第一話 帰還
楽しい時間というものは、すぐに終わってしまうものだ。気持ちの話だけではない。実際の日数もだ。馬車は順調すぎるくらい順調に進み、ガザリムにすぐに着いてしまった。行きの乗り合い馬車の時と比べても二日は早い。さすがバシュラード家が用意した馬車だ。馬車自体はそれほど変わっているわけではない。馬車を引く馬がすごかったのだ。疲れ知らずといった感じで、あっという間にガザリムへの帰路を踏破した。
もう少しエリナとの旅を楽しみたい気もしたが、やはりガザリムに帰ってきた事は素直に嬉しく思う。馬車はトマスさんの店につけてもらった。まずはトマスさんに帰ってきた事を伝えないと……。
「ありがとうございました」
御者と別れトマスさんの店へ入る。御者はガザリムに留まることなくこのまま王都へ帰るそうだ。ご苦労様です。
トマスさんの店は特に変わりはなかった。それほど長い時間離れていたわけでもないし当然か。従業員も見たことのある顔ばかりだ。俺に気がついた従業員がトマスさんを呼びに行ってくれた。
店の品を見ながらトマスさんを待つ。どれもこれも高く、バシュラードさんに金貨を貰った今ですら買えそうにない。中には買えそうなものもあるが、剣二本、防具一式を買い換えようとしている俺にはまだまだ早い。それはエリナも同じようだった。
「さすがにまだ買えそうにないですね……」
手に持ったレイピアをうっとりと眺めている。
「頑張ってこの店で買えるくらいになりましょう!」
時間はある。迷宮を攻略していつか買える様になればいい。エリナとそんな話をしていると、店の奥からトマスさんがやってくるのが見えた。エリナも気がついたようで、名残惜しそうにレイピアを壁に戻した。
「ただいま戻りました!」
エリナと共に頭を下げる。
「トマスさんのおかげで、エリナと共に無事戻ってこられました。ありがとうございます」
「ありがとうございました」
頭を上げると、トマスさんが手を横に振っていた。
「いえいえ。私がしたことといえば、手紙を一通書いただけです。今回の事は全てレックスさんの頑張りによるものでしょう。王都ではずいぶんとご活躍だったようで……」
トマスさんは、にこにこといつもの笑顔だ。それにしても情報が早い……というか早すぎる。まだあれから一週間も経っていない。どうやって情報を知りえたのか……。
「もうご存知とは思いませんでした。活躍というほどではないですが、少しはエリナの役に立てたかなと……」
「少しだなんてそんな! レックスのおかげで私は今こうしてここにいられるのですから……」
エリナは必死な顔で俺の言葉を否定した。そう言って貰えると、王都まで行ったかいがあるというものだ。
「お二人ともずいぶんと仲がよろしいですな」
トマスさんの顔にはからかうような笑みがあった。
「今日はお二人が無事に戻られたということで、祝いの席を用意させていただきましょう」
この人は本当に宴が好きだな……。ああ、忘れるところだった。頭陀袋を漁る。
「ありがとうございます。必ず伺わせていただきます。それでサイモンさんから手紙を預かってきています」
手紙を取り出しトマスさんに渡す。
「ありがとうございます。サイモンは元気でしたか?」
「ええ。今回の事でバシュラード家に色々と売りつけて、ほくほく顔でしたよ」
「そうですか。商売も順調なようでよかったです」
挨拶も済んだし、手紙も渡した。今日はまだまだやることがある。
「ガザリムに帰ってきたばかりで、まだ今日の宿すら取っていませんので、そろそろお暇しようかと……。また後ほど」
宿だけではない。挨拶をしないといけない人もまだいるし、なにはなくとも剣を買わないといけないからな。
「レックスさん! 今日はアレで……。ですのでこちらで宿は用意させていただきます。エリナさんも是非家に泊まっていってください」
アレか。この人は本当に好きだな……。いや、俺も人のことはいえない……。
「あの、私までそこまでしていただくのは……」
「今から宿を取るのも大変でしょう。夜も遅くなりますし、是非泊まっていってください」
「そこまで仰っていただけるのなら……。ありがとうございます」
「今日の宴の主役はエリナさんとレックスさんですから、当然のことですので。レックスさんもそれでかまいませんか?」
もちろん異存ない。
「よろしくお願いします」
「そうですかそうですか。それではそういうことで」
トマスさんはにやけた顔をしている。もうすでに意識は夜に向いているのだろう。もちろん俺もトマスさんと似た表情をしている。そんな男二人を、エリナさんが怪訝そうな表情で見ていることに気がついた。慌てて真顔を作る……。
ひとまずトマスさんの店をでてギルドへ向かう。ステラさんやアランさんにも帰ってきた事を伝える為だ。シビルさんにも伝えたいが、この時間ならダンジョンにいるだろうし会えるかはわからない。
帰ってきた事を噛み締めるように、ゆっくりと街を歩く。そこかしこに探索者らしき姿が見える。品のない男達の姿もあるが、それすらも嬉しかった。ガザリムと比べ王都は確かに美しかった。街行く人々も品があった。だがそれでも、俺はこの雑然とした街のほうが好きだ。
ギルドでステラさんに帰ってきたことを告げる。ステラさんは俺達の帰還を喜んでくれた。それほど人のいない時間帯ではあるが、窓口で長居するわけにもいかない。それだけ伝え資料室へ向かうことにした。
「またこれからよろしくお願いします」
「はい。こちらこそよろしくお願いします。さっそくですがレックスさん。ギルドランク6試験官の要請が出ています。詳しくは明日お伝えしますので、正午くらいに来ていただけますか?」
明日の正午にギルドということは、ダンジョン探索は無理だな。エリナと相談し、本格的なダンジョン探索は明後日からということにした。ちょうどよかった。アレということだし、朝からは無理だったろう。
「わかりました」
ステラさんと別れ資料室へ。資料室にはアランさんとシビルさんがいた。熱心になにか読んでいるようで、扉が開いた音にも気がつかない様子だった。
「ただいま帰りました」
俺の声にやっとこちらに気がついた様子の二人。俺達の姿を見て二人とも笑顔になった。
「無事にお戻りになられたんですね。よかったです」
「ええ、またよろしくお願いします」
エリナとシビルさんが手を取り再会を喜び合っている。仲が良さそうでなにより。そんな二人をアランさんが、微笑ましそうに眺めている。父親が娘を見るような穏やかな笑みだった。
「エリナさんとレックスさんがいなくなってから、シビルさんは少し気を落とされていたんですよ」
視線は二人に向けたままだ。
「お二人は先を行く目標のようなものだったんでしょう。気落ちしていたのは数日間だけでしたがね。すぐに今まで以上に頑張るようになって……。どうしたのかと聞くと、お二人がさぼっている間に追いつくんだと仰って……」
アランさんは愉快そうに笑う。いや……さぼっていたわけではないんだが……。
「よろしくお願いしますね」
何のことだろうか? 話の流れから、たぶんシビルさんのことだと思うのだが……。
「は、はい。こちらこそ」
エリナはもう少しシビルさんと話していくというので、ここで別れバッチョさんの店に向かう。正確にはトマスさんの店だが……。
「ひさしぶりだね。死んじゃったかと思ったよ」
冗談を言っている雰囲気ではない。真顔だった。そういった人々を多く見てきたのかもしれない。
「生きてますよ。少しガザリムを離れていただけです。それでこれを見ていただきたいのですが……」
腰の剣をバッチョさんに差し出す。
「これはまたお金のかかった拵だね。でも、ずいぶんと軽いね。抜くよ?」
そう言ってバッチョさんは鞘から剣を抜いた。剣身は折れ、何度見ても痛々しい姿だった。……今までありがとう。
「これはひどいね。で、どうしたいの?」
「拵はまだ新しいですし、剣身だけ新しくできませんか?」
バッチョさんはしげしげと剣を見つめる。
「そうね。それがいいね。それでいくら払えるの?」
バシュラードさんから貰った金貨を数えたところ、ちょうど千枚だった。千枚……絶対に口止め料が上乗せされている……。
「そうですね。防具も新調したいですし、後は左手用の剣も一本ほしいですね。全部あわせて最大で金貨九百八十枚ですかね」
夜のために二十枚は置いておかないと……。俺の予算を聞いてバッチョさんは少し表情を変えた。
「なに? なんか悪いことしてきた? まっとうに働こ?」
「いやいやそんな。まっとうに働いたお金ですよ!」
バッチョさんは疑わしい表情で俺を見ていたが、すぐに切り替えた。
「そ。それならいいけどね。じゃあとりあえずはこの剣からだね。何本か持ってくるから」
バッチョさんは裏へと消えていった。口止め料が入っているのかもしれないが、俺にはやましいところなどない。
バッチョさんはすぐに戻って来る。
「左手用の剣もって言うくらいだから、双剣でしょ? 拵の形もあるし、前と似た様な形で軽いの持ってきたけどそれでいい?」
さすがはバッチョさん。俺が望む物をピンポイントで持ってきてくれる。肯定して、一本一本試していく。その中には材質が金属なのかどうかわからないものまであった。
「長さ、太さ同じようなもので軽いのだからね。どうしてもちょっと高くついちゃうね」
値段的にはどれも大差ない。金貨五百枚前後だという。高いが、命をかける物だ。最も軽く、最も高い物を選んだ。
「これでお願いします」
「はいはい。次は左手用の剣ね。ちょっとまってね」
再び裏へと消えていく。その間にもう一度選んだ剣を振ってみる。重さは以前の剣に比べ三分の一くらいは軽いだろうか。右手一本でも問題なく振れる。
「左手用の剣ね。需要も少ないからあんまりないよ」
戻ってきたバッチョさんの手には、それでも三本もあった。三本とも握ってみる。主に防御に使うものだ。切れ味よりも丈夫さを優先したほうがいい。
「この中で一番丈夫なものは?」
バッチョさんが選んでくれた左手用の剣を再び持つ。一番重く長い剣だった。長いといってもそれほどではない。刃渡りは六十センチないくらいだ。見るからに丈夫そうだしこれでいいな。
「次は防具だね。ちょっと見せて」
バッチョさんは俺に近づくと、レザーアーマーを念入りにチェックし始めた。
「あんまりダメージもないね。基本避けるタイプみたいだし、左手用の剣もあるからね。もっと軽くてもいいね。戦士にシフトするみたいな話しだったけど?」
確かにそういう予定もあるが……。
「クラスを変えたとしても、戦闘スタイルはこのままですね」
「はいはい。じゃあ軽いのでいいね。まってて」
また裏へと向かうバッチョさん。店に陳列されている商品に意味はあるのだろうか?
「直撃はまずないだろうから、本当軽いのね」
持ってきてくれた防具は、どれも鎧というよりは服だった。触れてみるとすこしごわついた生地だった。胸、股間、肘、膝などの主要な部分には金属のプレートがつけられている。兜はおしゃれな帽子のようだった。帽子に見えたが、手に持ってみると重く、中は金属で覆われ硬い。
「どれも繊維に金属糸混ぜてあるよ。大差はないから見た目で決めたらいいよ」
すごいもんだ。さすがは異世界。向こうの世界での非常識は異世界では常識か。
とりあえず目に付いた赤い服を着てみる。確かに軽い。普通の服よりは勿論重いのだが、レザーアーマーと比べれば全然だった。俺の戦闘スタイルならこちらのほうがいいかもしれない。腰に二本剣を提げてみる。剣は二本に増えたが、右手用の剣が軽くなったこともあり気にならない。
剣を抜いてみる。右手はよかったが左手が少し抜きづらかった。二本とも左側に吊るしたのが悪かったか。左手用の剣を右の腰に吊るし直し、再度抜いてみる。こちらのほうがまだいい。違和感はあるが、それもそのうち慣れるだろう。
両手に剣を握る。兼ね合いによってはここで剣を変更することも考えたが、問題はなさそうだった。鞘に剣を戻す。
「これでお願いします。いくらになりますか?」
「そうね。九百八十まるまる貰っとこうかな。選んだ赤いの全然売れなくて困ってたし在庫処分ってことにしてあげるよ。そのぶん左手用の剣の拵も長いほうに似せて作ってあげられるけど? 拵そのままでいいなら九百六十だね」
拵か……。拵を眺める。鈍く黒く輝きアクセントに金の装飾がほどこされた拵。格好いいんだよな。だが、そのために金貨二十枚か……。役に立つ部分では決してないが……。
「拵も似せて作ってください……」
結局俺は九百八十枚払った。一回我慢すればいいんだ……。
「防具はそのまま着ていくよね。前のレザーアーマー下取りしてもいいよ。金貨二枚かな?」
金貨二枚か……。大金なのだが、どうやら金銭感覚がおかしくなっているらしく安く思えてしまう。もとが金貨十枚だったし、こんなものだろう。
「下取りで……」
「はいはい。じゃあ明日には右手はできてるかな。左手は似た鞘があるけど、装飾施さないとだから……うん、明後日になるね。それまでに剣が必要なら、代わりの剣貸せるけど? 二本で一日金貨一枚ね」
高いな! さっき金貨二枚は安いと思ったが、払うほうになると途端に金貨は高く思える……。
「では、先ほどのレザーアーマーを下取りしていただいたぶんで二日お願いします」
剣を受け取り店を出る。財布は寂しくなったが、いい買い物をした。外は暗くなり始めている。少し早いがトマスさんの家へ行くか。
街行く人々が俺の方を見ていることに気がついた。なんだろう? 何かおかしなところでもあるのだろうか? 立ち止まり自分の姿を見てみる。とりあえず……赤い……。こういった格好はファンタジーでは見かけたこともあるし、格好いいとも思っていたが……。まわりを見渡せば、こんな派手な格好で歩いている人間など一人もいない。確実に浮いている……。異世界でも無理があったか……。向こうの世界の非常識は異世界では常識……。もちろん例外もある。
急に恥ずかしくなったが、今更買い換えるわけにもいかない。そんな余裕はない。まだ着ただけだし、返品できるとは思うが……。赤いということで値下げして貰ったしな……。
こういうことは、堂々としていればいいのだと聞いたことがある。恥ずかしがったりすれば、より恥ずかしいのだと……。気にしていない顔で街を歩く。こうなったら、そろそろ魔法を覚えようか。剣もあるし、赤いし。それくらい開き直ろう。
……いや……やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。




