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第十六話 魔素中毒者

「それじゃあ行ってきますね」


「ああ。気を付けて」


「相手傷つけちゃ駄目だよ!」


 エリナが試験官を担当するのは午後からという事で、午前中は共に十四階層に潜っていた。試験官の事もありエリナには休めばと言ったのだが、ウォームアップに丁度いいとついて来ていた。


 エリナを光が包み、この場から姿を消す。


「それじゃあ続きとしようか」


 シビルに声をかけ、オーク狩りを再開する。



「レックス」


 オークの牙を回収している最中、唐突にシビルが俺へと話しかけてきた。


「ん?」


 手を止め、オークからシビルへと視線を移す。


「レックスは、エリナの指名ってなんだと思う?」


 そのことか。近くに探索者の気配はない。念の為、周囲を見渡し誰もいないことを確認した後、口を開く。シビルもすでにエリナの事情については知っている。


「可能性が高いのはバシュラード家か、王太子妃関係だと思う。ただ……そうでないといいな、とは思っているけどね」


 そうであるならば、明らかに面倒だ。最悪、ガザリムを離れるという選択を取らなければならないだろう。貴族の厄介事に首を突っ込むのは、もう懲り懲りだしな。あの一回で充分だ。いや……もしエリナが再び同じような選択をするのなら……。その時はその時だな。今考えても仕方がない。


「うーん。その可能性も確かにあるね。でも私は違うと思うな」


 どうやらシビルは俺とは違う考えのようだった。わざわざエリナを指名する……。他にどんな場合があるだろうか?


「ほら。エリナって綺麗じゃない?」


 確かに。毎日一緒にいるからか最近は見慣れたが、エリナは美しい。あっちの世界を合わせても、これまでに見た女性の中で、最も美しい。あえてシビルの質問には肯定も否定もせず先を促がす。女性の前で他の女性を褒めるなど愚行としかいいようがない。そこで、ふと「シビルも綺麗だよ」という台詞が思い浮かんだ。が、口に出す勇気はなかった。


「だからね。そっちじゃないかなって」


 シビルは、俺の態度を気にした様子もなく話を続ける。


「そっち?」


「うん。エリナの事が好きな人が『君に勝ったら俺と付き合ってくれ!』みたいな」


 そういった可能性もあるか。だが……。


「それなら、ぜひ『うちのパーティに!』って可能性の方が高くない?」


「本当にそうかな? そう思いたいだけじゃない?」


 シビルは意味ありげな笑みを浮かべた。実際、行動に移すかどうかは別にして、エリナに憧れている探索者は多いとは思う。もし、本当にシビルの言う通りだったとして……。エリナが誰かと付き合う……。例えそうだったとしても、エリナがそんな選択をするとは思わないが……、少し複雑な心境だ。いや……。


「相手、女性じゃなかった?」


 確か……“アストリッド”といったはずだ。確信はないが、女性名ではないだろうか? シビルは俺の言葉に、いたずらがばれた子供のような表情を見せた。


「覚えてたかー。でもどう思った?」


 シビルは再び、あの意味ありげな笑みを見せる。そういうことか……。つまり、シビルはこう言いたいのだ。エリナが誰か別の男と付き合ったら、嫌なんじゃないの? それは、俺がエリナの事をパーティメンバーとしてだけでなく、女性としても好きだからじゃないの? と。


「それで……、もし……それがエリナじゃなくて私だったら、どう思う?」


 この時だけは、シビルは真剣な表情だった。シビルだったら……。エリナのときと同様、不快感を伴った複雑な思い。俺はエリナとシビルのどちらにも、パーティメンバーとしてではない好意も持っているのだろう。この嫌な気分がその証拠だ。パーティメンバーとしてだけならば、心から祝福できるはずだ。ソールさんとステラさんのときのように。


 だが、俺はそれ以上にこのパーティが好きだ。どちらかを選ぶということは、どちらかを選ばないという事。ランク4試験のときの、メイスの男が言っていた言葉を思い出す。「せっかくここまで上手くやってきたのに女の事でパーティが解散とか目も当てられん」という言葉。その通りだ。


 ……それはどちらか決められない優柔不断の言い訳なのかもしれない。


「俺は……、エリナの事もシビルの事も……好きだよ」


 ただそう言うしかなかった。


「レックス……。私も……」


 シビルは、ぎゅっと目を閉じ、


「レックスが好き」


 勢いよく、言葉をぶつけてきた。シビルはさらに言葉を続ける。


「私は私を選んでほしいと思ってる。私だけを……。エリナもきっと同じだと思う……。でもね……」


 でも……?


「ランク2以上の探索者には三人まで重婚が認められているんだよ? ビュラン王国ではね」


「それは……」


 選べないならどちらをも選ぶ選択があると……。ギルドランク2までに結論を出せと。


「じゃあ、次行こっか」


 俺が考え込んでいる間も、シビルはオークの牙を回収していたようだ。すでに、ほとんどのオークの牙はシビルの持つ袋の中だった。目の前のオークから牙を回収し、袋に入れ立ち上がる。


「ありがとう」


 しっかりと気持ちに気付かせてくれて。結論を急がせないでくれて。


「レックスだからね」


 そう言ってシビルは笑った。



 オークへ向かっていると、近くに探索者の気配があった。


「ちょっと寄り道するね」


 シビルに断りを入れ、その気配のもとへと向かう。普段であれば、探索者に近付くなどという事はしない。だが、その気配は普通の探索者の気配とは何かが違った。探索者の――人の気配なのは間違いないのだが、どこか……。


 そのおかしな気配は、オークを狩っていた。複数のオークの気配が一瞬で消えていく。かなり強い……。


 小部屋手前から部屋の中を覗く。狩り中の探索者に近付きすぎるのは、マナー違反だ。中にいたのは、男だった。ローブに杖。典型的な魔法使い系クラスだ。


「あの人……」


 シビルが呟く。


「知っている人?」


 小さく頷いた。


「前に私、試験官をしたじゃない? たぶん、そのときの相手……。ヨハンって名前だったかな?」


 なんだろうか? 具体的にどこがおかしいと指摘はできないのだが、普通の探索者とは違う気配。その戦いぶりを観察する。ヨハンの魔法は、シビルにも匹敵するのではないかという威力を持っていた。圧倒的な範囲火力の前に、オークは為す術もなく沈んでいく。その様子をシビルはただ黙って見つめていた。


 ヨハンはオークを倒し終えると、振り返りこちらを見た。こちらに気が付いていたようだ。シビルに目をやると向かって来た。相変わらずおかしな気配だったが、その態度、様子には変わった点は見られない。


「シビルさん。どうでした? 僕も随分と強くなったでしょ?」


 シビルに話しかけるヨハン。その問いかけにシビルは無言だった。険しい顔で、ただヨハンを見つめている。……やがて、シビルはただ一言、


「……やめたほうがいいよ」


 と。ヨハンはその言葉に顔を歪ませる。


「嫉妬ですか? 自分より強くなってしまった僕に」


 その言葉にもシビルは、


「本当に、やめたほうがいいよ」


 と再び言うだけだった。事情のわからない俺は、ただ二人のやり取りを見ている事しかできなかった。


「それ以上、魔素を取り込んだら……」


 そこで、やっとシビルの言葉の意味がわかった。


「『狂った魔法使い』……」


 ヨハンはそこで初めて俺の存在に気が付いたように、こちらへと顔を向けた。


「あなたもあの本をお読みになったのですね。ご心配なく。僕は狂ったりしませんので」


 その顔を直視することができなかった。歪なその笑顔。「もうすでに狂っているよ」喉まで出かかった言葉を飲み込む。


「それじゃあ僕は、まだ魔物を狩らないといけないので」


 そう言って俺達に背を向け、ヨハンは歩き出す。


「忠告はしたよ」


 その背にシビルが声をかけた。ヨハンはその言葉に立ち止ったが、振り返る事はせず再び歩き始めた。どうすべきなのだろう? ヨハンは俺達から離れつつある。


「まだ、間に合う?」


「どうだろう。そのはずだけど……」


「わかった」


 闘気で足を覆う。背を向けているヨハンへと踏み出し、その無防備な後頭部へと拳を振り下ろした。攻撃を受けるなどとは、一切思っていなかったのだろう。防がれるという事もなく、ヨハンは地面へと倒れこんだ。起き上がってくる様子はない。


「ちょっとレックス!?」


 あの様子では、素直にこちらの言う事を聞いてくれるとは思えなかった。人を襲ってからでは遅い。あの本を読んだうえで、自分は狂わないと信じ、わざわざ魔素を取り込んだ馬鹿な人間に関わる必要を感じない。好きにすればいい。シビルが試験官を担当したというだけだ。


 だが、もし人を殺すような事になれば、俺はここでヨハンを放置した事を後悔するだろう。馬鹿は放置でもいいが、馬鹿に殺される人間を出すわけにはいかない。


「無理やりにでも、今のうちに止めておくべきだと思ったから」


「それでどうするの?」


 どうするか……。そこまで考える暇がなかった。


「魔素を取り込まなければ正気に戻るなら、魔法を使えないようにできればいいけど……」


「できるよ?」


 できるのか……。


「でないと、魔法使いの犯罪者とかどうするの? 脱獄しほうだいだよ?」


 言われてみれば確かに……。


「それで?」


「魔素を集めることを阻害する魔道具があるの。それを付ければ魔法は使えなくなるよ」


 便利な魔道具があるもんだ。


「じゃあとりあえず街へ戻ろうか。ギルドになら、ありそうだし」


 フラグメントを取り出し、転移の準備をする。ヨハンを背負い……。


「これ。ヨハンもちゃんと転送されるよね?」


「うん。そのはず」



 問題なくヨハンも共に転送された。念の為、ガザリム街門の衛兵に聞いたのだが、詰所にも魔法行使を阻害する魔道具は置かれていた。付けてくれと頼んだのだが、実際に犯罪を犯した者でなければ付けられないと断られた。確かにヨハンはまだ人を襲った訳ではない。結局はギルドに行くしかなかった。


 ギルド受付でステラさんに個室を用意してもらう。あまり人の居る所で話す内容でもない。それでなくても、気を失ったヨハンを背負う俺には、探索者の視線が集まっている。


 エリナが担当した試験はとっくに済んでいたようで、エリナは随分と前にギルドを出たという事だった。


「わざわざ個室で話さなければいけない事とは、そのヨハンさんの事ですか?」


 隣に意識なく座らされたヨハンを見る。どうやらステラさんはヨハンの事を知っているようだった。受付をしているのだし当然か。


「はい。彼はどうやら魔素中毒のようです。このままでは人を襲う可能性もあると判断したので、気を失わせて連れてきました」


「……間違いないのですか?」


「はい。彼が直接そう言ったので……」


 実際に「僕は魔素中毒者です」と言ったわけではないが、あの言動から、魔素を意図的に取り込んでいるのは間違いない。


「レックスさんの言葉が虚偽であり、意図的に探索者を陥れたと判断された場合、ギルドカードを剥奪されます。よろしいですか?」


 え……。


「レックスさんが、嘘を言っているとは思いません。実際に、魔素中毒者であるならば検査で必ず引っかかりますよ。間違いであった場合も、数日間の迷宮探索の停止命令程度です」


 それならいいか。ヨハンの気配は、明らかに通常の探索者とは違った。ギルドでも判別できるだろう。頷く。


「わかりました。少々お待ちください」


 ステラさんはそう言うと部屋を出て行った。すぐに戻ってきたステラさんの手には、金属製の輪が握られている。ヨハンに近づくと、その金属の輪を首に嵌め、南京錠のような物をかけた。どうやらそれが、魔法を使えないようにする魔道具のようだ。


「ありがとうございました。念の為、魔道具を取り付けさせていただきました」


 ステラさんの説明によると、どうやら魔素中毒者への対応マニュアルのようなものがギルドにはあるらしい。詳しくは聞かなかったが、魔素中毒と判断されれば、一定期間、監禁されたりするらしい。カウンセリングなども行われるそうだ。結構しっかりしているもんだ。ギルドに連れてきてよかった。


 オークの牙を換金し終えると、ギルドを出る。後は宿に戻るだけだ。エリナも戻っているといいが。



「レックス! シビル!」


 宿への道すがら、俺達を呼ぶ声が聞こえた。エリナの声だ。声がした方向を見れば、エリナがこちらに大きく手を振っていた。その隣にはエルフの女性が立ち、エリナと同じようにこちらを見ている。何度かギルドで見かけた、あの無表情なエルフだ。……?


 シビルと二人、エリナ達へと向かう。エリナとエルフも俺達を目指し歩いてきた。ただ単に隣に立っていただけ、というわけでもないらしい。目の前まで来ると、俺達の不思議そうな顔に気が付いたようで、エリナは隣のエルフに少し目をやり、ほほ笑んだ。


「レックス、シビル。紹介しますね。こちら……」


「……アストリッド」


 エリナの言葉を遮り、表情の見えない声でエルフの女性は言葉を発した。

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