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第二十五話 共闘

 オークの気配はとっくになくなっている。三人には角で待機してもらい、そっと身を乗り出し小部屋の様子をうかがう。


 その小部屋の光景に吐き気がした。ヨハンが……、傍らのオークの死骸に口をつけていた。そのオークの肉を噛み千切るとぐちゃぐちゃと、口の回りをオークの緑の血で汚しながら咀嚼していく。


 ああ……これは、完全に狂っている。そう思える光景だった。


 この世界の人間が魔物の肉を食べる習慣がある事は知っている。現に、俺も一度食べたことがある。だが、これは……。


 その間もヨハンはオークの肉を食い続けている。ヨハンはオークの腹部から何か長い物を引きずりだした。あれは……腸だろうか? それに口をつけ噛み千切っている。吐き気が込み上げてくる。


 顔を引込め、大きく深呼吸する。


「どうしました?」


 エリナが心配そうに俺に問いかけるも、それに答える余裕はなかった。再びの大きな深呼吸。何度か繰り返し、やっと答える余裕ができた。吐くかと思った。


「ちょっとね……」


 ヨハンが生肉のままオークの肉を食べていてね。などと伝えられるわけがない。そういえば、オーク肉を食べるのは魔素を取り込む為だった。ヨハンは倒す事で得られる魔素だけでなく、その肉を食べる事ですら魔素を吸収しようとしているのだ。


「絶対に顔ださないでね」


 かなり落ち着いた。あの光景を三人に見せたくはない。喰い終われば次のオークへと向かうはずだ。それまで待つ。三人に忠告し、再びヨハンを見る。


 粗方オークの肉は食いつくし……。ヨハンは傍らに落ちていたオークの得物である斧を手に取った。と、それをオークの首へと振り下ろす。巨大な斧に振り回される事無く、軽々と。再び斧を持ち上げ、今度は胴体と分かたれた頭へと……。


 ヨハンは魔法使い。筋力などの身体的な能力はそれほどではなかったはずだ。魔素を取り込むと強大な力が手に入るという話しだったが、これほどか。


 ヨハンはオークの頭蓋骨を拾い上げ、そこに口をつけ脳髄を啜り始めた。はい。もう無理。喉元まで酸っぱい物が込み上げてきた。


 再び顔を引込め、大きく深呼吸。迷宮内は埃にまみれ、空気は綺麗とは言い難いのだが。気持ちを静める。


「ヨハンは何してんの?」


 シビルの無邪気な問いかけ。


「えっと……。口に出したくもない行為」


 さて、どうするか……。ああ、俺は何故こんな簡単な事に思い当たらなかったのだろう。二度も見る必要はなかった。


「ヨハンの気配が移動するまで待つ。すぐのはずだから、動けるようにしておいて」


 小部屋にはまだまだオークの死体が転がっている。迷宮に吸収されるのも、まだ先だろう。少しでも移動すれば次のオークに向かったという事だ。闘気術を使い、その時を待つ。


 その時はすぐに来た。


「行くよ!」


 角から飛び出す。


 目に入ったヨハンはオークの血液で体中を真緑に染め上げていた。俺とエリナを越えて、シビル、アストリッド、二人の魔法がヨハンへ向かう。


 シビルの火炎がヨハンにぶつかり大きな爆発音と共に燃え上がった。間髪を容れず、アストリッドの風を纏った矢が到達する。その風は周りの空気を火炎へと供給し、さらに炎は勢いを増し燃え上がる。


 轟々と燃え盛る炎。それは普通の人間なら死んでいるであろう威力を伴った魔法だった。


 俺とエリナは足を止めるしかなかった。シビルもアストリッドも最初から殺す気だったのだろう。しかし、炎の中には動く人影が見えた。もちろん気配を伴っている。


 荒れ狂う火炎から何事もなかったかのようにヨハンは出てきた。まだ生きているのは、気配からもわかっていた。だが……無傷とは……。身に着けているローブすら綺麗なままだ。


 ヨハンが俺達へと視線を向ける。と、何がおかしいのか甲高い声を上げ、けたけたと笑い始めた。それは人を不安にさせる笑いだった。ヨハンを業火が照らす。


 俺とエリナが飛び出したのは同時だった。


 揃ってヨハンへと剣を突き出す。


 それはいとも簡単にヨハンへと突き刺さった。あまりにもあっさりと突き刺さったため拍子抜けしたくらいだ。


 剣が突き刺さっているというのにヨハンは笑いを止めようとはしなかった。


「……っ」


 俺とエリナがその場から飛び退ったのは、またも同時だった。


 数瞬前に俺達が居た場所を風の刃が通り過ぎる。


 当然の如く無詠唱かよ。


 さらに俺達へと風の刃が飛ぶ。いや、俺達だけではない。何百という風の刃が無差別に部屋を駆け巡る。


 逃げ場などない。


 左右の剣を振り、風を斬り落としていく。


 エリナ達を気にする余裕はなかった。ただ、ひたすらに俺へと向かう風を切り続ける。


 風は一向に止む気配がない。ずっと闘気術を使っている。そうしなければ、風を防ぐ事などできなかったからだ。このままでは、風が止む前に反動が来る。なんとか状況を動かさなければ……。


 と、後ろから一つの気配がヨハンへと向かっている。この風の刃の中を。


 アストリッド! 風を体に纏っている。


 フルーレを突き出した姿勢で、ヨハンへと突っ込む。


 その勢いにヨハンが吹き飛ばされた。


 風が止む。


 今だ! 床に倒れ伏したヨハンへと飛び出す。気配は消えていない。


 アストリッドが膝を突くのが横目に見えた。怪我ではないようだ。闘気術の反動だろう。だが、機会は作ってくれた。


 倒れ伏してなお、高笑いを続けるヨハンの首へと剣を振り下ろす。胸を突かれても死ななかったヨハンだが、さすがに首を斬り落とせば死ぬだろう。ここにきて、躊躇いはなかった。ただあの本に書かれていた通り、これがヨハンの救いになればいいと思った。


 俺の剣はヨハンの首を断ち切った。肉を切り骨を断つ感触が手に伝わる。それは、ゴブリンやオークを斬るときとなんら変わらなかった。変わらなかった……のだが、それはまったく違った意味を持っていた。


 ヨハンの気配が消えたのを確認し、振り返る。エリナとアストリッドは膝を突いた姿勢でこちらを心配そうに見ている。シビルは部屋の中へと走ってきていた。


 皆のもとへ歩き……、数歩進んだ所で膝が崩れ落ちた。闘気術の反動だった。長い時間闘気術を使い続けていた。当然だ。これは当分動けそうにないな。ガザリムに帰るときには肩を貸してもらわないと……。女性の肩を借り歩かなければならないのは恥ずかしいが、お姫様抱っこよりはましだろう……。


「レックスっ!」


 唐突なエリナの叫び。と同時に衝撃が俺を襲った。


 その衝撃に俺の体は宙を舞い、床に叩きつけられた。


 嘘だろう? 確かにヨハンの気配が消えた事は確認した。というのに、一つの気配が部屋の中に出現している。完全に魔物の気配だ。オークは先程ヨハンが倒したばかり、再出現したにしては早すぎる。迷宮が活性化していた頃とは違うのだ。そもそもオークとは違う気配。体は自由に動かず、そちらを見る事すらできない。


 そうして再びの衝撃。


 意識が遠のく……。



 激しく争い合う音に、目を覚ました。どうやら気を失っていたらしい。何が? 音のする方向へと目を向け……、


「気が付いたらしいな」


 ようとしたところで、横合いから声をかけられた。声の主を確かめる為に体を起こす。と、背中に激痛が走った。そうだ。背後から攻撃を受けたのだった。折れているんじゃないだろうな?


 “祈り”スキルを発動。痛みは和らぐもすぐに動ける状態とはならない。再びの祈りスキル。だが、それは効果を表さなかった。神もそう頻繁に祈られても困るという事だろうか?


 無理に体勢を動かさず、顔だけを向ける。そこにいたのは、リーゼントの男だった。座り込み、背中を壁に預けている。


「その腕……!?」


 男の右肘から先がなかった。止血はされているようで、流血はそれほどではない。傍らの床に男の右手と思われる物体が転がっている。


「俺もお前と同じ。戦力外ってわけだ」


 男は無事な左手で、右手を拾い上げる。と、それを左手でひらひらと振った。激痛だろうに、随分と余裕がある。


 背中の痛みを押し、這う様にして気合いで男に近付く。


「“祈り”を使うんで」


 男は理解したようで、左手に持った右手を右肘に押し付けた。上手くいくといいが……。駄目なら帰ってから、高レベルの祈りスキルを使ってもらえばいい。さすがにギルドから治療費も出るだろう。


 男の傷口に手を当て、祈りスキルを使う。すぐに傷口がぼんやりと光を放った。足りない部分もあったのだろう。肉が盛り上がり再生していく。とりあえずは成功のようだ。


「すまない。助かったよ。かなり楽になった」


 男は確かめるように、右手を握ったり広げたりしている。


「どういう状況ですか?」


 争い合う音に目を向ける。エリナ、シビル、アストリッドの三人に加え、スキンヘッドとモヒカンが、一体の魔物と戦闘を繰り広げていた。


 見た事もない、トロールよりでかい魔物だ。全高七メートルほど。ぶくぶくと太り、どす黒い肌をしている。比較的、人間に近い姿。


「あれがヨハンらしい」


 ヨハンか。さほど驚きはしなかった。可能性として考えられるのは、ヨハンくらいしかなかったからだろう。だが、魔素を取り込むとあんな姿になるのか……。精神的にだけでなく、身体も変容するようだ。あの本にはそんな事は書かれていなかった……。


 祈りスキルを試してみるも、痛みは引かない。リーゼントには使えて、俺には使えない……。同一の効果対象への制限などがあるのか? 戦闘に参加したいが、この痛みでは足を引っ張りかねない。


「お前たちが来るのが遅かったからな。当たりを引いたんだとわかった。で、駆けつけてみると、ソードダンサーが寝転がり、レディー達があの魔物と戦っていたってわけだ」


 リーゼントも同じようで、戦闘に参加しようとはしなかった。


「レディーの話によると、ヨハンを殺したと思ったら体が膨らんで、あんな化け物になっちまったらしい。戦闘中で詳しくは聞けなかったが……」


 俺はあいつに殴り飛ばされたってわけだ。


 リーゼントの話の間も、戦闘は続いている。エリナが剣を振るってはいるが、ヨハンの体に傷を付ける事はできていない。それはスキンヘッドのツーハンデッドソードもモヒカンのハンマーの同じだ。物理無効なのか? 三人共、闘気術を使っているはずだ。それでもヨハンにダメージを与えられない……?


「俺はそれでしくじってな。右手を引き千切られちまって戦力外ってわけだ。まあ、右手を回収しておいてよかったよ」


 アストリッドは闘気術の反動が抜けきっていないのか、後方からの魔法。だが、それもヨハンの皮膚にあたると何故かかき消される。魔法すら無効なのか? シビルの魔法も同じだ。シビルはすでに闘気術を乗せる余裕もないようだった。ヨハンにダメージを与えられていない……。


 物理無効、魔法無効。その上、闘気術すら効かない……。どうすれば……。


 と、エリナが体勢を崩す。闘気術の反動か! ヨハンはそれを見逃さなかった。エリナへと振るわれる巨大なヨハンの拳。その程度の知性は残しているらしい。


 くそっ! 頼む! 俺の願いが通じたのか、ただ時間が過ぎたせいなのか、祈りスキルが発動し痛みが和らぐ。


 エリナは拳を盾で受ける。が、闘気術なしでは受けきれず、衝撃に体が投げ出された。


 痛みは完全になくなったわけではないが、ある程度は回復した。


 闘気術の反動もなくなっている。全身に闘気を纏い、剣を握り飛び出す。


 間に合え!


 倒れたエリナへと振り下ろされようとしている拳。


 スキンヘッドとモヒカンが、エリナへと向かうも、ヨハンは左手を振り回し牽制。


 なんとかエリナと振り下ろされる拳の間に身を滑り入れ、両剣を掲げ衝撃に備える。


 ヨハンは俺の存在など気にした様子もなく、拳を振り下ろした。


 剣へとかかる衝撃。そのまま押しつぶそうとでもいうように、上から力がかけられる。


 闘気術によって支えられてはいるものの、跳ね除けられるほどに力で上回っているわけではない。徐々に押し込まれていく。


 考えろ……! 早く!


 物理無効、魔法無効。闘気術すら無効。そんな相手にどうやって……。ふと、こんな状況だというのに笑いが込み上げてきた。これは初めてデスナイトと戦ったときと状況がそっくりじゃないか。あの時は、運よく勝てたが、今回は……。


「おいしい場面をもっていくじゃないか」


 スキンヘッドの男だった。俺を押しつぶさんとする拳へ、巨大な剣を叩きつける。


「お姫様を助けるのは王子様と相場がきまってら。俺達にその役は重すぎたみたいだわ」


 モヒカンがヨハンの足へとハンマーを叩き入れる。二人共、揃いの金属鎧には至る所に凹みが見え、満身創痍といった感じだ。だというのに、この男達は……、あのリーゼントもそうだったが、随分と余裕を……。


 どんな苦境でも笑ってみせる。これが、長らく探索者を続けてきた男達の強さなのだろう。俺も……、


「身の程を御知りのようで……」


 男達を見習い、軽口を返す。少し……いや、かなり失礼だったか。俺が気を失っている間も、戦い続けていた男達に対して……。


「言うじゃないか」


 だが、俺の返答に二人は大笑いし始めた。


「眠り姫ってのは聞いたことあるけどな……眠り王子ってのは、なんだかしまらねぇ、な!」


 モヒカンが再び足へとハンマーを振るう。ヨハンがぐらりと体勢を崩した。


「王子ってのは金持ちと決まっている。今日の飲み代は王子持ちだ……」


 スキンヘッドの上段からの斬り落とし。俺へとかかる圧力が緩んだ。


「先輩に奢ってあげます」


 男達との会話に、いつの間にか精神的にも余裕ができていた。そうか。あるじゃん……。デスナイトの時と同じだ。まだそうと決まったわけではないが、可能性としては……。


 “浄化”


 スキルの発動と同時に、ヨハンの拳は自らの力によってその身を傷つけていく。


 通った!


 剣が深く……、深く突き刺さる。


 ヨハンは一度死んだ。気配が消えたことを確認したのだ。それがこうやって動いている。アンデッド以外のなにものでもない。あのノーライフキングすら傷をつけた“闘気”と“浄化”の複合スキルだ。アンデッドならば通らないはずはない。


「行きます!」


「おう」


 スキンヘッドにこの場を任せ、ヨハンの懐へと……。懐に入れさせまいと、俺へと振るわれる左拳。


 くそっ!


 突然、その拳が衝撃によって俺を逸れた。シビル、アストリッドの魔法。だが魔法は……。無理やりに闘気術を乗せたのか……。もう限界だろうに。


 二度目の闘気術に反動はすぐにやってくるだろう。背中の痛みも再び襲ってきている。


 これで決める。


 ヨハンの懐へと潜り込む。


「!!」


 声にならない声を上げ、一心不乱に左右の剣をヨハンへと叩きつける。


 これを逃せば……次はない!


 その思いを乗せ、ただひたすらに剣を振るう。


 剣を振るうたびにヨハンは呻き声を上げた。『やめてくれ』『もうじゅうぶんだ』その呻き声は俺にそう訴えかけているようだった。


『はやく……』


 飛び上がり左右の剣を交差させると、ヨハンの太い首へと突き付る。


 ……ああ。すぐ終わりにしてやる。


 剣を左右へと一気に振り切る。


 これで……。


 どっと鈍い音をたてヨハンであった魔物が地に倒れ伏した。


 その傍らに降り立つ。


 まだ気配は消えていない。そろそろ闘気術も限界に近付いている。早く仕留めなければ……。


 魔物の体が、黒い霧に包まれ凝縮されるように萎んでいく。


 残ったのは元のヨハンの姿をとった何かだった。


 ヨハンであった物に近付く。


 目を開き、傍らに立つ俺を見上げる魔物。


「さあ」


 ヨハンが両腕を広げた。わかっている。気配は魔物のまま。姿は戻っても決して人に戻ったわけではない。


 剣を逆手に掲げ……。


「俺がやる」


 肩に手が置かれる。スキンヘッドの男だった。今の状態ならば、闘気術でもヨハンを殺せるかもしれない。だが……。


 首を横に振り、ヨハンの胸へと剣を突きたてた。


 ヨハンは胸に剣を突きたてられたというのに、何の感情もあらわさなかった。ただ無表情に光の粒子となって消えて行った。後には何も残らない……。


 振り返ると、皆こちらを心配そうに眺めていた。エリナも気が付いたようで、自らの足で、しっかりと立っていた。よかった。大きな怪我もないようだ。


「さて。それじゃあ帰るか」


 男の言葉に、今度は縦に首を振る。あっ……。討伐証明どうするんだ……?

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