようにトウエンリッダへ向かう方も多くいらっしゃいまして」
なるほど。そうなると、それだけ迷宮に入る人間が少なくなるわけだ。それはギルドにとっては頭の痛い話だろう。ステラさんが、戦争の話の時に浮かない顔をしていたのはこのせいか。
「すいません」
迷惑をかけることになるな。何かお土産でも買ってくる事にしよう。
「いえそんな。楽しんできてください」
ギルドへの報告は済んだ。ステラさんに笑顔で見送られギルドを出る。さて、王太子の元へと向かうか。エリナを連れて行くわけにはいかないので、宿で荷物をまとめてもらう事にした。これから迷宮、ギルドへと向かうであろう探索者の流れとは反対に街の中心部へと足を進める。この街ともしばしのお別れ。感傷的な気分にはならなかった。当然だろう。ただの旅行なのだから。だが一応挨拶は必要だな。王太子が泊まっている宿からトマスさんの店は近い事だし、終わったらその足で挨拶に行こう。後は旅行の準備だな。馬車を借りる必要もありそうだ。今日一日しなければいけない事を考えていく。そうしているうちに宿に辿り着いていた。
警備兵に王太子に会いたいと伝えると、すぐに屋敷の中へと案内してくれた。王太子からすでに俺達の事は伝わっていたのだろう。それほど待たされることなく、初めて王太子と会った部屋へと通される。王太子とエレナさんがソファに腰かけていた。その後ろには男性が立っている。服装や態度から護衛ではないようだった。王太子とも親しいわけではないようで、その男性はガチガチに緊張している。右拳を胸に当て頭を下げる。
「かまわん。座ってくれ」
シビル、アストリッドと共にソファへと腰を下ろす。
「ありがとうございます。屋敷の件ですが、購入したいと思います」
「そうか。それではよろしく頼む」
王太子は後ろに控えていた男性に声をかけた。
「ガザリム執行機関から参りました……」
どうやらこの男性が全ての手続きを行ってくれるらしい。説明を受ける。といってもそれほど大した話はない。本当に細々とした話だった。支払などは自動的にギルドから引き落とされる仕組みらしい。手間がなくてよかった。いくつかの書類にサインをし、屋敷の件はそれで終わりだった。
「それでは直ちに持ち帰り、最優先で処理させて頂きますので。それでは失礼いたします」
一刻もこの場から立ち去りたいという感じだ。額から汗が流れおち、書類に染みを作る。その書類を持つ手も震えていた。そうして、男性はぺこぺこと何度も頭を下げながら部屋を出て行く。役所の人も大変だな……とそんな感想しか出てこなかった。後は……。
「トウエンリッダにも行く事にしました」
「そうかそうか。では明日朝こちらに来てくれればいい」
「それはどういう事でしょうか?」
「お前たちは明日から騎士だ」
えっと?
「……という事にする」
なるほど。だが突然、騎士が増えるなど……。それに……。
「エリナは?」
ずっと顔を隠してトウエンリッダまで?
「カシウェラヌスをつける」
王太子は軽く手を挙げた。何かに合図するように。と、同時に部屋の隅に一人の騎士が現れた。それはあの迷宮にも来ていたロギさんとは別のもう一人の騎士だった。
「これは……どういう……?」
何が起きたかまったくわからなかった。気配にそれほど気を遣っていたわけではない。だが、これほど近くに居たというのに……。それはあの迷宮前で王太子達と出会ったときと同じだった。何か特別なスキルか?
「カシウェラヌスは認識を改変する事ができると思ってくれ。見せてやれ」
騎士は姿を変える。王太子へと。容姿だけでなく気配までがらりと変わっていた。目の前に座る王太子と見比べてみる。それはまさにそのままだった。気配はどこかほんの少し違うようではあった。消すだけでなく、他人になりすます事も可能なのか。
「これは本人だけでなく、ある一定の範囲の人間にも可能なのだ」
ソファに座った方の王太子が再び手を上げる。と、王太子の隣に座ったエレナさんもまた王太子へと姿を変えた。目の前に王太子にしか見えない人間が三人……。これは確かにエリナの容姿など問題にはならないだろう。些細な気配の違いなども関係ない。ただエリナとエレナさんがまったく違って見えればよいのだから。
「すごい……。これは魔法ですか?」
シビルが呟く。
「どのような事ができるかは話せるが、どのような物かは話せぬ」
魔法かスキルか。どちらにしろこれは強力すぎる。王太子の言う事も理解できた。護衛としてもそうだが、それ以上に暗殺などに効果を発揮するものだ。聞いてもしかたがなかった。使えたとしても、俺達にとって必要な物ではない。
「……わかりました。それでは明日よろしくお願いします」




