14 引継ぎ
「まず最初に、私は君に謝らなくちゃいけないんだなあ」
王宮楽団長にして先代聖女と名乗ったネアネイラさん。
彼女は、やっぱりうっすらと笑いながらピアノの前に腰掛けた。
「昨日、転びそうになっちゃったじゃないか」
「ええ、はい」
「あれ、私のせいなんだよね。本当に申し訳ない」
そう言って弾き出したのは、昨日歌ったあの曲だった。
私はまだ、これがどういう状況なのかよくわかっていない。ただ黙って、「まあ座って」と勧められた椅子に腰を下ろして、その曲に耳を澄ます。
二回、演奏されたと思う。
「今ので違いはわかった?」
わかるわけがない。いいえと素直に答えれば、そうかそうか、とネアネイラさんは頷いて、
「それじゃあ楽譜は……というか、お勉強は得意かな」
「苦手ではありません」
「そっか。じゃあそうしよう」
と、譜面台から二枚の紙を持ってくる。隣に座って、その紙を私の目の前に掲げる。
「最初に弾いたのが左の譜面で、次が右の譜面。ほとんど同じなんだけど、違いはわかるかな」
「右の方に、この記号が足されていますね」
「そう、これは休符。こっちはね、本来四拍子として作られた曲を弄って五拍子に改造してあるんだよ。ちなみに、君が昨日踊っていたのはどっちなのかわかるかな」
もちろん、私がそんなものを理解できているはずがない。
だから単純に、話の流れを読んだ。
「こっちの五拍子の方なんですか」
「そう。今まで君が公爵領で練習してきたのは左の四拍子の方。だから昨日のハプニングの原因は、伴奏を担当した私のミスだ」
すまなかった、と頭を下げて謝られるから、私は恐縮してしまう。
それに、謝罪よりも気になることがある。
「でも、私はこっちの方が……」
「歌いやすかった?」
はい、と頷けば、ようやく本題とばかりに彼女は立ち上がる。今度は私も一緒にだろうと、その後をついていく。ピアノの傍。
「君のリズムは変拍子だと思ったんだよ」
そう言って、ネアネイラさんはまたピアノを鳴らした。
私はその音を数える。一、二。一、二、
三。
「これは単純な五拍子だけど、君の歌を聴いているといまいちリズムに乗り切れていないように思った。でも、動きそれ自体を見ると運動が苦手ってわけでもなさそうだ。だよね?」
「はい。運動自体は別に」
「だから多分、一般的にこの国で普及している音楽と上手く拍を合わせられていないんだろうなと思ったんだ。それで実は、君が歌っている最中にちょっとずつ調整した。呼吸や足の動きを見ながら、こうした方が次の音にノリやすいだろうとか、そういう余計なおせっかいをしちゃったわけだね」
それで、謎が解けた。
昨日、妙に歌いやすいと思っていた理由。途中で伴奏がズレているんじゃないかと自分が考え込んでしまったことと、元に戻そうとしてかえっておかしくなってしまったことの原因も。
つまり、彼女が私のために調節してくれて、けれど私はそれに気付かずリズムを戻そうとして、衝突してしまったのだ。
事前に話を通しておくべきだった、とネアネイラさんが言う。とんでもない、と今更ながらに私は言い返す。
「助かりました。私、実は歌がものすごく苦手で」
「うん。そうだろうなと思った。このくらいの単純な四拍子で違和感が出るようだと、この国のほとんどの音楽のリズムが合わなかっただろう」
「こういうのって、何か原因があるんでしょうか」
「多分、幼少期にこういう変拍子の曲を聴いて育ったんじゃないかな。たとえばお身内に外国出身の――ああいや、答えなくていいよ。ルーツを探ろうってわけじゃない。ただ、そういう人が変わった子守唄を歌っていて、そのリズムが身体に染みついてしまったとかは、理屈としてわかりやすいかもね。何にでも理屈がくっつくわけじゃないけどさ」
それでふと私は、祖母の父、つまり私から見て曽祖父に当たる人が、かつては旅人だったという話を思い出した。私が生まれたときにはもう亡くなっていたから具体的にどんな人なのかは知らないけれど、もしかしたら、本当にネアネイラさんの言う通りなのかもしれない。
「じゃあ、」
そして、ここまで言い当てられると、どうしても言いたくなることがある。
「もしかして私、それさえ直れば歌が上手くなるんでしょうか」
「直すより、曲を合わせちゃった方が早いと思うよ」
あっけらかんと、大したことではないというように、ネアネイラさんは言った。
「色々やってみて、君がノリやすいリズムを見つけよう。それに合わせて曲を作ってしまえばいい。後は声域や声量、リズムにかかわらない部分はレッスンをしながらどのくらいまで伸ばせそうかを見る」
そこまで言ってから、ふと彼女は、
「そうだ。その前に確認しておこうかな。目標はあるかな」
「目標、ですか」
「そう。あのリズム感で一曲まとめてきたってことは、公爵領にいた時点で相当努力したんだろうなと思って話を進めちゃったんだけど、もし『そんなに練習したくない』『何となく形になっていればいい』っていうんだったら、余計なお世話になってしまうから」
そんな、ともちろん私は反対する。
「できるだけ良いものにできればと思っています。たくさんの人が関わってくださることですから、私も全力を尽くしたいです」
はは、とネアネイラさんは笑った。
「なるほど、イメージ通りの努力家だな。よし、それなら私も楽団長として、聖女の先輩として、力を尽くさせてもらおう。熱烈なファンもすでについているみたいだし、その期待に応えないとね」
はい、と元気よく返事しそうになった。
その前に、ネアネイラさんの視線の向きが、微妙に私から離れたことに気が付いた。
その先を追う。
人がいた。
「こ、」
公爵。
が、開け放たれた扉の向こうに立っていて、目が合うとゴホンと咳払いをする。
固まる私に、ネアネイラさんは言った。
「練習より先に、ファンサービスからかな。どうぞ遠慮なく」
いってらっしゃい、と。




