さいごのその5
「あなたが二人の母親……でも死んだはずじゃ?」
「残念でしたね。トリックですよ」
そのセリフを聞いて、私はますます二人の母親なのだということを実感した。
「とにかく食パン先生。細かいことは置いておいて、今は麺類団を徹底的に叩き潰しましょう」
「そうですね」
「た、叩き潰すだとぉ!? ふ、ふんっ! 私がやられたところで、まだ第二、第三の麺類団が貴様らの前に立ちはだかることだろう!」
「それはどうかしら?」
どこか余裕のある笑みを見せ、徹子は言った。
きっと社長もわかっていたのだろう。これだけの人数がこの社長室へと侵入し、そして部下として一番の側近だった女に全員が従っている。それがどういうことなのか。
「各地で麺類団の幹部たちは私たちの仲間にやられていることでしょう」
「ぐっ……」
まさかこれほどまでにあっさりと麺類団を壊滅へと導いてしまうとは思わなかった。いや、あっさりではないのだろう。じっくりと綿密に練られた計画があってこその成功なのだろう。そうでなければこの状況は信じ難い。
私は、周りの人間が全員仲間だということがわかったこともあって、少し安心し、息をつくために胸元から食パンを取り出そうとした。
その時、社長が吠えた。
「麺類団が壊滅? フフフ、何を言っているんだ? まだ私が残っているではないか。最後の一人になろうとも、一人でも残っている限り、麺類団は存続し続ける!」
「無駄よ。社長一人ではなにもすることができません」
「それはどうかな?」
そう言って座っていたソファに手を突っ込み、そこから社長が取り出したのは、麺棒と大きなまな板、それに一晩寝かせたであろう丸いうどんの生地であった。よく見ると、社長が座っていたソファの中には冷蔵庫が隠されていて、その中から取り出したのがわかる。
そして取り出したまな板を置いて、そこに白い粉を素早く巻き、そこへ生地をドンッと置く。
「さぁ。ここからが本番だ」
社長は麺棒を使って、素早くかつ丁寧に、目にもとまらぬ速さで伸ばしていく。伸ばした生地を器用に丸め、手で細く長くしていく。
そう。うどんの麺を作っているのだ。
素早い手つきで伸ばされた麺は、長く長くなっていった。
そしてあらかじめ沸かしておいた鍋へと放り込むと、さっと茹でた。
あっという間にできたうどん。
社長の意味不明な行動に、周りにいた人間はギャラリーへなっており、見ていることしかできなかった。下手に手を出そうものならば、何をされるかわかったものではない。
「準備は整った。これから私が社長の地位にいる理由を教えよう」
不敵に笑った社長は、氷水の張った別の鍋の中にうどんだけを放り込むと、素早く冷やして、それを周りの人間へと投げつける。
ある程度の太さの一本のうどんは、巨大な蛇を思わせるかのような動きを見せ、そのうどんに近づくものの身動きを封じ、絡みついていった。
「何事ですか! そんなうどん、早く切ってしまいなさい!」
「それは無駄な行為だ」
「ダメです! 切れません!」
「な、なんですって!?」
「そういうことか。ツルツルしこしこのうどんは、歯ごたえがあると言われる。その歯ごたえを極限まで強化し、ツルツルも極限まで極めることによって、刃物の通りを悪くする」
「その通りだ。さすが食パン先生。博学ですなぁ」
職人の手つきでうどんを操り、周りの人間を無力化していく社長。そして徹子もそのうどんによって身動きが取れなくなってしまっている。
残るは私のみ。
「さぁお待たせしました、食パン先生。お客様のあなたを最後に回してあげましたよ。好きな食べ物は最後に食べる派なんですよぉ!!」
そう叫んだ社長は、私へ向かってうどんを投げつけた。
「食パン先生!」
徹子の声が聞こえた。
だが時すでに遅し。
うどんは私の身体に絡みついてきた。
身動きの取れなくなる身体。身体を冷たいものに覆われていく。
きっと誰もがもう終わりを覚悟したことだろう。
だがしかし、私だけは笑みを浮かべていた。
「な、なぜ笑っている! この状況で何を笑っている!」
「なぜ笑っているかだって? そんなことは決まっている。ヒーローが勝つときは、常に笑顔で勝つものだからだ!」
「勝つだと? 面白い。ここから勝てるというならやってもらおうじゃないか。食パン先生」
「ではお望み通りに」
私は腕に力を入れてうどんを引きちぎろうと試みた。
「そんな力ではそのツルツルしこしこ麺はちぎれな」
「それはどうかな?」
うどんは、私が力を入れると簡単にちぎれた。
「な、なんだとぉ!?」
声を上げたのは社長だけだったが、周りの人間も驚いているように見えた。
無理もない。誰もがチャレンジし、ちぎれなかったうどんが、目の前でちぎれたのだから。
「食パン先生! 貴様、何をした!」
「簡単なことですよ。うどんを伸ばすのに夢中になっていたあなたの目を盗んで、細かくしたパンくずをこの麺に入れさせてもらったんです。さすがに全部に入れはできなかったので、最後の最後、ちょうど私の身体に巻き付いている長さくらいだけですけどね。パンくずをまぶしたことによって水分が失われ、黄金比で作られているであろうその麺の比率が崩れ、こうしてちぎれたというわけです」
目を丸くして驚く社長。
「とはいえ、あなたが好きなものを最後に食べる派だという情報を知っていなければ、この作戦は成功しませんでしたけどね」
「情報だと? そんな情報どこから……」
「香織ですよ。香織のノートに書いてあったんです。赤ペンではなく、青ペンで書かれてました。きっと豆知識程度で書いておいたものなのでしょう。頭に入れておいて正解でした」
無駄知識も、こういう場面で使うことがあるならば無駄知識ではなくなった。これからは無駄知識ではなく、予備知識と呼ばせてもらおうと、心の中で思った。
すでに戦意を失いかけている社長へと近づいた。
「あなたはいろいろな人を困らせてきました。パン派、お米派。その人たちへの罪を償えとは言いません。ただ、この世界にはいろいろな人間がいる。そして、いろいろな食文化がある。その食文化を邪魔するのは許せません。食パン先生として……いえ、世界中の食文化の代表として、言わせてもらいます。これ以上、世界中の食文化に手を出すのはやめてください」
その社長が思っていたよりも優しい私の言葉に、社長の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
こうして全ては終わった。
麺類団はおとなしく解散し、オコメライス党も解体となった。
パン派とお米派の潜入捜査員たちは、また日々の生活に戻っていった。別れ際に一悶着あったが、明日からまた主食争いを再開しようということで落ち着き、現地での解散となった。
そして全ては終わり、また新たな日常へと戻っていく。
私はいつものように食パンをトースターへと入れ、その間に教師の制服であるスーツへ着替える。
ちょうど良いタイミングで焼きあがったトーストにいやらしくバターを塗り、朝食を食べようとした。
ピンポンピンポンピンポンピンポン。
我が家のインターホンがけたたましく鳴り響いた。ドアには『食パン以外のセールスお断り』と『オコメライス党お断り』のシールが貼られているのだが、それでも鳴らし続けられるチャイム。
私は心の中でため息をつき、インターホンをBGMにしてゆっくりとよく噛んでトーストを食べ、少し暖めミルクをお腹を下さないようにゆっくりと飲んだ。
そしてインターホンの音が鳴り響く廊下を進み、ドアを開けた。
「食パン先生! 助けてください!」
私の日常は、食パンのように美しく、とはいかないようだった。
今日も私は、世界の食パンの平和を守るために誰かを助けることになるようだ。
「まぁ食パンを食べて落ち着きなさい」
私は来客の口に食パンを詰め込んだ。
おしまい。
これにて完結です。




