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27 全ては徐々に



 父の仕事ぶりに気が付いたのは十一のときだった、と彼は言った。


「先代公爵についてはどのくらい知っている? ……そうか。では、そこから話すとしよう」


 公爵の父、つまりは先代公爵は、人徳家の評判厚い人だったそうだ。

 大貴族らしい鷹揚さをたっぷり持ち合わせていたとでも言えばいいか。怒ったところも焦ったところもほとんど見せることはなく、一方で公爵という高い地位にもかかわらず、かなり気さくな人でもあったという。


「子爵家が相手の取引にも気安いとか、そういう話でもない。時代柄もあるが、公爵領で行われる小さな会合や集会、催しにも積極的に顔を出した。最初の頃はもちろん、訪問された方がだいぶ気を遣ってしまったようだが、このあたりも人徳だろうな。段々と歓迎されるようになり、領民からの信頼も人気もとても厚い人だった」


 しかし、と彼は続ける。

 言いにくそうに、けれどはっきりと、


「貴族に生まれた者が、全てその生業に向いているわけではない。父は、経済に疎くてな」


 というか、経済に限らなかったらしい。

 実務全般について、かなり暗い人だったそうだ。返事も愛想も人並み以上のものがあるけれど、お金回りはもちろんのこと、様々な段取りや見通しも全然。早熟な公爵は十一の時点で公爵家の仕事の資料を確認し、その杜撰さに眩暈を覚えたらしい。


「個人事業ならそれでも構わんかもしれんが、領主は自分が死した後の未来の領民まで見据えて仕事をせねばならん。とにかく人望だけは厚い人だったから、部下がその分奮闘してはいたが、俺以外にもこのことに気付いてしまった人がいた」


 公爵から見て、母方の祖父だそうだ。

 中央貴族の中でも有数の力を持つ伯爵家のご隠居だそうだ。潔く政界から退いて久しいけれど、嫁いでいった娘からの相談を受け、思わず公爵家の状態を確認してしまった。そして、頭を抱えた。


「これでは口を出したくなって仕方がないが、公爵家の動きに別の家の者が過剰に干渉するのは望ましくないと。そこで俺に目を付けて、彼はひそかに言った。さっさと一人前になって、お前が公爵家の舵取りをすべきだと」


 そういうわけで、さっさと一人前になったそうだ。

 聞けば、成人を迎える前から随分と公爵は家の主要な仕事を引き受けていたそうである。ここで子に対して妙に対抗心を出すでもないのが先代公爵の良いところでもあれば厄介なところでもあり、「いやあ鳶が鷹とはこのことだ」「公爵領の未来も明るい」と気を良くして、さっさと引退してしまった。


 そうして生まれたのが、若き黒獅子、漆黒公爵だそうだ。


「当然、実務の得意を見込まれての代替わりだ。仕事は上手くいった」


 仕事は、と訊ねれば、彼は首を横に振った。

 人望の方は、そう上手く引き継げなかったと。


「あちらが立てばこちらが立たずだな。俺には、父のような愛嬌も社交性もなかった。もちろん表立って言われたわけではないが、こう評価されているのだって知っているよ。『先代と違って当代の公爵は気難しい』……これでも、時間を作って方々に顔を出すようにはしているんだがな。父が実務を苦手にしていたのと同じだ。なかなか、自分の気持ちだけではどうにもならないこともある」


 遺産を食いつぶしているような気分だった、と公爵は言った。


 信頼や人望。父ができなかったことをするつもりが、父が残したそういうものを、燃料のように使い潰しているのではないかと。自分のしていることは果たして公爵家の、公爵領のためになっているのかと。そう悩むようになった、と。


「そこに、君が現れた」


 聖女に選ばれたくせに、歌もダンスも大の下手。

 最初は、自分を見ているような気分だったという。


「結局俺は単なる実務家に過ぎず、領主としての資質が薄い人間なのだと思っていた。だから君に初めて会ってあの歌を聴いたとき――すまん、少し不躾な言い方になるが」


 いいですよ、と私は言う。

 では、ともう一度謝ってから彼は、


「いかにも、自分が後見人になるような聖女だなと思った」


 肝心なことが全くできない聖女。

 それが、最初のイメージなのだと言った。


「けれど、君は諦めなかった。歌もダンスも、一番苦手なことだろうに、決して努力を怠らず、一定の形に仕上げてみせた。君は俺の忙しくしていることを気にしていたが、俺の方もそうだったよ。毎日練習の成果が出ているのを見ては、感心していた」


 一拍。

 彼は、


「もしかすると、全ては徐々に良くなっていくのかもしれないと思えた」

 そう言って、微笑んだ。


「テーブルマナーを完璧にこなしてみせたときは、ここまで重なるところがあるとは思わなかったな。決定的なこと以外はそつなくこなす。決定的な部分だけが足りていない。けれど、君はそれも補った。練習を積み重ね、改善した。俺が諦めていたことを、君は目の前でやってみせた」


 多分、と彼は呟く。

 多くの場合、それはまやかしなのだと。


「努力したって上手くいかないことはある。一生できないままのことだってある。全ての人が君のようにできるわけではない。頭ではそのことはわかっている。しかし、心ではそうではなかったんだろうな。だから君が初めてのステージで転びそうになったとき、俺は無意識のうちに叫んでいた。君の上達を見るために、何度もあの音楽ホールに通った。そのうち、考えるようになった。俺にとって君は、何なんだろうと。

 そしてその言葉を、今日見つけた」


 君にとって俺は、


「『推し』と言うらしい。知っていたか?」


 そんな言葉を、彼は図書館から借り出した辞書を片手に教えてくれた。



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