その3
「ここは……」
カオリをとある場所へと連れてきた。それは、私が忘れることのない場所であった。
そう。
あのコムギと最後に訪れた、あの工場へ続く道路だった。
「食パン先生?」
「捜査の基本は足だと言うだろう? だからまずはオコメライス党に狙われた、例の工場へ向かってみれば何かわかるかもしれないと思ってね」
私はあの時の道を辿りながら、工場へと向かうことにしたのだ。
もしかしたらこの道に何か落ちているかもしれないし、落ちていないかもしれない。そして工場にたどり着けば、オコメライス党に関する何かをつかめると考えたのだ。
そしてその道を辿ること一時間。
その間に食パンをつまみ、時にハトに食パンを分け与え、時に野生の動物に食パンを分け与えながら、工場へと向かった。
しかし、その目的地である工場がなかなか見えてこなかった。
私は疑問に思った。
「どうして工場が無いんだ? たしか、コムギの話では工場へはこの道をまっすぐに……まさか」
私は一つの結論にたどり着いた。
誰もが考えうることなのに、当たり前すぎて誰も思いつこうともしないし、思考の外側にあって思いつかないというところに私は着目した。
「カオリ。一つ聞きたいのだが」
「なんですか?」
カオリは食パンにジャムをつけながら言った。
「食パンにジャムをつける際、先にバターを塗る派と、ジャムだけで食べる派がいるのだが、君はどちらだい?」
「私はジャムだけで食べます」
「ふむ。ではもう一つ聞こう」
私も食パンを取り出した。
そしてバイキングなどで使われている、少量のバターが小分けにされているものを内ポケットから取り出した。
「もしかしてコムギは、方向音痴だったりしたのではないか?」
「……食パン先生。コムギは、地図を見て北側のことを『上』と言っておりましたが、方向音痴ではありませんでした」
「そうか」
私の思い違いか?
しかしこの胸の片隅に残る、食パンの耳の切れ端のようなものが気になって仕方がない。
考えろ。考えるんだ。
いつまで経ってもたどり着かない工場。
ここに至るまでに分け与えてきた食パンの枚数から算出すると、かれこれ四十キロは歩いてきたであろう。なのにたどり着かない。となると、一つの考えが浮上する。
それをカオリに伝える。
「もしかすると、工場は無いのかもしれない」
「え?」
「最初から工場なんて無かったんだ。そう考えればこのことに納得がいく」
「ふふふ。そうきましたか」
「ん? 何か言ったか?」
「いえ」
カオリは、一瞬だけ顔に浮かべた微笑みをすぐに消して、真面目な表情を見せた。
なぜ笑われたのだ?
「しかしそうなるとあの時、私とコムギが乗っていたあのトラックは、どこへ向かうつもりだったのだ?」
「食パン先生、あなたは少し知りすぎたようですね」
「何?……ハッ!?」
「フフフ」
私は気が付いてしまった。
カオリがずっと手に持っていた食パンをよく見てみると、お米を粉状まですりつぶし、それを食パンの形にして固めたものである、ということに。どうりで塗っていたジャムが黒かったわけだ。あれはジャムではなく、海苔の佃煮だったのか。どうりで磯の香りが漂ってくるわけだ。
「今更気が付いたのですね。食パン先生ともあろうお方が、ここまで気が付かないとは思いませんでした」
「どういうことだ?」
「バレてしまっては仕方ありません。そうです。私はオコメライス党の幹部、米田香織とは私のことです!」
「何? ではコムギとは姉妹ではなかったのか?」
「いえ。私とコムギは正真正銘の姉妹です。両親が離婚してしまい、離れ離れになりましたがね」
「ということは、私は騙されていたというわけか……」
「そうです。ここまで長時間歩かせていたのは、先生が持っているストックの食パンを無くならせるため! いい加減に尽きてしまったんじゃないですか?」
たしかに私の食パンは尽きてしまった。
そしてカオリ……いや、香織にはまだ手に持っている食パンに形をした米がある。
「食パンがなければ何もできないでしょう」
「ぐっ!」
「食パン先生! 覚悟!」
そう言って香織がは私に飛びかかってきた。
私には香織を止める食パンがもうない。食パンの袋を留めているプラスチックのアレの今日に限って持ち歩いていない。
絶体絶命だった。
香織の振りかざした拳が、私の顔に当たる瞬間のことだった。
拳と顔の間に割り込んできた、柔らかく芳醇な香りのする食パンが、致命傷となったであろう攻撃を和らげ、防いでくれたのだった。
その突如、どこからともなく飛んできた食パンに驚いた香織は、大きく一歩後退して叫んだ。
「誰だ!」
「オコメライス党! 食パン先生は倒させたりはしないわ!」
その声がした方を見てみると、そこにいたのは紛れもなく、私がよく知る、コムギ・ブレッドだったのだ。




