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8. 森

私は必死で走っていた。

何故なのかは分からない。ただどうしようもない焦燥が私を走らせていた。

早く、早く、早く!


「琉花!琉花!」


ああ。誰かが呼んでいる。そっちに行かなくちゃ。早く行かなくちゃ。

訳も分からない衝動のまま必死に走っていると、唐突に何処からかアナウンスの音が響いた。


『ご搭乗の皆様にお知らせします。当機は間もなく、エンジントラブルにより墜落いたします。今一度未練をご確認の上、快適な冥府への旅をお楽しみください』


アナウンスが終わると同時に、角砂糖が溶けるように地面が崩れ始める。

それでも必死に走るが、自分の体じゃないみたいに体が重い。

前へ、早く前へ!

しかし足は重く進むごとに埋まり、ついに崩れさる地面に飲み込まれる。

衝動のままに、私は叫んだ。



「未練なんかありまくりだわ死んでたまるかああああああ!!」



ゴッチイィン!!


表現すると、そんな感じの衝撃が私のおでこを襲った。

「———っ!——っ!!」

声にならない悲鳴とはまさにこの事か。おでこが割れたかと思うほどの痛みに悶え、私は芋虫みたいに転がった。

「お前……っ!馬鹿か!!もう少し遅く……いや、なんでそんな勢い良く……!」

何やら抗議の声が聞こえる。

痛みのあまり涙がにじむ目をあけると、私と同じように額をおさえた竜司の姿があった。

「あんたこそ何で寝起きに頭があたるような所にいるの……!」

痛い。本当に痛い。

なんだか最近寝起きに痛い目にあってばかりだ。もう少し穏やかな目覚めってのがあっても罰は当たらないんじゃなかろうか。真剣に神様とかに抗議したい。

すごい音がしたがおでこが割れてないか心配だ。恐る恐る当てていた手を見てみたが、幸いにも手に血は付いていなかった。

「こんな所で寝てりゃ起こそうとするだろ普通!」

そう言う竜司のおでこも割れていないか非常に心配だ。

竜司のおでこを見ようとして、ふと、竜司の背景がおかしいことに気付いた。

色で言うと、上から青、緑、茶色。正しく表現するなら空、木、土である。

はて、何故私は野外、それも森っぽい所で寝ていたのだろう。

ふむ、と首を傾げ、視界の端に何か機械の残骸っぽいものがあるのを見た瞬間、一気に思い出した。

そうだ。私達は墜落する飛行機に乗っていた!

慌てて起き上がり、まずは両手を確認した。傷ひとつないし、普通に動く。ぺたぺたと体を触ってみるが何処にも異常はない。痛みは……これでもかとおでこが主張しているだけで他はない。

「生きてる……」

呟く自分の声が呆然としすぎていて、なんだかおかしかった。

どっと安心感が広がる。飛行機が墜落したというのに何故助かったのかは知らないが、生きているならなんかもうそれで良い。

「竜司、怪我はない?手とか足とかちゃんと付いてる?」

「無傷だったがたった今お前のせいで怪我を負った」

「そう。良かった。怪我はないんだね」

「おいこら流すな」

事故みたいなものだったんだからいいじゃないか。全く心が狭い男である。じっと睨みつけると竜司は顔を視線をそらした。何故だか昔から竜司との睨めっこは負けたことがない。

「静乃と新司は?」

「……無事だよ。怪我もない。お前より早く目が覚めて、辺りを見に行ってる」

言いながら竜司は痛みが収まったのかおでこから手を退けた。

あ、良かった。少し赤くなっているが、割れてはなかったみたいだ。

「そっか、良かった。……ここ、どこなんだろうね」

辺りを見回せば、どこを向いても遠くの方に鬱蒼と茂る木々が見えた。森の中にあるちょっとした広場、という感じだ。 辺りには飛行機の残骸らしきものが散らばり、パチパチと何かが燃えているような音も聞こえる。この場に墜落したのは間違いないようだ。

しかしこれと言って場所を断定できるものは見当たらず、ここが何処なのか見当もつかない。

「さぁな。とりあえず、日本であって欲しいもんだ」

確かに飛行機で移動していたのだから外国の可能性もある。

さらに残念な事に、私達はあの箱を開けた時の格好、寝間着のままだった。つまり私はTシャツにハーフパンツで、竜司はTシャツに長パンだ。服が変わってないなら新司の寝間着は竜司と色違いのおそろいで、静乃はフェミニンなひらひらワンピースだろう。

幸いスリッパは履いているが、寝間着といいこれから行うだろうサバイバルには全く向いていない。

「竜司、携帯持ってる?」

「持ってるわけないだろ」

「だよね……」

誘拐犯がそんなもの持たせたままにするはずがない。静乃や新司ももちろん持ってないだろう。

「これからどうなるんだろ……」

「どうにかするしかないさ。……心配すんな、絶対守るから」

チャランポランな竜司からは想像できない台詞だ。

驚いて竜司を見ると、竜司は自分の言った言葉に照れたのか顔を赤くしていた。

でも、顔は真剣そのものだ。いつもとは違うその視線の強さにつられたのか、一瞬心臓がドクリと跳ねた。

「なにそれ、ヒーローみたい」

なんとなく動揺した事は竜司に知られたくなくて、ついからかうような事を言ってしまう。 竜司は一瞬苦笑すると、いつもみたいに意地の悪そうな顔でにやりと笑った。

「じゃあ、お前はヒロインか。無理があるな」

いつもは苛つくその笑みに、何故か今は安堵した。

やっぱり竜司はチャランポランなままでいい。

「あ、帰って来たみたい」

遠くの方に静乃と新司の姿が見えた。二人ともしっかりとした足取りで歩いている。

二人に見えるように大きく手を振ると、静乃が走り出した。それを追いかけるように新司も走り出す。

「良かった!起きたんですね……!!」

どぉん!

表現すると、そんな感じの衝撃が全身を襲った。

「ぐふぅ!!」

華奢な女の子と言えども人間一人分の体重は重い。まさに飛びついて来た静乃を受け止め、私はたたらを踏んだ。なんとか倒れはしなかったが衝撃がすごい。一瞬息が詰まった。しかし攻撃はそれで終わらなかった。飛びつかれた衝撃も止まない間に細い腕が腹に回り、思い切り締め上げられた。

「心配しましたのよ!」

「静乃!締まってる、締まってるうぅう!!」

その細腕のどこにと思うほど凄まじい力である。気分は絞られている雑巾だ。あぁ、雑巾はこんなに苦しい思いをしていたのか。

必死にタップするが通じずますます締め上げられた。気のせいか視界が白く染まっているような——。

「静乃。それくらいにしないと琉花が死んじゃうよ。せっかく助かったのに」

「あら?」

やっと腕が外され、私はその場に崩れ落ちた。

「ち、違いますのよ!心配のあまりいつもより力がでてしまっただけで、あの、そのっ……」

「分かってるよ。なかなか起きなくて心配だったから、少し過激になってしまったんだろう?誰にでもあることさ」

崩れ落ちた私には目もくれず、静乃が新司に必死で言い訳する。新司も静乃だけを優しく見つめ、うんうんと頷いた。

待てこのバカップル。静乃、新司に言い訳する前にまずは私に謝ってくれ。そして新司、誰もがこんな過激表現するわけないだろ。静乃はあんたが思ってるほど精神的にも肉体的にもか弱くない!

だが抗議するには静乃が恐ろしく、体も満身創痍だった。おでこも痛いしお腹も背中も痛い。せっかく助かったのに仲間のせいで満身創痍とか悲しすぎる。竜司が同情も露に私の手を差し出し立たせてくれた。今はその優しさが特に身に沁みる。

「終了だ、そこのバカップル。いちゃつく前に報告しやがれ」

スパーンと竜司がいちゃつく二人の間に腕を振り下ろして分断させた。

すごいぞ竜司!今だけはあんたが世界一格好良く見える!0.5秒間だけ!

私は心の中で拍手喝采を贈った。

「少し見てきたけど、これと言ったものは何もなかった。あるのは木ばっかりだよ」

静乃と分断されて少し不満そうにしていたものの、さすがの新司も深刻さを滲ませて言った。

「せめて、ここがどこか分かればいいのに」

食料はなく、場所の手がかりもない。当然コンパスだって持っていないし、サバイバルの体験も知識もない。その事実に改めてぞっとした。

「そんな事言ってもしょうがねぇよ。進むしかない」

「そうだな。とりあえず、この飛行機の残骸から、何か使えるものがないか探さないか。僕たちが何故か助かったくらいだし、燃えずにすんだ物もあるかもしれない」

「そうね」

特に食料と水がないと冗談でなく死んでしまう。とりあえずこの見える範囲で手分けして探す事にした。

その際、スリッパは歩きずらいので静乃のパジャマについていたリボンを失敬して足に結び付けた。カポカポしなくなって歩きやすい。普通に走れそうだ。

格段に良くなった足取りで探してみたが、これと言って何も発見できない。ただ座席の燃えかけとかがあるばかりだ。あめ玉ひとつ見つからない。

「食料くらい積んどきなさいよ馬鹿——!」

「おや。水とビスケットくらいなら差し上げられますよ。お嬢さん」

「へっ!?」

突然聞き覚えのない声が独り言に相槌をうった。

あわてて声のした方を見ると、男の人がいた。たぶん30前後くらいで、眼鏡をかけている優しそうな顔をしたお兄さんだ。

「ひゃあっ!!」

驚きのあまり叫んで尻餅をついた。

そのお兄さんに驚いたのではない。

いや、お兄さんにも驚いたが、それよりももっと驚くものがあった。

私の背後に小学校3、4年生くらいの子どもが7〜8人ほど立っていたのだ。

「い、いつの間に……!?」

こんな至近距離にこんな人数がいたなんて、全く気付かなかった。

「おや、お嬢さん大丈夫ですか?」

お兄さんはのんびりとした調子で言うと、私の腕を掴んで上に引っ張った。

さして力強くは見えないのに、もの凄い力で引き上げられる。その勢いのあまりふらついたところをもう片方の腕も掴まれて支えられた。

「あ、ありがとうございます」

「どういたしまして、お嬢さん」

にっこりとお兄さんは笑う。

なんだろう。

すごく穏やかな笑顔なのに寒気がする。

ゾッとして、私はさりげなく後ずさった。

「ところでお嬢さん。こんな所にお一人で何をやっているのですか?」

「ええっと……」

どう言ったものかと迷ってしまう。

たぶん誘拐されて気がついたら飛行機に乗っててその飛行機が墜落して何故か助かったって、事実だけど説明するにはかなりうさんくさい。

それに本当なら人に会えて助かったと感激するところなのに、何故か私はこのお兄さんと子ども達が不気味でしょうがなかった。出来る事ならこの場から走って逃げ去りたい。なんだかとても嫌な予感がするのだ。

「琉花!」

さっきの私の悲鳴が聞こえたのか、血相変えて竜司が走って来た。後ろの方には静乃と新司もいる。皆お兄さんと子ども達をみてぎょっとした顔をした。

「おや、お嬢さん。お一人じゃなかったんですねぇ」

のんびりとお兄さんが呟いた。

私は駆け寄って来た竜司の腕を思わず掴む。

「る、琉花!?」

竜司の腕がビクッと震えた。

でも離さず逆に抱えるように持つ。さらに腕がビクビクゥッと震えたが無視した。

ごめん竜司。暑くて嫌かもしれないが今は耐えてくれ。私は今わけも分からず怖くて仕方がないのだ。

「まぁ、琉花……」

静乃がなんとも言えない顔をして呟いた。

分かってる。腕に縋ってるなんて子どもみたいで情けないって思ってるんだろう。でも今はプライドよりも恐怖心だ。

「失礼しました。あの、あなた方はここで何をされているんですか?」

新司は私達をちらっと見るとお兄さんに向き合って言った。

「見ての通り、授業ですよ。君たちは何をしているんですか?」

「実は僕らこの森で迷ってしまって困っていたんです。どう行けば森からでられるか教えていただけませんか?」

新司は色んなところをあっさり流してさらっと説明した。さすが頼りになる男だ。

「おや、そうでしたか。教えて差し上げたいところですが、ここは森のかなり入り組んだところになりますので難しいですね。よろしかったらご一緒されますか?これから授業で洞窟に行くのですが、その後でしたら近くの町まで案内して差し上げられます」

「助かります。ぜひご一緒させてください」

さくさくと話が進み、口をはさむ間もなくお兄さん達についていくことになった。

これで私達は無事に家に帰れるはずだ。

喜ぶべきところなのに、私はどうにも気が進まなかった。頭の中で警鐘が激しく鳴り、ついて行くべきではないと何かが叫んでいる。ぶるりと体が震えた。

「琉花……?」

体の震えが伝わってしまったのか、竜司が心配そうな顔で私を見下ろした。

どう言えばいいのだろう。

このままついて行けば、何かとんでもない目に遭う。これは、予感というよりも確信に近かった。

けれど確証なんてどこにもないし、私自身どうしてこんな事を思ってしまうのか分からない。

私は背伸びをして、竜司の耳に顔を近づけた。

「……嫌な予感がするの」

竜司だけに聞こえるようそっと囁くと、竜司が耳を抑えて飛び上がった。

「……い、い、嫌な予感って?」

「分からない。でも、なんか怖くて」

竜司の腕をぎゅうぎゅう抱き込む。

竜司がまたビクッと震えた。

「……ちょっと、こんな時にいちゃつかないでくださいまし」

呆れ顔で静乃が言った。

まさか普段時と場所も関係なくいちゃついている静乃にこんな事を言われる日が来ようとは。

でも、こうして恋人でもないのに竜司に縋っているのはよろしくないのかもしれない。私は竜司の腕を離れ、静乃に抱きついた。女同士なら問題ないだろう。

「お、俺の天国が……」

「お黙り。踏み出す勇気もないくせに感触だけ味わってるんじゃないですわ」

なんかごちゃごちゃ言ってるのをスルーして、静乃に抱きつきつつお兄さん達をうかがった。

お兄さんは穏やかな様子で新司と話している。それを囲うようにして子ども達が立っていた。

子ども達は誰一人話さず、辺りをぼんやりと眺めている。

見ていると、不意に一人の子どもと目が合った。

何の表情もなく私をじっと見る目は、まるでガラス玉のように無機質だ。

ぞわりと背筋が粟立ち、私は隠れるように静乃の肩に顔を埋めた。



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