25 また、そのさま
礼拝堂にそのまま居座る度胸はなくて、私はふらふらと中庭の方に出てきていた。
空は青い。昼の盛りを過ぎていくと、少しずつ涼しい風が吹くようになってきた。その風に額を当てて、私は考える。
今のは、お告げみたいなものだったんじゃないだろうか。
ものすごく好意的に捉えるとしたなら。
あの夜に学校の屋上で光を当てられて以来、私は改めて「私って聖女なんだなあ」という実感を得ている。だって、普通はない。礼拝堂に行ったら女神様がそのまま現れて、何かしらを言ってすうっと消えていくなんて場面に遭遇することは。それともみんな、本当はこういうことが普通にあるのに私には黙ってたの? こんなに人に話したくなるようなことなかなかない……けど、確かに何となく、他言するのは憚られることな気もする。
もしかしたら私も、一生誰にも言わずに秘めておくかもしれない。
そうなると、問題が出てくる。
『好き避け』って、何?
女神様が言っていた言葉だから、何かしら重大な意味があるのかもしれない。アダンのあれはね、好き避けだよ。文脈からしてあからさまに恋愛に関係する言葉なようにも思えるけれど、実際のところどうなのか。もっと崇高な意味のある言葉なのか。
少なくとも、私は知らない。
知る必要がある。
かと言って、人に訊く気にもならない。
だって、もしもそれがとんでもない言葉だったらどうしよう。恋愛関係で、たとえばすごく過激な言葉だったくらいならまだいい。問題は、恋愛じゃない方面での過激な言葉だった場合だ。
何かこう、貴族社会だけで通じるタブーのようなものに触れてしまったらと思うと恐ろしい。ちょっと気になって訊いただけなのに、「その言葉をどこで聞いた」なんて大事になるかもしれない。そこで「女神様から聞きました」なんて答えたものなら、一体どうなることか。
他の聖女が女神様の声を聞いたことがあるなんて話は、私は知らない。
となるとこれはすごく重大な事態で、だから、ここから先も慎重に進めなくちゃ。
そういうわけで、次に行く場所は決まった。
図書館だ。
王宮の中には、街中にあるようなものは大抵が揃っている。それは図書館も例外じゃない。場所だけは知っていたので、早速そこに向かってみる。
意外と人がいた。
多分、部屋の大きさ自体は礼拝堂よりも大きいはずだけど、書架がいくつも並んでいるからパッと見て「広いな」という気はしない。入口に案内がある。それを見たら、すぐにそこにいる人たちが誰なのかわかった。官吏の方々だ。仕事の調べものの場所として、ここを活用しているらしい。
彼らとすれ違いながら、軽く挨拶をする。
もう私が王宮の中にいるということに慣れたのか、それとも休みの時間をあまり煩わせないようにと気遣ってくれたのか。誰にも話しかけられることなく、そのまま奥に進めた。
奥には、様々な文学作品や思想書が並んでいる。
こういうのも、貴族社会でやっていくには必須のものなんだろう。単純に、国内外の文化の動向くらいは掴めていないと政治はやりづらいのだろうし。そんなことを考えながら私が目を留めたのは、洋書の棚の傍に置いてある辞書群だ。これもやっぱり、官吏の皆さんに有効活用されているらしい。他の本よりも一層使い込まれた形跡がある。
王国国語辞典。
『好き避け』で引いた。
見つからない。
私は、あんまり慌てはしなかった。そもそも何の聞き覚えもない時点で、現代王国語ではない可能性も考えていたから。次は古語。見つからない。そうなると長期戦を覚悟しなくちゃならない。私は閲覧机の上に幾冊かの重たい外国語辞典を運ぶ。学校で真面目に勉強してきてよかったと、似たような音で読むはずの綴りの当たりを付けて、一つ一つ探していく。
日が暮れかけている。
見つからなかった。
教会用語辞典を閉じて、私は困っている。めぼしいものは結構調べ尽くしてしまった。こうなると後は、もう全然文字すらわからないような言語の辞典を捲るほかない。
流石に人に訊いた方がいいか。
それとも明日もまた調べに来ようか。
そう思いながら、教会用語辞典を棚に戻そうとしたときのことだ。
「……ん」
学校では図書室の整頓作業もやっていたから、こういうことってあるよね、というのが最初の感想だった。
一番奥に、薄い冊子のようなものが隠れていた。多分、他の辞書が分厚いものだらけだし、比較的出し入れが頻繁な棚だから紛れてしまったのだろう。
引っ張り出す。
『王国若者言葉辞典~市井編~』
まさかね、と思いながら開いた。
『【好き避け】
好きな相手に対して、内心の照れや羞恥心のあまり、過剰にそっけない態度を取ってしまうこと。また、そのさま。〈主に恋愛の文脈において用いられる〉』
あった。
しばらくの間、動けなくなるくらいの衝撃を受けた。
しかもそのとき、がたりと後ろで音がした。
「あ、」
「……奇遇だな」
そこにいた。
一冊の辞書を持って、今、私が目の前に立つその棚に返しにきたらしい公爵様が。




