第二十四話
ロギさんとテオドラさんが対峙していた。どうしてこんな事になったのだろう? いや原因はわかっている。もちろん俺だよ!
テオドラさん達と再開した翌日だった。今日の事だが……。数時間前、ロギさんが再び俺を訪ねて来た。その時に、一応テオドラさん達がロギさんと手合せしたいという話を伝えた。俺としては断っていただいてもかまわなかった。そうなっても、ただ後でテオドラさんの腕が俺の首にまわる程度の事だろう。それも甘噛み程度のものだ。痛いのは痛いが本気なら何度か死んでいるだろうしな。それも嫌であって嫌ではない。あの柔らかな……、まあ複雑な男の子心というやつだ。とりあえず伝えたという事実があればよかったのだ。ロギさんが俺の話を聞き発した第一声は、
「それで、そやつらは強いのか?」
だった。
「ええ。俺が知る限りでは一番……。ランク0の探索者の方々ですからね」
そう答えるとロギさんは笑っていた。
「ランク0か……。相手にとって不足はなさそうだ」
その時のロギさんの笑みは一生忘れる事はないだろう。それは、とてつもなく恐ろしい獰猛な笑みだった。そしてとんとん拍子に事は運び、その日のうちにこうなっていた。つまりはロギさんもテオドラさん達と同じ人種だったという事だ。
手合せの順番で一悶着があった。皆、真先に戦いたがった為だ。結局、テオドラさん、ギヨームさん、シグムンドさんの順番になった。場所はパブロさんの屋敷裏庭と決まった。そこは殺風景な木なども何もない殺風景な広場だった。
「パブロさんここって庭……ですよね?」
テーブルに座るパブロさんを見る。豪邸だ。もっとこう華やかな……。
「前は木々や草花で綺麗だったんだけどね。魔法の練習をしていたら、いつのまにかね。……随分と昔のことだよ。今のレックスよりも幼い頃だ」
パブロさんは昔を懐かしみ笑った。落ち着いたパブロさんにもそんな時期が……。そんな子供の頃に、広大といってもいい庭を更地に変えるほどの魔法が使えた事にも驚きだが……。
「パブロさんとシャリスさんはよかったんですか?」
二人は、庭の見える部屋の大きな窓の前で優雅にお茶を飲んでいた。俺達も御相伴にあずかっている。
「本気で倒そうと思ったらここじゃ狭すぎるからね」
パブロさん……。
「私は戦っても勝てませんから」
シャリスさんは傍らに置いた盾に目をやる。パーティ内でも盾役なのだろう。
「負けもしませんけど」
シャリスさん……。
「そろそろ始まりそうですよ」
エリナの言葉に窓の向こう、テオドラさんとロギさんへと目を向ける。二人から少し離れたところでシグムンドさんとギヨームさんが立っている。背を向けている為、こちらから表情は見て取れない。
テオドラさんが剣の握りを確認していた。何度も剣を握り直す。その顔には獰猛な笑み。数時間前にロギさんが見せたのと同じ、あの表情だ。ロギさんの表情はフルフェイスの金属兜に隠され見る事はできない。ロギさんもまたあの笑みを浮かべているのだろうか? たぶん違う。ロギさんが対戦者を前に笑みを浮かべるような人間ではないと知っていた。
テオドラさんが飛び出す。と、同時にロギさんへと剣が到達している。やはり、速い。すでにテオドラさんは二撃目を放っている。テオドラさんには様子見といった概念などないのだろう。初手全力。テオドラさんの剣は、かろうじて目で捉えられる程の速度。ロギさんと出会う前の俺ならば見えてはいなかったはずだ。次々にテオドラさんは剣を振るう。ロギさんはそれを全て受け止めている。剣と剣が奏でる音楽。それほど離れていないというのに、こちらへとその音が届いた時にはすでに、次の……どころではない次の次の次の斬撃が放たれている。
縦横無尽に様々な角度から打ちこまれる剣。俺から見てもテオドラさんが押しているように見えた。テオドラさんの剣は速度が上げる。さらに笑みは深まる。心底楽しそうだ。テオドラさんの剣は冴えはじめ、次第に俺の目に捉えられない斬撃が出始めていた。
数百、数千の斬撃の後、これまでとは違った音が響く。二人は動きを止める。ロギさんのブレストプレートに、これまでに見られなかった傷が生じていた。テオドラさんの剣が通った……。いつの間にか握りしめていた拳を解く。俺が戦っていたわけではないというのに、手にはじんわりと汗が滲んでいた。
テオドラさんがロギさんへと何やら喋りかけている。その顔には笑みはない。ロギさんが顔を覆うバイザーを上げた。こちらには、あの獰猛な物とは違う純粋な楽しげな笑みがあった。ロギさんは一言テオドラさんへと言葉を返すとすぐに、バイザーを下げる。
二人は再び距離を取った。どのような会話だったかはわからないが、仕切り直すようだ。
やはり先に仕掛けたのはテオドラさんだった。先程と同じ。だがそこから先は同じ展開とはならなかった。ロギさんはテオドラさんの斬撃の合間に剣を返し始めたのだ。テオドラさんはそれを難なく躱す。お互いに一歩も引かぬ斬撃の押収。もう、二人の剣が残した幾重にも重なる光の軌跡しか見て取る事は出来ない。俺の目には二人の体の動きすらぶれ始めていた。これが最強の騎士とランク0の戦い……。
どれほどの時間がたっただろうか。膝を突いたのはテオドラさんだった。その眉間にはロギさんの剣が突きつけられていた。ロギさんが勝ち、テオドラさんが負けた……。あのテオドラさんがだ。俺が戦ったわけでもないのに悔しさが溢れてきた。正直テオドラさんが負けるなどとは思ってもいなかった。それはもちろんロギさんについても同じだ。きっと俺はどちらにも勝ってほしかった。いや、正確にはどちらにも負けて欲しくなかったか……。実際に戦えば勝負がつくのは当然の事だというのに……。
俺の思いとは反対に、剣を突きつけられたというのに何故かテオドラさんの顔には清々しさのようなものがあった。ロギさんが手を差し出す。テオドラさんは素直にその手を握ると立ち上がる。テオドラさんはロギさんに頭を下げ、剣を仕舞いギヨームさんへと場所を明け渡した。そうして、そのまま屋敷の方へと歩いて来る。
「……負けちゃいましたね」
「テオドラならもう少しいい勝負をするかと思っていたんだけどね……」
パブロさんは難しそうな顔でロギさんを見ていた。パブロさんでも読み違える事があるのか……。それ以前に、俺には互角に近い戦いに見えた。パブロさんから見れば、テオドラさんとロギさんの間に大きな力の差が見て取れるのか……。
大きな壁一面の窓を開け放ちテオドラさんが入ってきた。あらかじめ用意しておいたのだろう。パブロさんがタオルと水を差し出した。
「実際に戦ってみてどうだった?」
美味しそうにグラスの水を一気に飲み干す。そうしてテオドラさんは庭へと視線を向けた。
「あれは……化物だな」
疲れた表情でそう一言。
「悔しくはなかったのですか?」
テオドラさんなら、悔しさでロギさんに何度も食い下がるような気がした。
「そういえばそうだな……」
テオドラさんは眉間に皺を刻む。
「不思議と……悔しくはなかったな。勝ち負けなんてものより、ただ純粋に戦えてよかったと思う」
そこで、こちらへと視線を向けた。
「……私はまだまだ強くなれそうだ」
そういって穏やかに微笑んだ。
結局はシャリスさんもロギさんと戦った。三人の戦いを目の当たりにして我慢できなくなったようだった。しかしそんなシャリスさんも勝つ事はできなかった。ギヨームさんもシグムンドさんも……。誰一人勝つ事ができなかったというのに、三人の顔にもテオドラさんと同じような満足気な表情が浮かんでいたのが印象的だった。今日一番悔しい思いをしたのは、戦ってもいない俺だった。自分がロギさんに負けていた時なんかよりも悔しかった。ロギさんが負けていたとしても、俺は同じ気持ちだっただろうが……。
それにしてもロギさんはさすがだ。四人だ。ほぼ休みなく四人を相手に戦ったというのに涼しげな顔で戻ってきたのだから。テオドラさん達とロギさんの間には、俺とテオドラさん達との間に立つ高い壁と同じかそれ以上に高い壁があるようだ。
「正直、あれは噂以上だな……」
揃ってパブロさんの屋敷で食事をとった。その後、バルコニーでシグムンドさんと二人、酒を片手に話をしていた。
「よくあの騎士からレックスは一本とれたもんだよ」
「といっても剣がほんの少し届いたってだけで……。それに今日の試合を見て随分と手加減されていた事も分かりましたし……」
「それでも大したもんだ」
シグムンドさんは苦労を労うかのように、俺の肩を二度ほど軽く叩いた。そこで、テオドラさんにしたのと同じ質問をシグムンドさんに投げかけてみた。悔しくはなかったのか? と。
その質問にシグムンドさんは柔らかな笑みを湛える。
「俺達は限界を感じていたと言っていい。ここまで来るとレックス達のように著しいほどの成長は望めない。日々僅かに強くなるかならないか……。テオドラもギヨームもシャリスも俺も近接戦闘において実力は同程度。ほぼこのあたりが頂点だろうと思っていたんだ。最も高い山の頂上に辿り着いた気になっていた」
そこで笑みは皮肉まじりの笑みへと変わった。
「ここから先はないのだとな。確かに高かったのだと思う。だが、俺が昇った山はそのあたりでは最も高かったというだけだった。それに気付いた。晴れ渡り空気が澄んだ日。遠くに、その山から今までは見えなかった遥かに高い山が見えた」
シグムンドさんには珍しい詩的な比喩だった。
「つまりはそういう事だ。そこに悔しさなんて物があるはずがない。俺達はまだ登れる……。先を目指せることを知ったんだからな」
テオドラさんと同じ……。ロギさんは俺にとってだけでなくシグムンドさん達にとっても良き師であったようだ。
「すごい人ですね……」
「ああ……すごい人だよ」
話を聞きつけたかのようにロギさんがガラス戸を開き現れた。
「儂はそろそろ帰るからな」
「今日はありがとうございました」
シグムンドさんと共に頭を下げる。
「なに。儂も随分と楽しませてもらった。あれほどの血湧き肉躍る戦闘は数十年ぶりだ」
そう言って笑うロギさん。
「もっと強くなるので、その時はまたよろしくお願いします」
挑戦的なシグムンドさんの視線。
「楽しみにしておこう。だが、なるべく早くしたほうがいいぞ。その頃には儂もさらに強くなっているだろうからな」
そう言うロギさんの目は、冗談を言っているような雰囲気ではなかった。
「今以上にですか……」
ぽつりと漏れた言葉に、ロギさんは俺へと視線を向けた。
「年を重ねる。確かにそれは身体能力の低下を伴う。だが、そんなものは飾りだと思え。勝負というものは身体能力の差で決まるのか? そうであるとするならば、今日、儂はおぬしに負けておったはずだ。もしそれに頼っているのならば、強さに限界を感じる事になるぞ。そんな所に剣の本質はない。そぎ落とし、研ぎ澄ませ。最後に残った物が全てだ」
そこまで一息に言葉を紡ぐと、ロギさんは頭をかいた。
「すまない。儂としたことが説教じみた事を言ってしまったな」
「いえ、そんな」
「……まあ、儂は帰るからな。見送りはいい。ここでいいぞ。」
「ありがとうございました」
ロギさんが背を向け……。
「ああ」
一声上げ、こちらを振り返った。
「忘れるところだった。今日は伝える事があってレックスを訪ねたのだった」
そう言えばそんな事を以前にも言っていたような……。
「圧倒的に経験が足りないのはわかっているな? 」
それは確かだ。齢二百年を越すロギさんと比べるまでもなく、シグムンドさんと比べても遥かに僅かな戦闘経験しかない。
「そこでだ……、戦争に出てみないか?」
未完結




