3-1.少しずつでも前に進む
この時期の早朝は涼しかった。昼になれば汗をかくほどの気温にまで高くなるが、日が浅い時間が丁度良い気温である。鍛錬する身としては都合が良かった。
クリフはたそがれ荘の中庭で素振りを繰り返す。様々なシチュエーションに適した動きをイメージし、その通りに身体を動かす。簡単そうに見えてなかなかできない。想像していたより身体は動かず、動けたとしても遅い。クリフの身体は膂力を鍛えることに特化した分、細かな動きは苦手だった。しかし、それ言い訳にして鍛錬内容を変えるつもりは無い。
竜の攻撃は強力である。下手すれば一撃受ければ死ぬということも有り得るのだ。回避は竜狩りの必須能力。避けて通れる道はない。クリフは苦手なことにもめげずに、鍛錬を繰り返した。
ガタラ村で黒竜を倒したクリフたちは、一日だけガタラ村に泊まってからアーデミーロに帰還した。認定試験の結果はレイがハーロックに報告をしてから言うとのことで、それまで待つこととなった。
そしてアーデミーロに戻った翌日、クリフは試験の結果をハーロックから聞いた。結果は合格。これで無事に竜狩り昇格試験に挑められることに、クリフは喜んだ。
「昇格試験は王都アズルダで行われる。それまでは仕事を休んで身体を癒し、準備に勤しみたまえ」
クリフはハーロックの言葉に甘え、任務を受けずにアーデミーロで日々を過ごした。今までは任務ばかりを受けてたため街に何日もいることは少なかった。なので一週間もすれば何をすればいいのか分からなくなり、とりあえず鍛錬をして身体を動かすことにした。たまにロロの付き添いで街に出る以外、クリフはずっとそうしてきた。
そんな日々が続き、気づけば昇格試験の五日前となった。王都はアーデミーロから馬車で二日ほどかかる場所にある。戦士団が手配した馬車に乗る予定で、明日が出発日だ。前日に着く予定になっている。必要ならば付添人も連れて行けるが、クリフは一人で行く予定だった。
認定試験が終わる前ならば、ロロを一人で置いておくのは不安なため連れて行くつもりだった。しかし今はその心配はない。竜狩りのレイ、同居人のルイスとケイトがロロの正体を知っている。彼らが一緒ならばロロが危険な目に遭うことは無い。そして当の本人であるロロは王都に行きたがるかと思ったが、意外にもロロは留守番を選んだ。
「だって大事な試験のために行くんでしょ? だったらロロが行ったら邪魔になるじゃーん。また別の機会に連れて行ってもらうよ」
予定通りなのでロロが付いて来ないことに問題はない。むしろ余計な心配をせずに済むので、クリフにとってプラスとなる。
しかしなぜだろう。ロロと離れることが決まってから、無性に寂しく感じることが増えた。その原因を、クリフはまだ分からなかった。
「クーリーフー」
鍛錬を続けていると、たそがれ荘の裏口からロロが現れた。ロロはクリフに向かって走って来る。クリフの前に着くと、「はい」と言ってタオルを渡してきた。
「そろそろご飯だよ。早く行こ」
可愛らしい笑みを見せるロロに、クリフは「あぁ」と言ってタオルを受け取る。
「分かった。ありがとな」
「どういたしましてー。ふふっ」
ロロがご機嫌そうに笑う。気になってクリフは尋ねた。
「どした?」
「んーん。前に比べたらマシになったなって」
「なにがだ?」
「女の子への苦手意識」
「……あぁ、なるほど」
ロロに指摘され、クリフは納得した。たしかに以前のクリフなら、ロロの笑顔を見てどぎまぎしていただろう。体温が上がって平静を失い、しどろもどろしていたはずだ。
しかし今のクリフには、以前のように体調が急変することは無かった。何だかんだで、ロロとの訓練が実を結んだようだ。
「たしかに前よりかは耐性がついたな。手を繋ぐくらいなら出来るようになったし、急に触れられない限りは大丈夫だ」
「だよねだよね。これもロロちゃんのお蔭かな。かな?」
「はいはい。その通りだな」
「もー。もうちょっと有難味を持ってよねー」
ロロは頬を膨らませて不満を訴える。その顔を見て、クリフに悪戯心が芽生えた。クリフは右手で膨らんだロロの頬を左頬をつまんだ。思っていた通り、ロロの頬は柔らかくてすべすべしていた。
ニ三回ほどつまんで遊んでいると、ロロの右手がクリフの左頬に伸びてくる。「仕返し」ロロはクリフがしているように、クリフの頬をつまんだ。
少しだけクリフの体温が上がったが、間もなくしてすぐに落ち着く。これくらいならば耐えられるほど、クリフの女性への苦手意識は克服されていた。その事実を確認し、クリフはにやついた。
「感謝してるさ。お前がいなけりゃ、俺は一生女が苦手だった。こんな風にすることもできなかったろうな」
「クリフはしたかったの? 恋人同士でイチャイチャするの」
「そうじゃない。ただ情けなかったんだよ。竜狩りを目指す戦士なのに女が苦手だってことが。こんな奴が人を助けられるのかって」
負い目を抱いたまま、クリフは戦士を続けていた。ロロに出会えていなかったら、以前と変わらず、女が苦手な戦士として竜狩りを目指していた。女性から目を背ける、情けない戦士として。
だがロロのお蔭で、クリフは変われた。毎日ロロと向き合って会話したり、触ったり触られたりして女性への耐性をつけた。その結果、女性に話しかけられても落ち着いて会話することが出来るようになり、少しくらいなら触られても大丈夫なようになった。これにより、クリフは自信をつけた。
「けど今の俺なら、自信を持って昇格試験に挑める。竜狩りになっても正々堂々と振る舞える。後ろめたいこと無く人を救える」
父と母から受けた使命を全うできる。クリフの原点はそれだった。それを果たせることに、クリフは悦んだ。
「お前のお蔭だよ。竜のお前を匿ったことに色々と不安はあったが、良い方に働いた。ありがとな、ロロ」
ロロの頬から手を離して、クリフは本心を告白した。少々恥ずかしかったが、言って良かったと思っていた。こういうことはちゃんと言葉にして言いたい。
「そっか……。良かった」
ロロもクリフの頬から手を離した。そして安心したかのように顔をほころばせる。
「ちょっと不安だったんだ。もしかしたらクリフは嫌がってるんじゃないかって。苦手を克服させるためとはいえ嫌なことをさせてるからさ」
「そんなことはない。そりゃ最初は嫌々だったが、お前が俺の事を考えてるって分かったから、そうは思わなくなった」
「うん。けどそれでも心配だった。もしかしたらロロのやってることが意味なくて、クリフに負担をかけるだけになるんじゃないかって……」
思い返せばロロのやり方は誰でも思いつくようなことだった。女性に関わる機会を増やすとか荒療治のような方法ばかりで、専門家のような知識や知恵を駆使したようなことはなかった。
しかし、ロロのように献身的にクリフに付き合ってくれた者がいなかったことも事実だ。
「仮にそうだとしても、それで俺がお前を嫌うことは無い」
「……ロロね、クリフに助けられて良かったって思ってるんだ」
唐突に、ロロはそう言った。
「この街に住んで分かったんだけど、みんなクリフみたいに優しい人ばかりじゃないって分かったの。喧嘩っ早い人とか、騙そうとしてくる人とかが居て、けどそれが普通なことだって知れた。それに竜はやっぱり嫌われていて、ほとんどの戦士が竜を敵視してるってことも。もし最初に出会ったのがクリフ以外だったら、今頃ロロは死んでたかもしれないね」
ロロはクリフたちと同行するとともに、多くの戦士と出会った。彼らは皆、須らく戦士らしい戦士である。
人々を守るために身を張ってモンスターや竜と戦う。当然、敵である竜を好む戦士など一人も居ない。人を襲う存在を嫌う。それはとても自然なことで、以前のクリフも彼らと同じだった。
「だからロロは、クリフにすっごく感謝してるの。ロロを守ってくれて、助けてくれて、ホントにありがとう。だからね―――」
ロロは微笑みながら言った。
「昇格試験、頑張ってね」
「……あぁ、もちろんだ!」
自然とクリフは声に力を入れていた。その原因は分からない。
ただ、込み上がる悦楽にふけるのは、心地良かった。




