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それぞれが伝えるべきこと

 どうして忘れてしまっていたのか。出会った時から、この紫の瞳に王を映した時から、ずっと自分の中でなにかが引っかかっていたのに。惹かれる気持ちを懸命に押し殺そうとするなにかが、ずっと警鐘を鳴らしていたのに。


 目を開けると、辺りは真っ暗だった。冷たさと硬さに身震いする。ここは自分に宛がわれた部屋でもない。視界に広がるのは暗闇で、一本の蝋燭だけが唯一の灯りだった。


 ぽとっとどこかで水滴が落ちる音が響く。しばらく目を凝らして見ていると、徐々に輪郭を掴んできた。ここは地下牢だ。


 床も壁もすべてが石造りの剥き出し状態で、恐ろしく冷たい。身は自由であるものの、鉄格子が目の前にあるので、どうすることもできない。完全な罪人扱いだった。


「本当に、私は、ズーデン家の末裔なの?」


 誰に問いかけるわけでもなくリラは無気力に呟く。突然、明かされた自分のルーツをまだ受け入れられれない。この王家にやってきたのはまったくの偶然だ。偶然の、はずだ。それにしても、まさかこの瞳もこの髪の色も呪いのせいだったなんて……。


 そこでリラの頭が切り替わる。王家にかけられたという呪い。その花が咲けば三年で命を散らすという黒い薔薇。もしもあれが、自分と血を分けた者がかけた呪いなのだとしたら、どうにか解くことはできないのか。そんな力は自分にはないのか。


 分からない。なにもできない。このままどうなってしまうのかさえも――。


「これは、これは」


 誰もいないと思っていたところから声が響き、リラは叫びそうになった。声は牢の外ではなく中だ。恐る恐る辺りを見渡せば、ひとりの若い男が立っている。いつからそこにいたのか、リラはまったく気がつかなかった。


 背が高く、肩まである黒い髪に透けるような白い肌。ヴィルヘルムとは、また違った妖艶な美しさを持っている。そして特筆すべきは、その瞳が燃えるように真っ赤なことだ。


 全身を黒に身を包んだその姿は、この世のものではないとすぐに分かった。けれど、不思議と恐怖感はない。男は楽しそうに妖しい笑みを浮かべてリラを見下ろしている。暗闇の中、男の姿だけは、はっきりとリラの瞳に映った。


「あなたは……」


「ずっと姿を見ないと思ったら、そんなところにいたのか」


 赤い瞳を細めて笑う姿にリラは目が離せない。男はリラとの距離をどんどん縮めてくる。


「なにを、言っているの?」


「一瞬だけ気を感じたから、こうして足を運んでやったんだ。……久しいな、シェーネムント」


 その一言が合図のように、リラの中からなにかが溢れそうになる。リラは自身を抱きしめて、無意識にそれを必死に抑え込んだ。


 しゃがみ込んで浅い息を繰り返し、俯きながら収まるのを静かに待つ。すると男の足元が目に入った。脳に直接響くような魅惑的な声だった。


「ほう。この私が名前を呼んでも出て来られないとは、よほど強力な力で縛られているらしい。その娘の中は心地がいいか?」


 言われている意味は理解できない。ただ、目の前の男が何者かということは、リラには分かった。リラの中のなにかが必死に求めている。勝手に涙が溢れそうになる。


「っ、ルシフェル……さま」


 それはリラの意志ではない誰かのものだった。おかげで、これでやっと確信できた。やはり自分の中になにかがいるのだと、悪魔が憑いているのだと。


 そして、目の前にいるのは地獄帝国の皇帝を務め、すべての悪魔の長であるルシフェルだ。目に見えない圧にリラは顔を上げることができない。それでも、どうしても訊いておきたいことがある。答えてくれるなら、相手がだれであってもかまわない。


「あなたなら、知ってるの? 私は、私の祖先は、どんな内容で悪魔と契約したの? どうして私に憑いたままなの? どうすれば……呪いを解けるの?」


 訊きたいことが山ほどあるのに、声を出すのも苦しくなる。声と共に漏れる息は白い。切れ切れに、尋ねた問いに対し、ルシフェルは声をあげて笑った。その高らかな笑い声が反響してリラの頭はおかしくなりそうだった。


「なにが、おかしいの?」


 ルシフェルの笑いは止まりそうにない。ようやく笑いを収めたところで、ルシフェルはひざを折り、俯いたままのリラの顔を強引に上げた。血のような瞳に見つめられ、リラの心が震える。


「これは滑稽だな。お前はなにも知らないのか。こんなふうに(こじ)れてしまったのは、すべてお前の、いやお前の祖先のせいだろ」


「……どういうこと?」


 ルシフェルはにんまりと口角を上げ、歯を覗かせて笑った。


「いいだろう、久々の再会を祝って、特別に教えてやる」




「クルト、リラをどこに連れて行った!?」


 珍しく声を荒げるヴィルヘルムに対し、クルトは表情ひとつ変えない。いつもと立場が逆だった。リラのことはクルトが他の家臣たちにさっさと指示してしまい、面々は場所を移していた。


 ここは方伯たちが集まり、重要な会議を行う部屋だ。高い天井、繊細に彫られた柱、壁には美しい絵画が飾られている。今は、誰もそんなことを気にはとめていない。


「地下牢に入れています。彼女は普通の人間じゃない。処分が決まるまではそこにいてもらいましょう」


「あんなところに!? 冗談じゃない! 今までリラが我々になにかをしてきたことはあるか?」


「今まではなくても、これからは分かりません。すべては我々を油断させるための演技だったのかもしれませんし」


「馬鹿な」


 王は頭を振って、拒絶の意を示す。そんなわけない、そんなはずがないと思っているのに、ヴィルヘルム自身も突きつけられた事実に少なからずとも動揺していた。


 エルマーが複雑そうな顔で二人を見つめながらも、激昂し続けるノルデン方伯の相手をするのに精一杯だった。


「リラをどうするって!?」


 そのとき、不躾にドアを開けて入ってきたのはブルーノだった。その息は乱れ、作法もなにもない。なりふりかまわず駆けつけてきたのが伝わる。


「ブルーノさま!」


 遅れてユアンが息を切らして入ってくる。初老の従者には、なかなか堪えたのだろう。肩で息を切らしながら頭を垂れた。ブルーノはそんなユアンにかまわず、ヴィルヘルムの方にリラのことを詰め寄る。


「おい、たしかに俺は本気になるな、と忠告はした。だからって、どうして突然、処分をどうって話になるんだよ!」


「ブルーノ!」


 諌めるような強い声が響く。腹の肉が揺れ、唐紅(からくれない)外套(がいとう)がふくよかな体形を覆っていた。ブルーノの父親であり、西の領地を管轄するヴェステン方伯だ。従者を伴い、ヴィルヘルムに近づくと、ヴェステン方伯はゆっくりと頭を下げた。


「お久しぶりです、陛下。西隣国との協定の見直しについて無事に済ませてまいりましたことを報告いたします。そして、愚息がとんだ無礼を働きましたこと、まことに申し訳ありません」


 そうして顔を上げると、ヴェステン方伯は自分の息子に目もくれず、まっすぐにヴィルヘルムを見つめた。


「ブルーノから話を聞いたときに、やはり直接、陛下に申し上げるべきでした。銀色の髪を持つ者に近づいてはならぬと。ノルデン家に伝わるものと同じように、我がヴェステン家にも同じような話があった。“銀の髪を持つものを決して王に、王家に近づけてはならぬ。それは王家の破滅を呼び、災いをなす”」


 ヴィルヘルムは顔を歪める。もはや、ここまでくると偶然などという言葉では片付けられない。方伯それぞれに伝わる伝承は、まるでリラのことを指すためだけのように思えた。


「陛、下」


 そこで、弱々しく掠れた声で呼びかけられる。その場にいた全員の注目が集まった。


「オステン方伯」


 ヴィルヘルムは目を見開く。濃緑の外套に身を包み、腰の曲がった老人が、従者と息子に支えられながらこちらに一歩ずつ歩み寄っていた。


 高齢で体調がずっと思わしくないと聞いていたので、滅多に外に出ることもなく、会議も息子のザックが代わりに出席していた。ヴィルヘルムも、直接会うのは自分が即位したとき以来だ。あまりにも意外な人物の登場で部屋は静まり返る。


「すみません、陛下。どうしても自分が行くと言ってきかないもので」


 ザックが父親を支えながら、頭を下げた。急いでエルマーが椅子を運んで来て座るように勧める。オステン方伯は一言ヴィルヘルムに断りを入れてから慎重に腰掛けた。窪んだ眼窩はかすかに濁っており、長く白いあご鬚は、荒く息をするたびに上下する。


「ズーデン家の」


 唐突に話しはじめ咳込む。ザックがそばに寄ったが、手を上げてそれを制した。


「ズーデン家の血を引く者が現れたとお聞きしました……私も、オステン方伯として、陛下にお伝えしなくてはならないことがある」


 そこまで告げて、深く息を吐くとオステン方伯は顔を上げ、ゆっくりと他の方伯たちの顔を確認するように見た。


「この話は、できれば陛下とおふたりで話したい。それも含めて、オステン家に伝わることだ」


 ノルデン方伯は眉を吊り上げ、ヴェステン方伯は複雑そうな顔をした。それでも、方伯たちの中でも年齢も高く、東だけではなく南の領地も管轄しているオステン方伯の申し出に、反論できる者などここにはいない。ヴィルヘルムはクルトに目線を送ってから口を開いた。


「分かった。しかし城の中とはいえ、護衛をつけないわけにはいかない。こちらの側近をつけさせてもらってもかまわないだろうか」


「陛下がかまわないのでしたら」


 オステン方伯は静かに息を吐く。結局、クルトとエルマーは同席することになり、他の面々には別室で待機してもらうことになった。同じように付き添うと申し出た従者や息子さえもだ。


 先ほどまで騒々しかった部屋に静けさが戻る。老人の荒い息遣いだけが響いていた。そして、やはり前触れもなくオステン方伯の話は始まった。


「ヴェステン方伯は、銀の髪を持つものを決して王に、王家に近づけてはならぬ。ノルデン方伯は紫の瞳を持つものを決して王に、王家に近づけてはならぬ。それはどちらも正しい。その通りだ。そして、我がオステン家に伝えられし話。いつかズーデン家の血を引く者が現れたときに伝えるように言われた真実の話です」


「真実?」


 ヴィルヘルムが訝しげに尋ね返した。オステン方伯は俯いていた顔を上げて、ヴィルヘルムの顔をまっすぐに見つめる。


「陛下、今から私が話すことは、あなたにとっていいものだとは限らない。なぜなら、どうあがいても運命は変えられない。辛くなるだけかもしれませぬ。それでも」


「かまわない、話してもらえないか」


 言葉を遮って強く先を促すヴィルヘルムに、オステン方伯は再び長い息を吐いた。これから話す内容の長さを表しているかのように。


「すべてはヨハネス王、いえ、そのご子息であるフェリックス王の頃に話は遡ります」

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