第二十六話 飲む
外に出ると日が昇り始めていた。一応、迷宮前の衛兵にヨハンを殺したことを告げ、男達と共にギルドへと戻る。人一人殺した後だ。終わったというのに、どうしても明るい雰囲気とはならない。俺達を気遣って男達が話しかけてくれるのだが、ぽつぽつと返答するだけで会話は弾まない。そんな空気のままただひたすらに歩いた。
ギルド内には多くの探索者がひしめき合っていた。これから迷宮探索か……。頑張ってください。被害を出すことなくヨハンの件を片付けられてよかった。少し誇らしい気持ちになった。
ぼろぼろの姿の俺達に、探索者の視線が集まる。
「バルナバさんどうしたんですか?」
周囲の探索者から、スキンヘッドの男に声がかかる。スキンヘッドの男がバルナバさん、リーゼントの男はアンドレアさん、モヒカンの男はタッデオさんという。ランク2の探索者だそうだ。
その一人の探索者の声に、俺達へと多くの探索者が近づいて来る。口々に男達を心配する声。ついでにというわけではないが、俺達へも声がかかる。
探索者同士の繋がりはパーティ以外では希薄なのだが、この男達は随分と慕われているようだった。わからないでもない。
「ちょっとな……」
バルナバさんはそう言うと、立ち止ることなくカウンターへと向かう。堂々とした態度に、集まった探索者は道を開ける。男達に付いて行くように、人込みを抜けた。
「個室を」
バルナバさんのその一言と俺達のぼろぼろの姿で、ステラさんは全てを理解したようだった。カウンターから出てくると個室へと案内してくれる。
案内されたのは普段よりも少し広めの個室だった。それでも、バルナバさん達のパーティ、俺達のパーティ。それにステラさん。八人で入るといっぱいいっぱいだった。ギルドの個室はこれほどの人数で使う事を想定していないのかもしれない。
「それで……」
ステラさんが話を促がす。バルナバさんが話してくれると思い黙っていた。が、バルナバさんの視線が俺へと向いている事に気が付いた。ヨハンを見つけ、殺したのは俺達だ。確かに俺が話すべきか。
「ヨハンを殺しました」
想像通りだったのか、ステラさんは、ふっと短く息を吐き出しただけだった。
「討伐証明部位なのですが……」
ヨハンを倒したが、アンデッドとなった事。バルナバさん達が駆けつけてくれた事。浄化スキルによってヨハンの一切を消滅させてしまった事。詳しい事情をステラさんへと説明する。
「俺達もヨハンが消滅するのを確認した。間違いない」
バルナバさんの言葉に、アンドレアさんとタッデオさんも頷く。その様子にステラさんは少し考え込み、
「少々お待ちください」
と言い残し部屋を出て行く。
「やっぱり駄目でしたかね?」
「心配するな。形だけでも上にお伺いを立てに行っただけだろうさ」
バルナバさんはそう言ってくれたが、やはり少し心配だ。俺達に報酬が支払われないのは特に問題ないが、バルナバさん達にも報酬が支払われないのだとしたら申し訳ない。
少々の言葉通り、ステラさんはすぐに戻ってきた。手には皮袋を持っている。報酬の金貨だろう。少しほっとした。
「バルナバさん、レックスさん、複数パーティの証言という事で、討伐証明部位なしですが報酬の支払いが認められました。複数パーティでの討伐ということになりますので、報酬は一パーティあたり金貨四十枚となります」
妥当といえば妥当か。
「いや、俺達は手伝った形になっただけだ。全額レックス達のパーティでかまわん」
相変わらず格好いい。だが、そういうわけにもいくまい。リーゼントのアンドレアさんなど片腕を失いかけるほどの傷を負ったのだ。バルナバさん達がいなければヨハンを殺す事はできなかった。それに装備もぼろぼろだ。修理するにしろ買い替えるにしろ相応の金が必要だろう。
「さすがにそういうわけには」
「なに、それ以上に飲むつもりだからな。よろしく頼むよ。王子様」
どんな店で豪遊したらそんなに飲めるんだ……。ああ。あの店しかないか……。
「……わかりました。ありがとうございます」
とりあえず、すぐに使い切るだろうという事で、ギルドカードには入れず金貨のまま直接貰う。一人頭二十枚。
「それではこの度は誠にありがとうございました。今、司祭の方を呼びに行っておりますので、少々お待ちください」
深々と頭を下げたのちステラさんは部屋を出て行った。通常業務に戻ったのだろう。さて……。
「さすがに、今からじゃ早すぎるな」
まだ一日は始まったばかりだ。夜までは半日以上ある。
「よし、じゃあ昼からにするか」
それでも早すぎると思うんだが……。
「どこか良い店知っているか?」
と、聞かれたのであの高級店を挙げる。ランク2に見合った店といえば、あそこくらいしか知らない。
「じゃあそうするか」
昼に店で落ち合うことにして、バルナバさん達と別れる。幸い俺達の中に司祭の治療を受けるほどの大怪我を負った者はいない。とりあえずはバッチョさんの店かな。装備を修理しなければならない。
店に入るとバッチョさんが店のカウンターにいた。最近は鍛冶場に籠りきりという話だったが……。
「よく来たね。鎧と盾できてるよ」
えっ……、一ヶ月以上はかかるという話だったはずなんだが……?
「もうですか?」
「素材も素直ないい子でね。張り切り過ぎちゃったね。それにしても防具ぼろぼろだね。大丈夫?」
「直りますかね?」
バッチョさんは俺の装備をしげしげと見つめる。
「直……るね!」
直らないと言われたらどうしようかと思った。装備を更新するには早すぎる。シビルとアストリッドの防具は汚れているが修理や買い替えが必要というほどでもない。エリナは新しい鎧と盾が出来ているようだし、今回の事で出費は少なそうだ。
「刺繍部分くらいだからね……。金貨四十枚ってところ」
四十枚か……。完全に赤字になったな。
「それじゃあお願いします」
真赤な防具を脱ぎ、バッチョさんに手渡す。下に服を着ているのでこの場で脱いでも問題はない。
「はいはい。それじゃあ後はノーム銀の鎧かな」
エリナに目を向けるバッチョさん。
「そっちは本当ひっどいね。鎧、出来ててよかったよ」
エリナの鎧は酷い。至る所が凹んでいる。盾も同様だ。凹みを直しても強度に問題が出そうだ。修理は無理だろう。バッチョさんの言う通り、新しい鎧が出来ていてよかった。
「大丈夫だと思うけど、念の為着てみて。こっち」
バッチョさんに促され、店の奥へと消えていくエリナ。鎧の着脱に時間がかかるだろう。
「適当に、見ていよう」
暇つぶしに店内を見て回る。次はいつになるかわからないが、武器の更新だな。右手はいいとして、左手だ。強度を重視したが、あの時とは事情が違う。剣で受けたとしても、折る様な無様な形にはならないだろう。その程度には剣の扱いにも習熟している。右手と同じように切れ味を重視すればいい。いつか切れ味すら気にする事無く斬れるようになればいいんだけどな。
そんな事を考えながら、剣を見ているとすぐにエリナが出てきた。随分と早いな。エリナは白に近い銀色の鎧を着ていた。そこに金色の、俺の剣の拵に似た装飾が施されている。
「どうでしょうか?」
今までエリナが来ていた鎧は体のラインを隠していた。だが、今回の鎧は違う。オーダーメイドという事もあり、エリナの体にぴったりと沿うように作られている。その大きな胸当て、そこから続くくびれ……エリナのプロポーションの良さが全面に出ていた。美しい……。
以前の鎧では覆われていなかった部分も、この鎧では金属で覆われている。全身に金属鎧を纏い、鎧で隠れていない部分は顔だけ。その部位もバイザーを下ろせば完全に隠れるだろう。格好いい……。
「レックスの拵の装飾を思い出してね。参考にさせてもらったよ。どうかな?」
なるほど。似ているわけだ。バッチョさんの顔にも自信が溢れている。
「すごい格好いいよ!」
「……似合ってる」
「うん。似合っているよ」
俺達の言葉に、エリナは照れていた。
「動きやすいですし……。バッチョさん本当にありがとうございました。それで御代なのですが……」
「素材は持ち込みだったしね。成形と装飾、それにエンチャント代だね。金貨五百枚ってところ」
エリナはほっとした様子を見せた。バッチョさんにギルドカードを預ける。
装備代か……。シビルは後衛、俺は前衛よりの中衛。アストリッドは後衛よりの中衛、エリナは前衛だ。ダメージを受けやすいし、必然的にエリナの装備に金がかかることになる。均等に割った報酬から、個人が装備の修理や買い替えの金を出すのはどうなんだろうか? 装備の修理や買い替えなどは、パーティとして出すほうがいい。ある程度、パーティとして金をプールしておくべきかもしれない。後で相談してみよう。
「バッチョさんありがとうございました」
宿に帰り支度をすれば、ちょうどいい時間になるだろう。さて、飲み騒ぐ気分ではないが、それを忘れるくらい飲むとしよう。
装備の手入れや、風呂に入った後、四人揃って店へと向かった。店に着くとすぐに個室へと案内される。どうやらバルナバさん達は先に着いていたようだ。もう少し早くでればよかったか。
「きたな!」
円卓の上には料理が並び、酒も用意されている。開けられていた席に着く。
「それじゃあ始めようか。よくやった! お疲れ!」
待っていた事を気にした様子はなかった。バルナバさんの声で宴会が始まる。
控えめなノックの後、給仕がさらに食事を運んできた。湯気が立ち上っている。暖かい煮込み料理だ。
取り分け、料理に舌鼓を打つ。美味い料理は人を暖かくする。
「今日は本当にありがとうございました」
シビルがリーゼントのアンドレアさんに話しかけていた。
「はは。なに、可愛いレディを守れるのなら腕の一本や二本惜しくはない。それにレックス君のおかげでこの通り」
アンドレアさんが右手を掲げる。
「問題ない」
どうやらアンドレアさんの右手の怪我はシビルの為だったようだ。アンドレアさんの言葉を他の誰かから聞いたなら、苦笑するしかないところだ。だが、アンドレアさんは実際に腕を失いかけるほどの怪我を負ったのだ。
「いえ、私がもっと強ければ……」
申し訳なさそうにシビルが言う。
「ランク4であれだけの魔法。ランク2と聞いても疑いはしない。君はすばらしい魔法使いだ。自信を持っていい」
「……ありがとうございます」
シビルはそれでも申し訳なさそうな態度だった。
「シビルの為に怪我を負われたのですね。ありがとうございました」
高レベルの戦士系であろうアンドレアさんですら、あれほどの怪我だ。シビルではもっと大変な事になっていたかもしれない。感謝を伝える。
アンドレアさんは俺の言葉に、気にするなとでもいう様に手をひらひらと振った。
「たかだか腕一本でレディを守れて、その上、今は問題ないときている。礼を言わなければならないのは、俺の方さ。ありがとう」
アンドレアさんは本当にそう思っているようで、嫌味な所がまるでなかった。
「いえ……」
バルナバさん、タッデオさんにもきちんと礼を言えていなかった。
「こうして無事に生きて出られたのは、皆さんのおかげです。バルナバさん。アンドレアさん。タッデオさん。本当にありがとうございました」
頭を下げる。
「ありがとうございました」
俺の言葉に続き、エリナ、シビル、アストリッドの三人も頭を下げたようだった。
「顔をあげてくれ。たまたまレックス達が当たりを引いただけだ。立場が逆なら、助けられていたのは俺達だったはずだ。さあ飲もう。もう終わった事だ」
バルナバさんはそう言うと俺のグラスに酒を注いでくれる。
「はい。ありがとうございます」
注がれた酒を飲み干し、バルナバさんのグラスに酒を注ぐ。
「それじゃあ俺達は先に帰るからな」
バルナバさんが俺達に告げる。どれほど飲んだだろう。窓の外を見れば、すでに暗くなっていた。バルナバさんは俺の耳元に口を近付け、
「これから娼館だ。お前も来るか?」
と言った。首を横に振る。
「そうか。それじゃあな。……今日は一人にはなるなよ」
俺が曖昧に頷くのを見届け、バルナバさん達は部屋を出て行った。
男達が出ていくと急に部屋は静かになった。シビルは机に突っ伏して寝ている。アストリッドは黙々とグラスを傾け、エリナは隣でその様子を楽しそうに眺めている。
「俺達もそろそろ帰ろうか」
アストリッドがグラスの酒を飲み終えたところで、声をかける。俺の言葉に、エリナとアストリッドが頷き、席を立った。アストリッドがふらつく。と、エリナが手を貸し支える。アストリッドは飲み過ぎたようだ。
立ち上がると、少し足がふらついた。俺もアストリッドと同様、飲み過ぎたようだ。
「すいません」
少し大きな声で、部屋の前に待機している給仕を呼ぶ。円卓の上には大量の皿と、酒の空き瓶。いくらになるだろうか? 手元に金貨五十枚はあるから、足りないという事はない……はず。いや、微妙だ……。
給仕はすぐに現れた。
「お会計をお願いします」
給仕は無表情に、
「すでにいただいております」
と、俺に告げた。えっと?
「スキンヘッドの男の人ですか?」
それくらいしか考えられないが……。
「はい」
俺が払うという話だったのに……。最後の最後まで格好良すぎる。“低ランクによくいる品の無い探索者のような外見”などと、少しでも思ってすいませんでした。きちんと感謝を伝えないと。いや、娼館に行くと言っていたな。娼館の金をこちらで払っておくべきか? ランク2の探索者だ。行くとしたらあそこだろうが……、あそこは来たかどうかすら教えてくれないだろうし。……やはり、今度しっかりとお礼しよう。菓子折りでも持って。
アストリッドをエリナに任せ、シビルを担ぎ上げる。
「眠れないな……」
酔った足でシビルを担ぎなんとか部屋へと送り届けた。そこで皆と別れ部屋へと戻った。酔っていたし、すぐに寝てしまおうと考えたのだ。だが、ベッドに横になるも目は冴え、眠る事ができなかった……。
考えるのはヨハンの事だ。ヨハンの事というよりも、ヨハンを殺した事というほうが正しいか。ヨハンが死んだ事には特に何も思う事はない。自業自得だ。
ただ、確かに俺の中で何かが変わった。変わった……いや、俺の中から何かが失われた。殺すという意志を持ってヨハンを殺した。その事によって。
日本という国に生まれた俺にとって、殺人というのは最も忌避する“犯罪”であった。いくらこの世界に慣れたといえど、それは変わらない。
盗賊の時は過失だったが、今回は違う。殺そうと思って殺した……。そこには明確な違いがあった。
……駄目だ。
バルナバさんは「一人になるな」と言った。その意味が今やっとわかった。
……俺も娼館にでも行くか。行かないと決めたものの、ただただ人肌恋しい気持ちだったのだ。
ベッドから起き上がり――
控えめなノックの音が響いた。苦笑する。どうやら考え込みすぎていたらしい。一切、気配に気が付かなかった。
それにしても、こんな時間に誰だろうか?
「はい」
ベッドから起き上がり、扉を開ける。そこにいたのはエリナだった。
「どうしたの? とりあえず入って」
部屋に招き入れるも、エリナは何も口に出そうとはしなかった。
静寂と共に、時間だけが過ぎていく。直接手を下したのは俺だが、エリナも何か思うところがあるのだろう。
――と、エリナが唐突に俺に抱きついてきた。いや、抱きしめるという方が正しい。
「ごめんなさい」
エリナはただ一言……。謝られるような事をされただろうか?
「……レックス一人に全てを負わせてしまいました。私は……肝心な時に気を失い、何の役にも立てませんでした。パーティなのに……」
「そんなことない」
そう。もしエリナが――シビルでもアストリッドでも――ヨハンを殺していたら、俺は今以上に悩んでいたはずだ。
……ああ。エリナは今そんな気持ちなのか。抱きしめ返す。
どれほどの時間そうしていただろう。長いような、それでいて短いような、そんな不確かな時間だった。
「……もう寝よう」
抱きしめあったまま、ベッドに横になる。そうするとすぐに眠気が襲ってきた。ただ傍にエリナの温もりがあるというだけで。
「そういえば……。朝、迷宮前で三人で待っていてくれた時さ……」
「……はい」
「俺、確かに三人の部屋に気配があるのを確認したんだよね。あれはなんだったの?」
エリナは、くすりと小さな笑い声をあげた。
「レックスはきっと一人で行ってしまうだろうなと。その時に、気配を確認するのはわかっていました」
「うん」
俺は、三人の思った通りに行動していたわけだ。
「ですので、怪しまれないようにと、宿の方に私達の部屋で寝てもらったんですよ」
「そ……」
んな、単純な事だったのか。どんな説明をして部屋で寝て貰ったのだろう? そう聞こうと思ったが、俺の眠気はもう限界だった。
私達の部屋で寝てください――と、変なお願いをしているエリナ達を想像すると、笑えてきた。
娼館に行ったところでこんな穏やかな気持ちにはならなかっただろう。――ありがとう。
まぶたが自然と落ち……。
どんどん! と激しく扉を叩く音に、目を覚ました。……なんだ? 寝起きだというのに、頭はすっきりとしていた。
エリナも目を覚ましたようで、視線が合う。
「……おはようございます」
エリナは少し気恥ずかしそうだった。
「……おはよう」
俺もだ。
その間も扉はノックされ続けていた。
「レックス! エリナもいるんでしょ!」
扉の向こうから声が届く。どうやらシビルのようだ。エリナと顔を見合わせ苦笑しあう。回していた腕を外し、ベッドから起き上がると扉へと向かう。エリナと共に。
扉を開くと、シビルだけでなくアストリッドも居た。
「おはよう」
「今日は私だから!」
えっと……? シビルはそれだけ言うと帰っていってしまった。残された形になったアストリッドに目をやる。
「なんかそうみたい? 私は明後日?」
いやいや……。パーティの行事なわけじゃないよ……。




