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隠すものと隠されていたもの

「なぜ、止めた?」


 身震いしたのはこの風のせいではない。冷ややかなヴィルヘルムの声がリラに届く。


「差し出がましいことをしました、申し訳ありません」


「私は理由を訊いているんだ」


 リラの謝罪をはねのけ、王は距離を縮めた。


「彼女はまだ子どもです、あんなふうに問い詰めても」


「子どもだから、なんだ?」


 リラの理由は心底気に入らなかったらしい。一段と低い声で返し、ヴィルヘルムは嗤いながら、また一歩リラに近づく。リラは蛇に睨まれた蛙のように動けなかった。


「子どもだから、甘やかされて、許されて当然だとも?」


「っ、そうです!」


 きっぱりと弾く声が部屋に響く。震えを伴っていたが、その声は力強く、ヴィルヘルムの虚を衝くには十分だった。勢いに乗って、リラは早口でまくし立てる。


「子どもは大人に見守られながら、たくさん失敗して、甘えて、許されて。そうやって成長していくんです! でも、今のあの子にはそれがない。あんなに苦しんでいるのに」


 言い切ったのと同時に目線を下に落として奥歯をぐっと噛みしめる。そうすると、心臓がばくばくと音を立てている現状だけが残った。後先考えず、感情的な物言いをしてしまった後に、次にどうするべきなのか頭が回らない。


 そうこうしていると、視界にはヴィルヘルムの足元が映り、距離を縮められていたことに、緊張が増す。風が外の木々を揺らし、なにかが倒れ、転がる音が遠くの方で聞こえる。沈黙。リラの心臓は壊れそうに強く打ちつけていた。


「……私の周りには、そんなことを許してくれる大人はいなかったけどな」


 冷たさは帯びていない声がぽつりとリラの頭上から降ってくる。ゆっくりと顔を上げると、そこには複雑そうな顔をしたヴィルヘルムがいた。寂しそうな、傷ついたような。青みがかった黒が揺れる。途端に、リラは自分がとんでもないことをしたのだと自覚した。


「申し訳ありません。自分の立場も顧みず、陛下にご無礼を働きました。どうかお許しを。……いえ、どんな罰でも」


 一段と小さい声でつけ足す。一国の王に反論するなど、許されるはずもない。不敬罪で処罰されても文句は言えないはずだ。今のリラの立場を(おもんぱか)れば、尚更。身を縮めて反応を待っていると、いきなり真正面からヴィルヘルムがリラを抱きしめた。


 その腕にすっぽりと収まり、予想外の行動にリラは狼狽える。回された腕は力強く、離れるどころか、なにか言おうとすることもできない。触れたところから伝わってくる体温をじんわり感じながら、鼓動が加速する一方だった。


 すると、腕の力が緩み、ほっとする間もなく、頤に手を添えられ、強引に上を向かされる。その顔には、意地悪そうな笑みが浮かんでいた。


「罰? なんのことだ? ただの恋人同士の他愛ない(いさか)いだろ?」


 リラは目を丸くして、ヴィルヘルムをただ見つめた。零れそうな紫の瞳に自分だけが映っていることにヴィルヘルムは満足する。


「ここでは、私の正体は隠しておく話だろ?」


「も、申し訳ありません!」


 いつもの癖で、陛下と呼んでしまったことを思い出し、改めて謝罪する。それは先ほどの重々しいものではなく、素で慌てている様子のリラをヴィルヘルムは楽しそうに眺める。


「謝らなくていい。それにしても、よく似合っている。隠すのは勿体ないが」


 頤にあった手をリラの前髪辺りを覆っているレース地に伸ばした。その仕草ひとつひとつが優雅で、リラは目が離せない。ヴィルヘルムが贈ったヴェールはリラの髪を守るように覆い、花を添えている。


「わざわざ私のために、ありがとうございます」


「手間はない。愛しの恋人のためだからな」


「もう、それやめましょう」


 心許ない声をリラはあげる。ここを訪れたときにエルマーがフォローとして言い出したことだが、ふたりでいるときまで演じ続ける必要はない。しかしヴィルヘルムはそうは思っていないらしい。


「そう言うな。私は楽しんでいる」


 言葉通り、どこか楽しそうに告げると、無駄な動きひとつなくリラの額に口づけた。それに対し、リラの動揺は半端ない。羞恥心で頬が朱に染まり、瞳を潤ませながら、ヴィルヘルムから距離をとろうとする。しかし、それは再び回された腕によって阻まれた。ヴィルヘルムはリラの頬に指を滑らせる。


「あのっ」


「ヴィルだろ、リラ」


 それこそ子どもにでも言い聞かせるような口調で、リラの心は波立った。自分の立場を考えればそんな恐れ多いことはできない。けれども事情が事情だ。分かっているのに、どうしても素直に呼ぶことができずに、リラは唇を固く結ぶ。


 いっそのこと、強い口調で命令してくれたら。優しく懇願するような言い方は卑怯だ。視線を逸らし、真一文字に結んだままの唇を解すようにヴィルヘルムが親指でなぞる。


「呼んだら、離してやる」


 最大限の譲歩を提案すると、リラはおずおずと唇を解いた。こんなにも声にすることが難しい言葉があるなんて。


「ヴィ、ル」


 ぎこちなくではあるが、リラの口から自分の名前が紡がれたことに満足し、ヴィルヘルムは離してやるどころか、さらに距離を詰めた。そのことにリラは目を見張る。


「あっ」


「いい子だ」


 その瞳を見つめながら、吸い寄せられるように、リラの唇に自分のを重ねようとしたところで


「あのー。お楽しみのところすみません」


 こほんっと咳払いひとつ。ただでさえ外気に晒され、冷えている部屋の温度がさらに下がったと感じたのは誰なのか。ヴィルヘルムの腕の中で目を開けたまま固まっているリラに対し、ドアのところから、エルマーは気にする素振りもなく続けた。


「言っときますけど、ヴィルが僕を呼んだんですよ? タイミングの悪さはご自分を呪ってくださいね。それとも、見せつけるためにわざとです?」


「だったら、どうなんだ?」


「それは残念。やり方を間違えましたね」


 ヴィルヘルムは苦虫を噛み潰したような顔で、エルマーに視線を投げかけ、リラをゆっくりと解放した。そしてなんでもなかったかのようにエルマーに問う。


「メラニーは?」


「ヴィルの指示通り、オスカーが付き添い、向こうの部屋で休んでいます。そばにはクルト先生が。で、この部屋でなにをするんです? 密談や逢瀬を楽しむのには寒すぎですよ。なにより開放的すぎる」


 寒さに肩を縮めながら、ガラスの割れた窓に向かってエルマーは一直線に歩み寄った。わざとらしく、窓から首を出して、外の様子を見つめる。そこでリラは、窓が割れたときに見えた手のことについて思い出し、遅ればせながら報告した。


「やはり、なにかいるようですね。ですが正体が分からないことには……」


 腕を組んで(うな)るエルマーに対し、同じように考え込んでいたヴィルヘルムが迷いながらも口を開いた。


「およその見当はついた。あとは確証が欲しい」


 その言葉にエルマーとリラは驚いたように顔を見合わせた。訊いたのはエルマーだ。


「我々はなにをすれば?」


「ここで探し物をしてもらいたい。本棚には触れるな」


「分かりました。それで、なにを探しましょうか?」


 ヴィルヘルムは口角を上げた。美しくも妖艶で、人々を惑わしそうな笑みだった。


「餌付けするための“餌”だ」


 エルマーとリラは手分けして、部屋のあちこちを探っていく。チェストの中、書斎机の中、棚の隙間。しかし、特に変わったものは見つからない。そうなると自分たちのしていることがどうも後ろめたくなってくる。


「致し方ないこととはいえ、少女の秘密を暴くのは、なかなか心が痛みますね」


「そうですね。あの……ヴィル。本当に、本棚はかまわないんですか?」


 極力さらりと名前を呼んだつもりだったが、どうしても違和感は隠せなかった。ヴィルヘルムは隔てるものがなくなった窓からなにかを確認するかのように顔を出し、リラの声を受けて再びその身を戻した。


「かまわない。どうせ本棚には本しかない」


 確信をもってそう言うと、ヴィルヘルムは壁に沿って()めつけるように鋭い視線をぶつけながら、歩き始める。そしてしばらく進み部屋の角にあたったところ、あの絵が掛かっているところで、コンコンと壁を軽く叩いた。


「エルマー!」


 すぐにエルマーはそばに駆け寄り、同じように壁を叩いて確認する。そしてその場にしゃがみ込むと、壁を覆っている絵の下で、中途半端に覗いている床と壁との間に線が走っているのを確認した。その線をたどるようにして、遠慮がちに絵を浮かせる。布のような生地はあっさりと翻えった。


「これはっ」


 リラも息を呑んだ。扉と呼ぶほど仰々しいものでもない。そこには壁を切り取ったかのような正方形が顔を覗かせる。気持ちばかりとついている取っ手から、開くのは間違いそうにない。エルマーはちらりとヴィルヘルムを窺った。しかしヴィルヘルムは動揺などまったく見せずに


「どうやら探し物はここにあるみたいだな」


「つまりは、開けろってことですね」


 王の言いたいことを汲み、遠慮がちにエルマーは扉に手をかける。しかしその扉は驚くほど簡単に開いた。そこには小さな部屋がひとつ。部屋と呼ぶより貯蔵庫とでも言うべきか。窓がないので薄暗く、空気も冷たく淀んでいる。真ん中にスペースがとられ、小さな古い木机と椅子、棚。ぱっと見て確認できたのはそれだけだ。


 それを見たエルマーは、少し待っていてください、と言い残し部屋から出ていく。しばらくしてから、その手に持ち運び用の燭台を持って帰ってきた。短いが、太さがある蝋燭の火は大きな炎が煌々と灯っている。機転がきくエルマーにリラは、ただ感心するばかりだった。


 再び小部屋に足を踏み入れる。エルマーのおかげで、部屋の輪郭は、先ほどよりもより一層、はっきりとした。


「ここは、ゴットロープが使っていたんでしょうか」


 問いかけか、独り言か、エルマーの硬い声が響く。蝋燭の明かりのみに照らされる閉ざされた空間、そこは石畳がむきだしで、中央にはチョークで書かれた魔法陣、散らばっている本。なにをするための部屋なのかは嫌でも分かる。そして


「この瓶は、なんでしょうか?」


 明かりの照らす範囲に目を追わせて、リラが気になったのは、棚に置いてあるものだった。本が置いてあるのかと思えば、そうではない。よく見えないが、緑がかったくすんだ色のガラス瓶が並んでいる。エルマーが近づき、そばを照らすと、瓶の中身が映し出された。


「きゃっ」


 ついリラが身を引く。瓶の中にはいくつもの黒い点が、目が見えたからだ。しかし、エルマーもヴィルヘルムもさして気にしていない。エルマーに至っては、その瓶を手に取った。


「そんなに驚かなくても。魚の塩漬けですよ。こちらは開いたものですが、これはまんまなので、少し気味が悪いかもしれませんが」


「それ、食べられるんですか!?」


 信じられない、という面持ちでリラは尋ねる。リラが育った村は、山奥にあり、そこまで他の地域との交流もなかったので、海のものを食べるどころか、見たこともほとんどなかった。エルマーは苦笑する。


「もちろん、美味しいですよ。それにしても、どうしてこんなにも魚の塩漬けが。保存食でしょうか」


 燭台を持つ手を棚に沿って滑らせると、照らし出される瓶の中身は魚ばかりだった。


「なるほど、餌は魚か」


 ヴィルヘルムはそれだけ告げると、早々に部屋を出ようとするので、リラとエルマーも慌てて続こうとした。そのとき、体を縮めて出ようとしたところで、なにかに足が当たったのが音と感触で分かる。


 じゃらりという零れ落ちる音と共に確認すると、革製の袋の中から大量のきらきらと光るものが覗いていた。一瞬、目を疑ったが、エルマーがそのうちのひとつを取り、扉の外で改めて日の光に当てる。それは紛れもなく本物の金貨だった。


「……これはどういうことですか? あなたには、分かっているんでしょう?」


 呆れたような視線を送ると、ヴィルヘルムは微かに笑った。リラは驚いてヴィルヘルムを見つめる。その眼差しにはヴィルヘルムはいささか困った表情を見せた。


「メラニーになにかが憑いている気配はない。しかし、ここになにかがいるのは間違いない。そして、それをリラは捉えることができない」


「はい」


 状況を説明しているだけなのに、なんだか役に立てていない後ろめたさを感じながら、リラは静かに頷いた。その微妙な表情を読み取ったらしい。ヴィルヘルムはリラのそばまで寄ると、そっと頭を撫でてやる。


「べつに責めてはいない。むしろ、それがヒントだった。お前は、強い意志をもってこちらに働きかけるものしか見ることができない、と言ってただろ。だから、ここにいるのは、特段自分の意志を持って、こちらに干渉しようとはしていないんだ」


「食堂やこの部屋の窓の件は?」


 エルマーが口を挟む。ヴィルヘルムがリラに触れていることに関しては、もはや無視を決め込んでいるのか、気にもしていないのか。


「そう。そんな奴が、こちらに働きかけるのは、いつも同じ条件だ」


「……メラニー」


 リラの言葉が衝いてでる。ヴィルヘルムも同意するように軽く頷いた。


「そうだ。最初の食堂で起きた騒ぎは、オスカーがお前らをここに連れてきて、メラニーと無理やり接触させようとしたからだ。オスカーは本を読むのをやめるように言ったり、感情的に声を荒げていたそうじゃないか。そして、窓の件も同じだ」


「っ、まさか、わざわざ試すために?」


 目をまん丸くして、リラはヴィルヘルムを上目遣いに見つめる。ヴィルヘルムがメラニーにきつく当たったのは、そういうことだったのか。そんな思いを受け、ヴィルヘルムはそっとリラの頭から手を離し、視線を逸らした。


「私はそんなに優しくない。要するに、奴がこちらに働きかけるのはメラニーが不快に感じたり、窮地に立たされたときだ、ということだ」


「つまりあの『ジャマヲスルナ』というのは、自分の邪魔、ということではなく、メラニーの邪魔、ということですか?」


「おそらくな。それに騒ぎを起こすにしろ、どちらも、わざわざメラニーに危害が加わらない方法をとっている。オスカーやお前らを追い払いたいなら、目の前でこの部屋のものを荒らせばいい。でも荒れたのは食堂だった。さっきも割れた窓の破片は、わざわざ外へ散っていった。こちらに飛んできてもよさそうなものを」


 そこでリラはなんとなく感じていた違和感が繋がった気がする。あのリラの瞳に映った黒い手は、我々に危害を加えようとしたわけではない。メラニーから注意を反らせたかっただけなのだ。だから、食堂で残された文字を見た時も、嫌な感情は伝わってこなかった。背中に冷たいものが走る感覚も。それらが意味することを合わせれば


「ここにいるのは、守護魔神と呼ばれるものだろう」


「そんなものが。初めて聞きますね」


 その名を聞くのは、リラはもちろんのこと、エルマーでさえもだった。


「私も相手するのは初めてだ。奴らの中に、極まれに人間に対し好意的に接するものもいると聞いたことはあるが……。ゴットロープの本棚に並んでいたのは、悪魔学の中でも、特に招霊術に関する書物が多かった。どういう経緯かは知らないが、どちらにしろ、メラニーに話を聞く必要がある」


「危険です! 下手に接すれば、またなにか起こるかもしれない」


「承知の上だ。しかし、これ以上の情報を得るためには、彼女に話を聞くしかないだろ」


 エルマーは眉を寄せて、しばらく口を閉ざした。そして、考えを吐き出すかのように長い息を吐いた後、とりあえず自分も付き添ったうえで、メラニーだけをこの部屋に連れてくるということで話はまとまった。

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