第十話 王太子
「ここでお待ちください」
通されたのは豪勢な部屋。奥にはさらに扉が続いている。その扉の前には兵士が二人。視線を合わせてくるような事はないのだが、こちらを注視している。気まずい……。座り心地のよさそうなソファが置かれているのだが、座っていいものか……。
俺が迷っている間にも、老人はソファにどかっと座り込んだ。その後ろにつくようにしてステラさんは立っている。
「おぬしも座れ」
老人に促され、おずおずとソファの端に腰を下ろす。腰が沈みこむ……。
おお……。素晴らしい。欲しい……。きっと、とんでもない値段なんだろうな……。
「皆様こちらへ」
兵士が扉を開ける。座ったばかりだというのに……。名残を惜しみながら、ソファから立ち上がる。柔らかすぎる。立ち上がるのに少しばかりの労力を必要とした。とっさに訪問者が動けないようにする為、このようなソファを置いているのか? 訪問者が暗殺者であったなら大変だしな。……考え過ぎか。
兵士に剣を差し出し、扉を潜る。
先程の部屋と似たような部屋だ。ソファに一人の青年が腰かけていた。
「よく来てくれた」
青年が立ち上がり、こちらを出迎える。
老人が胸に手を当て頭を垂れた。慌てて老人と同じ動作をする。王家に仕える者であれば、膝を突き同様に胸に拳を当て頭を垂れるらしい。だが、俺達は王家に仕えているわけではないので、立ったままでかまわない。馬車の中で覚えておけと教わったのだ。
どうやらこの方が王太子のようだ。
「楽にしてくれ」
そう言われても頭を上げるなと老人に教わっていた。頭を下げたまま、老人を横目に見る。老人は頭を上げる。
「面倒な事を、と思っているのだろうな」
「ええまあ」
確かに面倒だろうけれども! 王族に対してそんな本音を……。老人は何かあったときに責任を取るのが仕事だと言っていたが、老人自らがその何かを起こすとは……。
「はははっ。お前はかわらんな」
王太子は老人の無礼な返答にも笑っている。胸をなでおろす。どうやらこの二人は知り合いのようだ。
老人は軽く俺を紹介すると、二人ひとしきり昔話に花を咲かせる。会話から読み取れたのは、老人が幼少の頃から王太子と関わりがあったという事だ。
「あやつも来ているのでしょう?」
少し首がこってきたような……。こんなに頭を下げ続ける事なんてないしな。床に敷かれた毛足の長い絨毯をただひたすら見つめていた。
「ああ。まあ戦争だからな。あの方がいないと話にならん。……そうか、友人であったな。呼んでおこう」
後ろに立つ兵士の一人が部屋を出て行く。老人の言う「あやつ」とやらを呼びに行ったのだろう。
「わざわざすまなかった。しばし迷惑をかける事になるがよろしく頼む。後は旧友と思う存分語らってくれ」
その言葉に老人は再び頭を下げたようだった。
「それでは失礼します」
終わりか。これで、やっと解放される。老人とステラさんに続き部屋を……。
「お前は待て」
まあそうだよな。わざわざ護衛の依頼に指名しておいて、なにもないわけがないわな。バシュラードさんの時もこんなだったよなあ。現実逃避のように昔の事が頭によぎる。
ちらりと見えたステラさんの顔には気の毒そうな表情が浮かんでいた。
再び先程の位置に戻り、頭を下げる。
「楽にしてよい」
こんな場合はどうすれば……。
「座ってくれ」
覚悟を決める。王太子がこう言っているのだ。そもそもただの探索者にそれほどの礼儀など求めていないだろう。
言われた通り、王太子の対面のソファへと腰を下ろす。目線は合わせぬよう王太子を見る。
これが王太子か……。
仕立ての良い服を着、自信に満ちた表情でこちらを見ている。金髪碧眼。王子様と聞いて想像するまさにそのままの姿。たとえどんなに薄汚れていようとも、輝きを損なわぬであろう何かがあった。まさに王族といった感じだ。
「明日はよろしく頼む」
「はい。……いえ、こちらこそ」
何を言っているのかよくわからなくなってきた。圧倒された。たとえ王族と知らなくとも、圧倒されたであろう。人の上に立つ者のみが持つオーラのような物だろうか。威厳と言い換えてもいい。
「四人パーティであったか」
「はい。ですが明日の迷宮のご案内は三人で……。一人体調を崩しまして……」
という事になっている。
「そうか。三人でも問題はないのだな?」
迷宮に入るといっても一階層二階層という話だった。さすがにそのあたりなら特に問題はない。王太子の質問に肯定する。
「そうだろうな」
何がそうなのかはわからなかったが、三人で行く事には納得してくれたようだ。
「どのような感じだ? そなた以外は全員女だと聞いているが」
王太子の眼光が鋭くなったような気がした。
「皆、優秀で……」
「そのような事を聞いているのではない。容姿の話だ」
えっと……?
「私の目からは、三人共美しいと感じております」
「そうか……。それで?」
……?
「それで……とはどういった意味でしょうか?」
「出来ておるのか?」
王太子もこういった話が好きなのだろうか?
「いえ、そのような事は」
「……」
……?
「それで、その仲間とそういった関係になる可能性はあるのか?」
どう説明したものか。ここは素直に言うべきだろうか?
「実は……」
これまでの経緯などについて王太子に説明する。何故俺はこんな話を王太子にしているのだろうか? 話している途中で不思議な気持ちになった。王太子とする話ではないだろう。だが、王太子は黙って俺の話を聞いている。
「すまないが、二人にしてくれるか」
俺の話を聞き終えると、王太子は俺の後ろへ視線をやり声をかけた。どうやら兵士に向かって言ったようだ。
「しかし……」
兵士から声があがる。王太子はただその兵士を見つめるだけだ。
「いえ……。それでは失礼します」
扉を開き、兵士が出て行くのが気配でわかった。
しばらく後、王太子が口を開いた。
「惚れた女がいたとしよう。外見が瓜二つの女が二人。どちらが惚れた女かお前には見分けがつくか?」
間違いない。王太子はエリナとエレアノールさんについて言っているのだ。頷く。今ならば一目見ただけで区別できるだろう。
「俺は運がよかった。惚れた女がバシュラードであったからな。いくら俺が惚れていようが、平民だったならばどうしようもなかった」
俺へと話す感じではない。独り言のようにつぶやいた。この時ばかりはごく普通の青年のように見えた。
「一度だけであったがすぐにわかった。エレナではないと」
王太子はエレアノールさんの事をエレナと呼んでいるようだ。エリナとエレナ。
扉に近付く一つの気配があった。誰だろう?
「気になっていたのだ。いくらバシュラードの娘といえど、わざわざ身代わりを用意する何かがあるのか。婚約者としてエレナが選ばれ王宮に来た時に聞いた。あれはなんだったのかと」
王太子はテーブルの上の杯に手を伸ばす。
「双子の妹だとエレナは言った。誇らしげに。やましい事など何もないといった感じでな」
杯に口をつけ喉を潤す。確かに兵士のいる所で出来る話ではないな。
「それでも結婚されたのですね」
俺の質問に、王太子は当然だろうという顔を見せた。
扉が開かれた。王太子の視線が扉へ向く。が、すぐに俺へと視線を戻した。こういった場合、俺も確認してもいいのだろうか?
王太子は俺へと顔を近付けた。
「エレナの妹であるという事は、俺の妹でもある。悲しませるようなことは許さん」
ただ黙って頷くしかなかった。王太子はすぐに体勢を戻した。入ってきた人間には聞かれたくない様な事だったのだろうか?
「エレナはわかっていたはずだ。明かせば、俺との婚礼がなくなるかもしれないと。それでも誇らしげに妹だときっぱりと言い切った。いい機会だった。このような機会が訪れる事はもうないかもしれん。一目会いたくなったのだ」
それが俺達を指名した理由……。
「あら。私はそんな事思ってもいませんでしたよ。だって貴方は私に心底惚れているって顔をされていたもの」
うすうすそうではないかと思っていたが、やはりエレアノールさんだった。王太子の横に腰かける。その顔には冗談めかした笑顔が浮かんでいた。政略結婚だったが、仲がよろしいようで。
「お久しぶりです」
立ち上がり、エレアノール――エレナさんか――に挨拶をする。
エレナさんはにっこりと微笑んだ。
「ええ。それほど前ではありませんが……、その間に随分と面白い事になっているようですね」
じわりと嫌な汗が背中をつたう。三股保留中?の女性の身内が、それを把握し目の前にいるのだ。居心地が悪い事この上ない。俺自身のせいだが。
「いえ……その……」
「妹が納得しての事でしょうから、かまわないのですよ」
エレナさんの顔には変わらぬ笑顔。そこに何かを読み取ってしまうのは、俺の後ろめたさからだろうか?
「それは、はい……」
その後は王太子夫妻とあたりさわりのない話をする。二人の惚気話のようなものだ。ほぼエレナさんが話し、その隣では王太子が気まずそうな顔をしていた。
「では明日は予定通り頼む。俺達が迷宮に入っている間にエレナが会いに行く。そう伝えてくれ」
「かしこまりました」
王太子夫妻に頭を下げ部屋を出る。とりあえずは面倒な事態にはならず一安心といったところだ。エリナもエレナさんと会えるしな。
剣を返してもらい、広い廊下を一人歩く。廊下のあちこちに兵士が立っている。頭を下げながら進む。
エレナさんはああいっていたが、どういう気持ちだったのだろうか。妹の、エリナの事を王太子に明かすという時……。そして王太子はどういう気持ちでそれを聞いたのだろうか。そこにはなにかしらの葛藤があったはずだ。
エレナさんのあの悪戯好きのする表情のような笑顔が頭に浮かんだ。
そこには、なにかしらの、葛藤……があったはず……だ。
王族も貴族も大変だ。




