その2
リビングの椅子に座っていた老人は、紛れもなく私の師匠だった。
「師匠。どうしてこんなところに?」
「海道。いや、今は食パン先生か。そんなお前に助言を授けに来た」
「助言、ですか?」
どこか怪しい。
私の師匠は確かに老人だ。見た目も声も性格も、何もかもが師匠だ。
疑う余地は無いように思えるが、私には全てがまるっとバレバレだった。
「お前、師匠ではないな?」
「何をやややや藪かかかから棒にゅ」
「私にはまるっとお見通しだ。一体、どんなトリックを使ってここに侵入したんだ?」
「ふふふ。バレてしまっては仕方がない」
そう言って、私の師匠(偽)は、首の下あたりに手を入れると、皮膚かと思われたそれをべりべりとはがし始めた。そう。まるでドラマの特殊メイクのように。
そしてその下から出てきた顔は、僕も見たことのある顔だった。
「き、君は!! どうしてここに!?」
私は素直に驚いていた。
いくら師匠(偽)の老人がスカートを履いていたとはいえども、中の人間までは予想できなかった。しかし、今私の目の前にいるこの人物は、ここにいてはいけない人物だったのだ。
そう。それは、数か月前に亡くなったはずの、コムギ・ブレッドだったのである。
「コムギ! 君がどうして生きているんだ!?」
「ふふふ。驚くのも無理はないわ。私の姉、コムギ・ブレッドは死んでしまったのだから」
「姉?」
私は首を傾げた。
完全にコムギ・ブレッドの姿の人物が、コムギ・ブレッドのことを『姉』と呼んでいる。
「つまり、君は妹なのか?」
「さすがの推理ね。噂通りだわ。そう、私はコムギ・ブレッドの妹、カオリ・ブレッドよ」
そう名乗ったカオリは、いつの間にか先ほど焼きあがったトーストを、何気ない動きで取り、何気ない動きでバターを塗り、何気ない動きで一口で口の中に入れていた。
その一連の動作には全くの無駄がなく、パンパンになった口を見て初めて、私はトーストを食べていたと気づいたくらいであった。
よくバスケット選手で、ブロックにいけないほどの滑らかな動作をするシューターがいるが、それと似たようなものだと私は確信した。そのレベルの域に達しているのがカオリだった。
しかし。
その程度で私に勝ったと勝ち誇っているようでは、まだまだだ。
「なっ! いつのまに!? いつの間に食パンを食べ終えていたんですか!?」
「よく気が付いたな」
そう。私はこんなやりとりの中、一枚の食パンを食べ終えていた。
きっと口元にわざと残した、イチゴジャムを見て気が付いたのだろう。まぁ上出来だ。
「カオリ・ブレッド。君の実力は認めよう。ところで、どうして君は私の師匠に成り代わってまで訪ねてきたのかな? 普通にインターホンを押して訪ねてくれば良かったんじゃないか?」
「食パン先生の名は、前々から聞いていました。その腕前を見てみたかったのです。とんだ失礼をお許しください」
「私は食事のついでに話していただけだ」
「食パンのように心が広いですね」
「それで、どうして私を訪ねてきたのかな?」
「それは、数日前に遡ります。私の元に、一通の手紙が届きました。それは、姉のコムギからでした。コムギは、自分にもしものことがあった場合にと、あらかじめ任務の際には、私に手紙を出していたようです。毎回住所が書かれていなかったので届かなかったようですが、今回コムギの死が発覚し、住所不定のため返却され続けていた手紙が、私たち遺族の元へと届けられたのです」
「ほう」
私は食パンをゆっくりと食べながら頷いた。
「その手紙にはこう書かれていました。『親愛なるカオリ。私はきっともうこの世にはいないのでしょう。私の身に何かあった場合は、食パン先生を訪ねなさい。そうすれば、私の死についても聞くことができるでしょう。米』と」
「コムギ……」
私はその感動的に読まれた手紙の内容を聞いて、涙が止まらなかった。生まれて初めて、こんなにもしょっぱい食パンを食べた気がする。
「食パン先生。コムギの死の原因は、なんだったのでしょうか? そして、私と一緒に、オコメライス党を崩壊させるのを手伝ってほしいのです!」
そう熱弁するカオリの目には、少しばかりの涙が浮かんでいた。きっとさっきの朗読で、感情がこもりすぎてしまったのだろう。
「私は目の前で泣いている人を放ってはおけないたちでね。カオリ、君に協力させてもらおう」
「ありがとうございます!」
そう言うと、カオリは私に深々と頭を下げた。
パンの香り




