第四十四話 気持ちいい朝
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季節は更に進み気温が高い日の方が多くなってきていると感じるようになった。
日差しもじんわりと体を温めてくれるようなものから、ピリピリと肌を焼く強いものへと変わってきていて、もう初夏の到来と言っても間違いではない。
「おはようございます」
額に滲んだ汗を腕で拭ってから渡されていた店の鍵を使ってなかに入る。野菜やミルクなどの食料の入った袋を台所のテーブルに置くと、生存確認、もしくは起床確認のために仕事部屋の前で扉の向こうにいる人物に声をかける。
「おはようございます、ライカです。起きてますか?」
控えめに扉をノックすると、なかから人の動く気配があった。どうやら起きているようだ。
「……おー、わるいねえ」
少々の待ち時間の後にそんな間延びした声と共に扉が気だるそうに開かれる。そして、扉の向こうから現れたのは。
「おはようございます、ウィズベットさん」
眠そうな顔をしたウィズベットだった。
「徹夜されたんですか?」
「うん。やりたいことだらけで気がついたら朝になってた」
初対面のときは丁寧に髪を編み込んでいたが、今は適当に後ろの低い位置で一まとめにしているのみで、髪を結う時間すらも惜しいのだということが察せられる。
湯浴みをする時間すら惜しんでいるのか髪の艶が少しくすんでいるように見えるが、それもでもどことなく甘い香りがするのは最低限の身だしなみには気を使っているということだろう。
もしかしたらライカの呼びかけから出てくるまでに少し時間があったのは、そういったことに時間を取られていたのかもしれない。
部屋から出て台所に向ったウィズベットは、桶に汲んであった水で顔を洗う。冷たい水が心地よいのか、野太い声を上げながら一回二回三回と続けて顔を洗っていた。
「すぐに朝食の準備をしますね」
そんなウィズベットの背中に声をかけてから、ライカは早速朝食の準備に取り掛かる。といっても朝はあまり食べられないと事前に聞いているので内容としては本当に簡単なものになってしまうが。
「いやあ、朝日が目に染みるわ」
顔を洗い終わったウィズベットは顔を拭いた布を首にかけて居間に一つだけ設えてある窓際の椅子に腰かけると眩しそうに外を眺めてそんなことを言う。確かに近頃の強い日差しは徹夜明けの目には毒かもしれない。
「でも、この感覚が好きなんだよね。夜通し仕事して、朝日を眺めながらぼんやりと外を眺めていると太陽に頑張りを褒めてもらえたような気がしてさ。この瞬間のために徹夜をしていると言っても過言じゃない」
徹夜明けの体で燦燦と降り注ぐ朝日を浴びると澱のように溜まった疲労感が溶けていくような感覚があって、心地よいという経験はライカにもあった。
体によくないので徹夜は控えてほしいところではあるが、言いたいことはよくわかるので苦笑いを浮かべてしまう。
「ああー、本当に気持ちいい朝だ」
「そうですね」
ライカはその部分だけに相槌を打ちながら、ウィズベットが少しでも長くその時間を味わっていられるように準備を急ぐのだった。
◇◇◇
「いやあ、ほんとにごめんね。私まで面倒見てもらうことになっちゃってさ」
「気にしないでください。無茶を聞いてもらっているんですから、これくらいはさせてくださいよ」
ライカはテーブルの上にライ麦のパンと三欠片のチーズに温めた山羊のミルクに細かくすり潰したショウガを入れたものを並べる。
ウィズベットは目をきらきらとさせながら「ありがとう」とライカに礼を伝えてから早速食事を始めた。
その間にライカは買ってきた食品を保存庫に収納したり、台所の洗い物を片付けをすませてしまう。
「ああ……人の作った食事ってどうしてこんなに美味しいんだろうか」
「作ったっていうほどのものじゃないですよ」
しみじみと嬉しいことを言ってくれるウィズベットに、ライカは照れくさくなって鼻の頭を擦る。
ヴェルデーナ以外に料理を振舞う機会のないライカにとって、その感想はくすぐったいものだった。
「いやいや。自分で用意するのと人に用意してもらうのだと味が全然違うんだよ! なんというか高級品の味がする!」
「なんですかそれ」
「いーなー。ヴェルの奴、毎日こんなにいい思いしてんのかー」
そんなに羨ましがられるようなものは用意していない。今テーブルに並べてあるものは全て今朝の市場で買ってきたものだ。ライカがやったことと言えば、パンとチーズを切り分け、ミルクを温めてショウガの粉を混ぜただけ。
料理を振舞うというか、出来合いの物を並べただけの食卓だ。
それでもウィズベットは幸せそうに食事を続ける。そんな顔を見ているとこちらまで嬉しくなってライカは喜びを噛みしめるようにはにかんだ。
「でも、本当にごめんね。ライカ君も朝忙しいでしょ」
「いえ、ヴェルデーナさんと朝食はすませてからきてますし、こちらで使う物の買い出しもあらかじめ必要なものを教えてくれているのでそこまで時間かからないんです。なので本当に気にしないでください」
そもそも先生が無理を言ったことが原因なのですから。
そんな少しだけ棘のある台詞が喉元までせりあがっていたが、飲み込んで悟られないように細く息を吐く。
採寸が終って帰り際、服が出来上がるまでどの程度かかるのかと聞かれたウィズベットは仕事が立て込んでいるから二十日ほどかかると答えたのだが、それでは夏に間に合わないとヴェルデーナが抗議をしたのだ。
ライカとしては作ってもらえるだけ有り難いので急がなくてもいいと伝えたのだが、ヴェルデーナは頑として譲らなかった。
もしかしたら意地悪されたことを根に持っていたのかもしれない。
とにかくできるだけ早くじゃなきゃ嫌だと言ってきかなかった。
結局ウィズベットが承諾してくれたのでその場はなんとか収まったものの、今度は自分のためにウィズベットが無理をしなければいけなくなってしまったことに強い申し訳なさを感じてしまったライカの気がすまなくなってしまったのだ。そこでヴェルデーナに許可を取ってウィズベットの手伝いをしに通うことになったという訳だ。
今日で四日目。ウィズベットは仕事人間で、初日からずっと徹夜をしている。一応昼間に短い時間の仮眠をとっているようだが、不十分なのは明白だ。
ヴェルデーナほどではないものの、目の下に隈が浮かび始めているし顔色も血の気があまり感じられない。
本当はしっかり休んでほしい。ライカとしては服の納期よりも、ウィズベットがこのまま無理をして体調を崩してしまう方がよっぽど心配だった。
「そうは言ってもさぁ……。あたしのために申し訳ないじゃない」
「申し訳ないのは俺の方ですよ! 俺のために先生の我儘を聞いて下さっているんですから」
ウィズベット罪悪感を滲ませた声でそんなことを言うものだから、思わず声に力が入ってしまった。
「全くライカ君は気にしいだね」
ライカは片付けの手を止めて振り向く。差し込む日差しを浴びながらライカを見つめて微笑むウィズベットと視線が交わる。
「でもね、ライカ君がそんなに気にする必要はないんだよ? だって今、あたしはすっごく楽しいんだから」
そして、ふとウィズベットはふと視線を逸らして差し込む日差しを仰ぎ見る。セルリアンブルーの瞳がそっと眩しそうに細められた。
「小さくても自分の店が持てて、あたしの腕を認めて仕事をくれる人がいて、毎日忙しくも楽しく暮らしてる。こんな人生が送れるなんてガキの頃は想像もしてなかった。こういうと卑屈っぽくなっちゃうけど、あたしって結構悲惨な人生を送ってきたんだよ。一時は生きることを諦めるようなこともあった。でも、今はこうして自分の城を持って色んな人と関わり合って、必要だと求められてる。確かに仕事は楽しいことばかりじゃないし、大変なことだって多いけどね、そんな苦労も楽しく思えてしまうんだ。ライカ君はあたしに無茶なことをさせてるのか心苦しいんだろうけどさ。楽しいよ、実際。あたしは楽しくてしょうがなくて、とことん幸せ者なのさ」
その瞳になにが映っているのかはライカにはわからない。ただ、眩しそうに見上げる横顔にはウィズベットの言う悲惨な人生の面影が滲み出ていて、だからこそ、今が楽しくて幸せだと感じられるのだというのが伝わってくる。
「仕立て屋ってのはさ、人の成長に携われる仕事だと思うんだよね。服って肉体的にも精神的にも社会的にも人生の過渡期に必ず必要とされるものじゃん。そういうときって皆服に強い思い入れがあって、きっとその思いは死ぬ瞬間まで残るんだと思うんだ。それってすんごい素敵なことで、もしあたしが作った服が今わの際にその人の思い出として残れるんだったらそれは仕立て屋としてこれ以上ない名誉なことなんだと思う」
ウィズベットが再びライカに視線を移す。
「だからさ、あたしは誰かの成長と思い出のためならどんなに苦しくてもへっちゃらなんだよ。むしろどんとこいって思う。この町一番の仕立て屋職人の腕をとくとご覧あれって感じ」
爛々と輝く瞳とわずかに吊り上げられた口元から作られる表情はウィズベット・マクネアが決めた覚悟を表す。
責任や矜持を全て内在した職人としての言葉は重く、ライカの胸を強く叩いた。
「恰好いい……」
つい口をついて出た言葉はライカが夢見て憧れた職人としての姿に酷似していて、だからこそ、ウィズベットの生きざまに共感を覚えたからこそ出たもの。
「だろう? あたしって綺麗だし、恰好いいんだよ」
そんな自惚れに聞こえてきてしまいそうな台詞も、事実なのだから否定のしようもない。
「ふふん。惚れんなよ」
これは仮の話としてだが、もし出会う順番が逆であったらウィズベットの弟子になっていた未来もあったかもしれない。
そんなことを想像して、ライカは急いで頭から邪念を振り払った。
これは一生涯ヴェルデーナには内緒にしておこう。
「それじゃあ、惚れちゃうまえに洗濯物を洗いに行きますね」
そんな些細な抵抗にウィズベットは一瞬だけ目を見開いて、それから姉御肌という言葉が似合う笑みを返してくれた。
洗濯物が入った籠を小脇に再び容赦なく照り付ける太陽の元に飛び出して工房が並ぶ通りを駆ける。
今日も色に溢れた三番地は活気に満ちていた。
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