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あなたのためにできること

「お前に悪魔が憑いてるわけじゃないさ。お前が悪魔を封じているんだ」


 一通り話し終えたルシフェルはおかしそうに、リラを指差した。真実を知った今でも、リラはどこか夢でも見ているかのような気持ちだった。


 哀しい、結ばれなかったふたりの話。すべてはこの王家を守るためについた大きな嘘。ただ、自分の祖先が王家と対立して呪いをかけたわけではないという事実に気持ちが少しだけ救われる。


 それにしても、自分で悪魔を封じているなどという意識はまったくない。この中に悪魔がいるなんて。リラは自分の胸にそっと手を当てた。


「無意識とは余計に恐ろしい。その血がずっと縛っている。深い眠りにつかされ、たまに眠りから覚めたときに、そうして外見に現れてくる。いい目印だろ」


「呪いは!? 王家にかかった呪いはどうすれば解けるの?」


 からかうような口調のルシフェルにリラはようやく反応した。ルシフェルはいつのまにかリラと同じように腰を下ろし、くつろぐ素振りを見せている。


「解けるわけないさ。それは呪いではなく契約だ。本当ならヨハネス王の血を引く者は全滅しているはずなのに、お前に封じられているせいで、ほとんど効力を発していない」


 黒い薔薇が咲けば三年で命を落とす呪い。あれは逆で、本来ならとっくに刈られている命を、なんとか悪魔の力を抑え込み、ギリギリまで伸ばしていたのだ。


「もしも私が、陛下に残っているものも、すべてを封じることができれば……」


 必死で考えを巡らせ、呟いた独り言に対し、ルシフェルはつまらなさそうに手を振る。


「そうなれば、今度はお前が完全に憑りつかれるぞ。まぁ、私にしてみればどちらでもかまわないが。すでにお前たちは近づきすぎた。いつどうなってもおかしくない、落ちるか落ちないか崖っぷちの状態でバランスを保っているのさ」」


「そんな……」


 リラは項垂れた。長い銀髪が汚れた剥き出しの床に散るが、今はそんなことも気にしていられない。吐く息は白く、冷たさが伝わってくる。自分はなにもできず、ヴィルヘルムの死を共に待つことしかできないのか。


 共に待つどころか、真実を知った今、もうヴィルヘルムと接触することさえできない。万が一、封じている悪魔が力を取り戻したら、そのときこそヴィルヘルムの、王家の命はない。


 リラにはやっと分かった。触れられるたびに、嬉しいのに拒絶したくなる気持ちは、この身に悪魔を封じている自分の血が危険だと告げていたのだ。自分はやはり伝承通り、王に決して近づいてはならない存在だったのか。


「私がなんとかしてやろうか?」


 突然、降ってきた声にリラは顔を上げる。燃えるような赤い瞳が自分を見下ろしていた。


「人間と悪魔とが交わした契約の仲介に入れるのは、契約した悪魔よりも上位のもの、この場合は、つまり私だけだ」


「なにを、言い出すの?」


「なに、そろそろ私の片腕を返して欲しいだけさ。このまま何代にも渡って封じられているのも困る。こっちも暇なわけじゃない。それに悪魔を封じているからとはいえ、お前の目は厄介なんだ。我々にとっての一番の脅威は正体を見破られることだからな」


 まさかの提案にリラは目を見開いた。しかし、純粋に喜んでいいものか、信じてもいいのか。相手はなんといっても悪魔であり、その(おさ)であるルシフェルだ。不信感溢れる眼差しを向けると、その心を読んだかのようにルシフェルは口を開いた。


「もちろん、ただとは言わない。私と新たに契約してもらおう」


 紫の瞳をルシフェルはまじまじと見つめた。そして突く寸前、リラの眼球ギリギリのところをまっすぐに指差す。


「ヨハネス王と我が片腕シェーネムントで交わされた契約を仲介して破棄させる代わりに、お前の目をもらう。そして、今後ヴィルヘルム王にけっして近づかないと誓ってもらおう」


 この紫の瞳を捧げる、すなわちそれはリラの目が見えなくなるということだ。悪魔を封じる前、ローザの目が不自由だったように。潰してしまおうとさえ思っていたこの瞳。しかし、いざそれが見えなくなるのかと思うと、勝手ながらリラの心は戸惑った。


「どうだ、怖気づいたか?」


 黙ったままのリラにルシフェルは笑った。


「契約をもちかけてなんだが、無理することはない。お前が王に対して抱いている気持ちも、王がお前に対して抱いている気持も、所詮は(まが)いものだからな。そこまで尽くしてやる義理もないさ」


「紛い、もの?」


「そう。お前の中のものと王の中のものが、ひとつになりたくて、それが伝わり惹かれ合うように錯覚させられているだけだ。人間たちでいう、そうだな、愛などという甘美なものに似せて」


 自分は、ヴィルヘルムのことをどう思っているのかなんて突き詰めて考えたことは、この感情をはっきりと名づけたことはない。ただ愛しくて、そばにいたくて、そばにいて欲しくて。


 でも、これは自分の中にいるものが、ヴィルヘルムに残されたものを求めていただけなのか。ヴィルヘルムにとって自分も……。


『どうやら私もその銀の髪と紫の瞳に魅入られたらしい』


 リラはぐっと、唾を飲み込む。嘘だと思いたい。こんなにも会いたくて恋い焦がれている気持ちさえも、全部紛い物だなんて。信じたくない、けれど、


「リラさま」


 名前を呼ばれ、はっと顔を上げた。静かな地下牢には小さな声も反響して大きく聞こえる。リラは鉄格子のところに飛びついて、声の主を探す。ガシャンという金属音がこだました。


「フィーネ」


 鉄格子の合間から覗くと、頭から布を被り地下牢の入口のところから、こちらを窺っている人物が目に入る。フィーネはリラの居場所と姿を確認すると、頭に被っていた布を払い駆け寄ってきた。フィーネはリラの置かれた状況に眉を寄せる。なんだか泣き出しそうな顔だった。


「リラさま、なにもできずに申し訳ありません。水と、少しですが食べ物をもってきました。どうぞ召し上がってください」


 籠からパンをとって手渡そうとするフィーネにリラは慌てる。どう見ても、フィーネが独断でしたことは明らかだった。


「そんな、駄目だよ。そんなことをしたら、フィーネが」


 フィーネは強引に鉄格子の間から腕を伸ばして、リラに差し出す。


「私のことはいいんです。それよりも早く。見張りの者は、別の者が呼んでいると伝えて、払っておりますが、すぐに戻ってきます」


 必死に腕を伸ばしてくるフィーネにリラは首を振った。フィーネの服は地面を擦り、鉄格子にくっつけている頬が錆で汚れている。


「いい、いいよ。フィーネ。私のことは放っておいて。フィーネまで悪者になっちゃうよ」


「かまいません!」


 弾かれたような声が地下牢に響いた。フィーネは腕を伸ばしたまま、こうべを垂れる。


「ズーデン家の話は聞きました。リラさまがその血を引く者だということも。王家にとってズーデン家がどんな存在なのか分かっています。でも、……でも、リラさまと共に過ごしたこと、王家のためにしてくださったこと、それを考えたら、やっぱりこんなことおかしいです。秘密にしておきたい力なのに、わざわざ祖父の残したものを教えてくださったこと、本当に嬉しかった。私は、リラさまのことが大好きなんです」


 泣き出しそうなフィーネの声に、リラは胸が痛くなる。唇をきつく噛みしめて、リラもぐっと俯いた。


「なにをしている!?」


 そこで空気を裂くような男の声が響いた。見張りをしていた者だ。フィーネの手からパンが落ち、まっすぐに牢まで歩み寄った男がフィーネを後ろから拘束する。


「フィーネ!」


「お前、なにをしているのか分かっているのか!? 魔女の手引きをするなんて、お前も魔女の仲間だったのか!?」


「やめて、彼女は違うの!」


 リラは必死になって叫ぶ。フィーネの顔は苦痛で歪んでいた。リラは鉄格子を掴んで揺するも、金属の擦れる音が不快に鳴るだけだった。


「そこまでだ!」


 凛とした声が静寂をもたらす。その場にいる誰もの動きが止まった。


「……ヴィルヘルム、陛下」


 見張りの男がぽつりと呟き、フィーネを離すと、その場に平伏した。解放されたフィーネも、その場に項垂れる。


「お勤めご苦労様です、ここはかまわないので、下がっていてもらえますか?」


 エルマーが笑顔で、けれど有無を言わせない絶対的なもので見張りの男に声をかける。男は頭を上げて、そそくさと地下牢から出て行った。エルマーがフィーネに近づき、支えて起こそうとする。


「フィーネは悪くないんです。私が、私がお願いして」


 リラはエルマーに必死に訴えかけた。しかしエルマーはリラの方に視線を寄越さない。


「リラ」


 名前を呼ばれて、リラの意識はそちらに飛んだ。牢から、いくらか離れたところに立っているヴィルヘルムがまっすぐにこちらを向いている。表情は暗くて分からない。そして連れていたクルトが牢の錠の鍵を開け、地響きのような引きずるような音と共に牢が開かれた。


「え?」


 まったく状況についていけないリラは呆然とするしかなかった。そしてヴィルヘルムが、牢の中に入ってくる。あまりにも似つかわしくない場所に、リラの前に王は立っている。


「陛下、なりません!」


「今更だろ」


 クルトの諌める声に短く返すと、ヴィルヘルムはリラに一歩近づいた。そのたびにリラの心臓が跳ねて、不安が広がっていく。


「リラ」


 再度、名前を呼ばれてもリラはなにも言えない。動けない。そして次の瞬間、ヴィルヘルムが正面からリラを包み込むように強く抱きしめた。


「すまなかった。ずっとお前に、ズーデン家に多くのものを背負わせて」


 その言葉にリラは目を見張る。オステン方伯から真実を聞いたのだとヴィルヘルムは告げた。そして事実をヴィルヘルムたちが知ったことに、胸が軋む。ヴィルヘルムはリラを抱きしめる力を緩めなかった。


「もうそんなことはさせない。リラは、ズーデン家の者はなにも悪くはない」


 ゆっくりと腕の力を緩めると、ヴィルヘルムはリラの頬に手を添えて、自分と視線を交わらせる。慈しむように紫の瞳を眺めた。


「これから、どんな形になるかは分からないが、ずっと償っていく。もういいんだ、私はとっくに自分の運命を受け入れている。だから」


 そこで、リラは思いっきりヴィルヘルムを突き飛ばした。さすがの不意打ち具合にヴィルヘルムも驚く。クルトが中に入ってふたりの間に割って入った。


 リラはしばらく俯いたままだったが、ゆらりと頭を上げて王から視線を逸らした。そして、嘲笑うように声をあげた。


「あはははは、馬鹿みたい。償い? なにも悪くない? なにを言ってるんです? 心配しなくても、私は最初から全部、知ってましたよ」


 まさかルシフェルから真実を聞いたなどとは思わないだろう。ヴィルヘルムの、そしてクルトやエルマーの顔に驚愕の色が浮かぶ。


「私の祖先が勝手にしたことでしょ? 私には関係ありませんよ。まったくいい迷惑です。おかげで私が今までどんなふうに生きてきたか」


 今までのリラからは考えられないような冷たい声だった。リラは自分の体をぎゅっと抱きしめて力を入れる。


「だから王家が憎かったんです、ヴィルヘルム陛下、あなたが。自分の運命は受け入れている? ええ、そうでしょうね。なんたってそちらが撒いた種なんですから。その泥をかぶった私たちのことなど考えることもなく悲劇の国王気取りですもん」


「貴様!」


 激昂しそうになるクルトをリラは睨みつけた。ヴィルヘルムの顔がわずかに歪んで、痛みに耐えるような表情が視界に入る。心臓が打ちつけるように痛い。けれど、それを悟られるわけにはいかなかった。


「なにも知らない能天気な王家の皆様に取り入ってから、真実を告げてやろうと思ったんです。苦悩させてやるつもりでした。陛下が少しでも私に興味を持ってくだされば万々歳でしたが、まさか飼い猫にしていただけるなんて」


「リラ」


 ヴィルヘルムが再び、リラに歩み寄ろうとする。それを叫んで拒絶した。


「触らないで!」


 一瞬だけ、ふたりの視線が交わる。しかしリラはすぐに顔を背けて距離をとった。


「本当はあなたに触られるの、死ぬほど嫌でした。そばにいるなんて冗談じゃありません。……ルシフェル」


 そこでリラは牢の中に視線を走らせて、呼びかける。その名前に、そこにいた全員の顔が強張る。


「リラ、お前……」


 ヴィルヘルムの顔がわずかに曇る。その名を知らないわけがなかった。


「どうした?」


 なんでもないかんもようにルシフェルが闇の中から姿を現す。その人間離れした妖艶たる姿にヴィルヘルムは息を呑んだ。リラはかまわずに続ける。


「私、あなたと契約する。あなたの望むものをあげるわ、誓約も守る。だから、こんなところからさっさと連れ出して」


「待て、リラ。契約ってどういうことだ? お前、自分が誰を相手にしようとしているのか、分かっているのか!?」


 ヴィルヘルムがリラに詰め寄ろうとするも、クルトに制される。リラはヴィルヘルムに背を向けた。


「さようなら、ヴィルヘルム陛下。もう二度とお会いすることはありませんけど」


「やれやれ。連れ出すのは契約内容に入っていなかったが、まぁ、いいだろう」


 ルシフェルが面倒くさそうにリラに手を差し出した。リラはおずおずとその手を取る。


「リラ、行くな! お前は私のものだろ」


 必死に叫ぶヴィルヘルムを、ちらっとだけリラは紫の瞳に捉えた。憎悪まみれの目を向けられると思っていた。でも、そこには裏切られて傷ついたような表情をしたヴィルヘルムがいる。そんな顔を見るのは初めてだ。


 最後に見るのが、そんな顔だなんて。


 そうさせたすべての原因は自分にある。リラはルシフェルと共に闇に消えていった。それからリラが姿を現すことはなかった。

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