第二十二話 十二階層
十二階層に入り、寄り道もせず階段を目指す。随分と歩いたものの、この階でノームが近づいて来るということはなかった。だが、エリナは十一階層の興奮を引きずっているようで、あまり気にしていない様子だ。
マップを書き写していた段階である程度はわかっていたことだが、十二階層は随分と広い。階段までの距離も長いのだが、ノーム達は俺の気配察知の範囲外にいるようで気配すら感じなかった。一切、気配のない階層というのは、魔物の気配で溢れていた階層以上に不気味に感じた。気配察知のなかった頃はどうやって、生活をしていたんだっけ? いまさら、あの周りの状況を把握できていなかった頃に戻っても、まともに生きてはいけない気がする。慣れとは怖いものだ。
俺がそんなことを考えている間も、後ろではエリナとシビルがノームについて語っている。シビルもエリナのようにノームの魅力に参ってしまったようだ。
あんな小さな体なのに英雄を倒せるとは……。あの小さく無害そうなノームを問答無用で斬りつけた英雄というのにも興味がわいてきた。それほどまでに用心深かったのか……。それともただの考えなしか……。俺と同じような存在だったとすれば……。
エリナとシビルのおしゃべりをBGMに、過去の英雄に思いを馳せる。
気配が近づいてくる。ノームの気配だ。その数は一つ。そのノームは俺達へと最短距離で近づいてくる。十一階層のときはある程度の距離を置いて止まったが……。このノームは随分と近くまで寄ってくる。二人に知らせようと後ろを振り返るが、エリナもノームの気配に気がついたようで、目を輝かせた。
「シビル! ノームが近づいきています!」
エリナの言葉にシビルも目を輝かせた。そんな俺たちの前にひょっこりとノームが現れた。それも壁の中からだ。ノームというのは、どうやら壁の中も自由に移動できるようだった。レイスもそうだったな。
ノームは俺たちのすぐ手前までやって来た。とんがり帽子をかぶり長い髭。十一階層で見かけたノームと変わりはない。その行動はずいぶんと違うが……。
そのノームは「何もしないよ」とでもいうように手のひらをこちらに向け、両手を上げた。これはこちらの世界でも有用なのだろうか? 無詠唱魔法などもあるし、それだけで安心できるというものではないはずだが。
その行動に安心したのか、近くに現れたノームに興奮を抑えられずエリナとシビルは腰を落とし、ノームと目線の高さを合わせようとする。それでもノームを見下ろす形だった。
人が興奮しているのを見ると冷静になれるものだ。なにが起こってもいいように剣に手をかけ、いつでも抜き放てる状態に持っていく。剣を突き付けなかったのは、いきなり剣を抜くというのも、意志ある生物に対して失礼だろうと思ったからだ。もちろんノームがエリナとシビルに何かするとは思わない。というか思いたくはないが……。
ノームは俺達に何かを訴えかけていた。問題はノームの言葉がわからないということだ。そんなノームの様子にエリナとシビルは困惑の表情で顔を見合わせる。
業を煮やしたように、ノームはシビルの服の裾を持つと引っ張った。どうやらどこかへ連れて行きたいようだ。エリナとシビルは立ち上がり、どうしよう? とこちらを見た。
「ついていくしかないだろう」
俺の言葉にエリナとシビルは嬉しそうな顔になった。ノームは、こちらを急かすようにぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「行くから心配しないでください」
俺の言葉がノームに通じたかはわからないが、ノームは俺の言葉にその身を壁の中へと消していく。俺達は壁の中を移動などできないぞ……。
「どうしましょう?」
「気配のする方向へ道なりに行くしかないんじゃないか?」
とりあえずはノームが消えた左へと曲がれる道を探さなければ……。マップに目を落とす。
「この先に左にいける道があるみたいだ」
俺達が数歩、歩いたところで、ノームが壁の中から再び顔を出した。ノームの顔には焦りの表情。
「俺達は壁の中を移動したりはできないんだよ」
身振り手振りを交えエリナが説明を始めた。壁を指さし×を作ってみたり……。そのエリナの説明はノームにも伝わったようで、ぴょんと飛び上がると空中を飛び始めた。今度は壁の中へともぐりこむようなことはせずに、通路沿いに進む。先導してくれるようだ。
ノームの後を追いかけて、何度も道を曲がる。ノームの速度は速く、道を覚えている余裕はなかった。階段までたどり着けるだろうか? 帰りも先導してくれることを祈ろう。最悪、転移で外にでるしかないか。
俺の気配察知に、前を行くノーム以外の気配が引っかかった。ノーム達の気配は一か所に集まっていた。その中にひとつノームとはまったく違った気配がある。ノーム達からその気配へと魔法が使われている。どうやらノーム達は一体の魔物と戦っているようだった。これは助けてほしいという事だろうか……? 先導するノームの様子から戦況は悪いに違いない。
「二人とも止まって!」
何事かと足を止め、こちらを振り返る二人。
「どうやらノームの集団が魔物に襲われているみたいだ」
俺の言葉に慌てて走り出そうとする。
「ちょっと待ってくれ!」
二人を呼び戻す。
「よく考えてくれ。剣術Lv2800という英雄を倒したノームが苦戦する魔物だ。俺達が行って、どうこうできる相手とは思えない」
俺の言葉に二人が考え込む。
「俺だって助けられることなら助けてやりたいが、ノームと共倒れという可能性が高い。ここから先は進むべきじゃないと思う」
「ですが……」
エリナはなんとか力になってやりたいのだろう。だが、俺の選択が正しいこともまた理解しているようだった。
俺達がついてこないことに気が付いたノームが道を引き返してきた。ただじっとこちらを見ていた。そのノームの顔には諦観が現れているように見えた。俺達の決定を尊重すると……。
「えっと……」
シビルが何故か手を挙げた。俺とエリナの視線がシビルを向く。
「こういうのはどうかな? とりあえず行ってみて、どうにかできそうなら助ける。だめそうなら迷宮を出るってことで」
俺としてはなるべく近づきたくもないんだが……。ノーム達と戦っているとはいえ、そのターゲットが俺達に向かないとも限らない。
「どうでしょうか?」
エリナもその意見に賛同した。
「駄目そうならすぐに転移するって約束できる?」
二人は頷く。
「わかった。じゃあ行こう」
結局、俺はエリナとシビルに甘いんだと思う。状況に流されやすいしな。直さないといけないとは思うが難しい……。
「行きますよ!」
エリナがこちらを黙って見ていたノームへと声をかけ、再び走り始めた。ノームは俺とシビルの周りを一回旋回する。俺達への感謝のつもりだろうか? ノームはすぐにその場を離れ、速度を上げるとエリナに追いつき、すぐに追い越した。シビルも続く。できる限りの事はしよう。できないことはしない。特に後者は忘れないようにしないと……。
ノームと魔物は、少し大きな広場にいた。遠くから見つめる。
「イヴィルアイ……」
シビルがぽつりと一言漏らした。部屋の中にいたのは巨大な眼球の姿をした魔物だった。だったが……。
「違うと思います」
俺もエリナと同じ意見だ。確かにイヴィルアイと同様に、その外見は大きな眼球だ。だがイヴィルアイとは違いその眼球からは触手が生えていない。その代りに眼球からは一対の蝙蝠に似た翼が生えていた。
「ひとまず様子を見よう」
まったく見たこともない魔物だ。ノーム達には悪いが俺達の安全を優先させてもらう。
ノームからは絶えず魔法が飛んでいる。その魔法は地属性系統ばかりだが、威力は目を見張るものがある。シビルの魔法以上だろう。だが空飛ぶ眼球はその魔法をものともしない。シビルが唇を噛み締める。俺達の中で最も火力が高いのがシビルだ。そのシビル以上の魔法でもダメージを与えられないとなると……。
空飛ぶ眼球の攻撃手段は体当たりくらいで、その他の攻撃をする様子は見られない。その体当たりも随分と遅くノーム達は軽々と避けていた。だが、そこで空飛ぶ眼球のほぼ全てを占める眼球がちかちかと点滅を始めた。そしてすぐに眼球は大きく光を放った。その光を浴びた、あたりのノーム達が石になってしまった。イヴィルアイの光は対象を分解し消滅させたが、この魔物の光は対象を石にしてしまうようだ。しかし、俺達にとってそれは同じこと……死だ。
無事だったノーム達は石になった仲間を殴りつけた。それほど強い力ではない。ぽかっ! といった程度だ。だが、それは劇的な効果をもたらした。石と化したノームの体が、ただそれだけで元に戻ったのだ。石は細かな破片となってさらさらと地面へ落ちた。中には自力で石から抜け出すノームもいる。どうやら体を石にしているわけではなく、表面を石で覆っているような感じだ。
なるほど。空飛ぶ眼球とノームの相性は悪い。むしろ良いと言えばいいのか。お互いに相手にダメージを与えることができないのだ。迷宮活性化が収まってから、数日たっている。普通ならば、その間にどちらかの勝利で終わるはずだが、そういった理由もあり未だに戦い続けているのだろう。
エリナは俺達を先導したノームになにやら喋りかけていた。身振り手振りを交えてはいるものの、その会話は成立しているのだろうか……。
後方、俺達が来た方向から、この広間を目指し進んでくる気配がある。その気配はどんどん近づいて来ると、壁の中から姿を現した。新たなノーム達だ。そのノーム達は通り過ぎながら俺達を見て、頭を下げてきた。つられて頭を下げ返す。ノームはすぐに広間へと顔を戻しそのまま中へと入っていった。
そのノームの集団の中に一人変わったノームを見つけた。帽子の先を少し折り曲げ、長い髭を三つ編みにしたノームだ。エリナが言っていたノームとはこのノームだろうか? 確かに他のノームよりもお洒落に気を使っているように見えた。そのノームは他のノーム達より長い時間俺達を見ていた。
今まで戦っていたノーム達が広間の壁の中へと消えていく。交代か。そうでもなければ長時間戦えないだろう。新しく現れたノーム達も空飛ぶ眼球に向かい魔法を放つ。その魔法には先ほどのノーム達以上の威力があった。巨大な岩が飛ぶ。が、それは空飛ぶ眼球の光によって威力を失い眼球に届く前に地面へと転がる。
光の性質や、その動きからイヴィルアイの下位であることには間違いはない。二十三階層レイス以降、三十階層イヴィルアイ以前だろう。俺たちにとって格上の相手であることには間違いないが、倒せないということもないだろうと結論付けた。ただ、無傷で……となると自信はない。安全を優先するならば、ここは逃げるべきだ。
エリナがこちらを向いた。ノームとの話は終わったのだろうか?
「レックスやりましょう! 行けます!」
エリナは自信満々だった。
「ここは見捨てるという選択をするべきだと思うけど……」
俺の声は思った以上に小さかった。
「絶対はありませんが、まず間違いなく無傷で倒せます」
「根拠を聞かせてほしい」
「イヴィルアイと同じ性質だと思われます」
それはたぶんそうだろう。俺も同じ事を考えた。あの光が放たれている間は、ダメージを与えることができるということだ。俺達の闘気術はまだまだだ。シグムンドさんと同じように武器に闘気を纏わせたとしても、それで無効化できるかはかなりの賭けになる。となれば、
「シビルの闘気術を乗せた魔法に頼るということ?」
エリナは首を横に振った。
「それだけではありません。私達も攻撃に参加します。ノームさんとお話したのですが、ノームさんなら私達の石化も治せるそうです」
先ほど喋っていたのはこのことか。だが……。本当にノームはそんなことを言ったのだろうか? ノームを見る。俺の視線に気付き、胸を張り任せろとその胸を拳で叩いた。自信があるのは確かのようだが、それが本当に石化を解けるという部分に対する自信なのかは判断のしようがない。
「万が一、いえ、そんなことは決してありませんが、ノームさんが私達の石化を解けなかったとしても、教会の司祭様なら石化を解くことも可能です」
シビルはもうすでにやる気に満ち溢れている。
「わかった。……まずは作戦を考えよう」
やっぱり結局、俺はエリナとシビルに甘い。先ほど直さないと、と思ったばかりなんだがな……。エリナがノームへと話しかけている。作戦についてノームへと伝えているようだが、それはごく普通の日本語だ。ノームも答えているが、その言葉は俺には理解できなかった。
やると決めた以上できる限りの事はする。シグムンドさんは槍を闘気で覆っただけだったが、それだけでは不安がある。武器はもちろん、全身を闘気で覆うことにする。広間の中に入り、体中の魔素を集め闘気へと変換していく。空飛ぶ眼球は俺達を気にした様子もなかった。絶えずノームの魔法が飛び交っているのだ。それどころではないのかもしれない。
シビルはもうすでに終えたようで、俺とエリナを待っている。
「行けます!」
エリナから声がかかる。もう少し……。シビルが呪文の詠唱を始める。
『世界に遍く可能性という名の種子よ。我が前に集いて花と成れ!』
短詠唱ではない。そこで俺の準備も整う。
「いつでも!」
『其は赤。其は杖。其は鳥。其は炎……也!』
炎といった形の無いものも、あの光は石にできるのだろうか? 妙に変なところが気になった。とりあえず今はそんなことを考えている場合ではない。これでシビルの発動準備は整った。後はタイミングを待つだけだ。
眼球がちかちかと細かく光を放つ。
『ファイアランス』
魔法が発動した。その火の槍はどことなくシグムンドさんの槍に似ていた。イヴィルアイの光を切り裂いたシグムンドさんの槍……。この場面にぴったりだ。
火の槍を追いかけエリナが飛び出し、俺もそれに続く。眼球が大きく光を放つ。闘気を纏った俺達は一瞬で眼球へとたどり着いた。ノーム達の魔法はぴたりと止み、眼球から離れた場所へと退避している。エリナ……すごいな……。作戦がちゃんと伝わっている……。
放たれた光を押し返すように炎の槍は眼球へと達する。光によってその威力は削がれ、致命的とは言い難い。エリナが盾を突き出し、さらに詰め寄り文字通り眼前まで進む。
エリナの後ろから飛び出し眼球へと二本の剣を振るう。光の圧力に押し戻されそうになる。
……斬る。石も斬れたなら、光も斬れるはずだ。現に俺はシグムンドさんが光を切り裂くところを見ている。
闘気を乗せた俺の剣は光を切り裂き、そのまま焼け焦げた眼球へと届く。が、光の圧力はなくならない。後ろでエリナの呻き声が聞こえた。振り返る余裕はない。ただ剣を振るうのみ。
二度目に振るった剣は深く、深く眼球へと潜り込んだ。光が止む。それと同時に魔物の気配も消えた。
「大丈夫か?」
膝を折り振り返る。エリナの突き出した盾から肘にかけてが石になっていた。明らかに大丈夫ではない。エリナは苦しげだったが、無理に笑顔を作る。
「大丈夫……です……」
ノームとシビルが駆けつけた。ノームはエリナの腕をぽかっっと叩く。すると表面を覆っていた石は粉々に砕けた。盾に傷なども見られない。腕を覆う小手も綺麗なものだ。エリナは確かめるように何度か腕を曲げた。
「ありがとうノームさん!」
ノームは照れたように、とんがり帽子を取り頭をかいた。俺達はその場に腰を下ろす。疲れた……。もう動きたくない。
俺達の周りに続々とノーム達が集まって来る。手を差し出してきた者もいる。その手に指を差し出す。ノームは俺の指を掴み頭を下げた。その行動を見た他のノーム達も次々に俺達に向かい手を差し出して来る。その手一つ一つに指を差し出す。親指から小指まで俺の指はノーム達に掴まれた。……俺の指大人気。




