第四十一話 色男
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「いやいやヴェルから話は聞いてたけど、こうして間近で見てみると結構色男じゃない」
「は、はあ。ありがとうございます?」
「あははは。ありがとうございますだってさ! 可愛いねえ」
栗色で編み込まれた髪を肩口から前に流し、モスグリーンに近いコルセットワンピースにしまい込まれた胸が笑い声を上げるごとに揺れる。
セルリアンブルーの瞳は色にそぐわない熱を帯びていて、ライカに向けられた視線はまるで獲物を前にした獣のよう。
普通の男であればその意味を好意的に受け取るだろう。が、ライカはただ単に居心地の悪さを覚えるだけで、愛想笑いを返すのが精々だ。しかし、それが女性の目には好意的に映ったらしく、胸の前で手を叩いて黄色い声を上げた。
「よくわかってないような顔してるのがまた可愛いなあ! 年が離れてるのって気にする質?」
「おい、人の弟子にちょっかい出すんじゃねえぞ」
「なんだよーけちんぼ。味見は?」
「駄目に決まってんだろ……?」
「そんなマジになんなって。冗談じゃん」
三人分のソーサーを並べたらそれで一杯になってしまう程度の大きさの丸テーブルを各々向き合うよう囲み、椅子の背にもたれかかって大きな声で笑う女性はヴェルデーナのじっとりとした視線をぶつけられてもあっけらかんとしている。、むしろ、その視線を楽しむようにいやらしい笑みを浮かべていた。
「だって万年お一人様の友達が男連れてきたんだよ? そりゃ少しはからかいたくなっちゃうもんでしょ」
「うるせーな。お一人様はお前もだろうが」
「残念でしたー。あたしはお一人様でも、恋人のいるお一人様ですー。完全お一人のヴェルより一段高いところにいるんですー」
「うっぜ! 振られろ、浮気されろ、捨てられろ!」
「なんだよー、ほんとのこと言われて起こっちゃったのかなん、怒りんぼさん」
テーブルを叩いて身を乗り出したヴェルデーナの鼻先を人差し指でつんと突いて挑発する女性は、ヴェルデーナの顔が徐々に赤くなっていくのを見て、目の前に好物を並べられた子供のように恍惚とした表情を浮かべる。
「怖いよー。君の先生怖いよー」
そして、今度は椅子をライカの隣にぴったり寄せると膝の上にあった手に自身の手を重ねて、肩に頭を乗せてしなだれかかりながら猫かぶり声で潤んだ視線を投げた。
ウィズベットの衣装は特段扇情的なものではないが、ライカが見下ろす形になる都合上、胸元と顔の位置が近く自然と視界に入ってしまう。
女の味を知らず仕草や視線の意味に疎いライカでも、流石にこうも直接的な攻撃をされると男としての性を刺激されてしまう。女性の妖艶で挑戦的な瞳に映る自分の顔が染まっていくのがわかった。
そんなライカを見てまるで浮気現場に出くわした新妻の如くわなわなと震えるヴェルデーナが吠えた。
「お前っ! なに嬉しそうな顔してんだよ!」
「し、してませんよ!」
冤罪で場合によっては侮辱罪も適応したいくらいの言いがかりだった。いや、実際には見ていたしドキドキもしていたが、故意ではなく偶然なの問題ないはずですええ絶対に。
そんな言い訳を武器にしても赤くなった顔を誤魔化すことはできず、それが余計にヴェルデーナの不満を煽ったようだ。
「おい、ライカを誘惑なんてしやがったらただじゃおかないからな……!」
まだポルタにいたころ、女の怖いところは一人の男を取りあうときには同性を徹底的に叩きのめし、男性に逆らってはいけないと思わせる精神攻撃にあると、いつだったか顔に引っかき傷を残して半泣きで語っていた宿の主人を思い出す。
その後ろで腕を組んで真顔でいた奥さんにその場にいた男性陣は息を呑んで「愛されている証拠さ」などと励ましたが、実際は怖くて男性の味方ができなかっただけだ。
今のヴェルデーナの目はそのときの宿屋の奥さんと似た真剣みを帯びたもので、怒りからなのか焦りからなのかはわからないが、目を血走らせている様子からも本気度が伺えた。
ライカは意図せず大きく喉を鳴らして唾を嚥下する。
「なにさ、そんな顔しちゃって。怖いんだから」
しかし、それすら飼いならした犬を宥めるように躱してしまうと女性はさっさと身を引いてそれから元の位置に戻った。
「──さて」
女性は一通り遊んで満足したのか咳払いをしてから椅子の上で姿勢を正す。
「うおっほん。いい感じに打ち解けられたみたいだし、この辺で改めて自己紹介を。あたしはウィズベット・マクネア。中央南三番地で仕立て屋を営んでる女主人だよ」
なんとも言えない空気のなかで打ち解けられたと言える根性は見上げたものだが、胸を張って堂々と言う姿は自信に満ち溢れていて伊達に女主人と名乗っているわけではないのだなと思わせるものがあった。
女性の職人で自身の店を持つ人を見たことがなかったライカにとって、その堂々たる姿勢は技術に絶対の自信があることを暗に伺わせるもので、とても格好良く見えた。
「ああ、えっと俺は──」
気圧されるとは違うが、ヴェルデーナとは違うタイプの年上女性に圧倒されつつも遅れて名乗ろうとすると、ウィズベットが手を前に突き出して遮った。
「ライカ君だろ? 噂は色々聞いてるよ。死んだ魚の方がまだ生き生きした目をしてるって言われるような女薬師に弟子入りする変わり者。身寄りがなく世話を見てくれることを条件に薬の実験台にされている可哀想な青年、とか」
「いやなんですかそれ」
「君がここにきた当初に流れていた噂の一部。いやあ思い出すなー。あのヴェルデーナ・サイフォニックに弟子がって大騒ぎになってたっけ」
「ったく、どいつもこいつも根も葉もないこと好き勝手言ってくれたもんだよ」
「しかしてその実態は! 母親を想う心優しき青年で、年上駄目女の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれる色男! ときに厳しく、ときに優しく、毎朝耳元で甘い声を囁かれて骨抜きにされてしまった私はいつもで貴方のことを受け入れる──」
「だぁー! お前お前お前お前お前お前!」
突然雄叫びを上げたヴェルデーナが椅子を蹴とばす勢いで立ち上がるとそのままウィズベット向けて飛びかかる。しかし、その動きを読んでいたのか軽やかな身のこなしで椅子から飛びのくと襲い掛かる手を華麗に避けた。
そして踊り子のようにその場で器用に身を翻したウィズベットは芝居がかった口調と動きで演技を続ける。
「でも私の人生は変わった。今までの私は砂漠でいつ枯れてしまうともしれない一輪の花だった。でも、もう違う。突然降り始めた恵の雨は私の心も体も潤して──」
「死ねえええええええええ!」
初撃を躱されたことでつんのめって転んでいたヴェルデーナだったが、続く演技に速攻で態勢を整えると目を剥いてもう一度飛びかかる。が、やはり華麗なステップで避けられると、そこからは騒々しい追いかけっこがはじまってしまった。
熟れたトマトのように顔を真っ赤にして叫ぶヴェルデーナの目には薄っすら涙が浮かんでいる。
「あはははは。楽しーい」
そして、ウィズベットはそんなヴェルデーナを見て無邪気に笑う。
二人の年甲斐もなくはしゃぐ姿は大人としての責任や役割を脱ぎさって、まだ世間の冷たさや生きていくことの難しさを知らない子供の頃に戻ったかのようだった。
ライカはヴェルデーナにもこんな風に素を出せる相手がいたことにほっとしつつも、
「こんなヴェルデーナさん始めてみたな」
と、口を尖らせる。
何故、と聞かれても答えられない。ただ、嬉しいという気持ちのなかに言葉にできないしこりのようなものがあった。
「お前ほんとに! ほんとに!」
「きゃあー!」
とはいえ、この光景を見ているとそんなことはどうでもよく感じてしまう。
殺気だって本気の喧嘩を始められるくらいなら、今のようにしていてくれたほうが何倍もいい。
取り残されてしまったライカは二人のおふざけが落ち着くのを、ぼんやりとしながら待つのだった。
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