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11 いざ王宮



 悩んでいる時間は、そんなにない。

 もう、出発の朝だからだ。


 迎えの馬車がもうすぐ来る。見送りの人たちがもう近くの通りに集まっていて、朝だというのにがやがやと賑やかな声がする。今日ばかりはみんな仕事も何もかも抜け出して、私が登場するのを待っている。


 その私は、すっかり身支度を整え終えている。

 マーガレットの勧めを聞きながら揃えた、ちょっと上品で聖女らしさがあるよそ行きの服に身を包んで、近くのヘアカットの店主が生涯ただ一度と言わんばかりの気合で毛先までつやつやに整えてくれた髪を肩の先まで流して、靴だって新品で、準備は万端。


 でも、まだ部屋の中にいる。

 ベッドサイドの引き出しを開けたり閉めたりして、それと向き合っている。


 ペンダント。

 昔々、本当に信じられないほど昔に、名前も知らない男の子に貰ったペンダント。


 絶対、こんなの持っていくべきじゃない。


 でも、うっかりこれまでの人生、大事なときはこれを握って落ち着いたりしてきてしまったものだから、いざというときにこれがなくてちょっと不安になる自分も想像がつく。


 天秤にかけた。

 いつまで経ってもそんな昔のものを大事にしている自分を「ちょっとどうなの」と思う気持ちと、国を挙げての儀式に望むにあたって万全を期すことの大切さ。


 ペンダントを手に取る。


 家の外に出る。


 歓声に迎えられた。聖女様、と呼ぶ声がする。先生いってらっしゃいと振られる手がある。その一つ一つに答えながら、ようやくの思いで馬車の前まで着く。


「人気者だな」

 と、その馬車の前で待つ人は言った。


 不思議なものだと思った。こんなことでもなければ、私とこの人が並んでいて私の方が注目されることなんてなかっただろう。彼は手を差し出す。私はその手を取る。


「よろしくお願いします」

「こちらこそ」


 そうして私は、街を出た。




 道中は、特に何事もなかったと言ってしまっていいと思う。

 普通の旅とは全く違うからだ。予定はあらかじめ精査されて、泊まる宿泊まる宿が豪華にもほどがある。そのベッドの快適なことと言ったら、初めて行くような長い距離を渡ってきたというのに、毎朝の目覚めが普通の平日より良かったくらいだ。


 もちろん公爵と顔を合わせて歌の練習もしたけれど、それはいつものとおり。

 拍子抜けするほどあっさりと、『お披露目』の舞台には到着した。


 問題はそこからだ。




「えっ」

 思わず、素の声を出してしまった。


 それは朝のことだった。すでに王宮の中にいるけれど、まだ私はその建物の素晴らしさに驚くということをしていない。王都に到着したもう日が沈みかけていて、王宮の敷地に入ったときにはすでに夜だったからだ。こうなると夜灯の整列と色合いくらいしか見るところはなくて、そのまま眠って起床して、すぐに一本道で案内されてしまえば、しみじみ周囲を鑑賞する時間もない。


 案内された先は、音楽ホールだった。

 眩暈がするほど大きな。


「こ、ここでやるんですか?」

「そうだ」


 思わず、わかり切ったことを訊いてしまった。


 そうじゃなければ何のためにここまで連れてこられたのか。あらかじめ聞いている。私の歌の出来はやっぱりちょっとあれなところがあるし、もったいぶって期待をかけられるのもつらいだろうから、到着したらさっさと披露してしまおう。体調に問題がなければ到着して次の日にはやってしまおう。それならかえってみっちり練習する時間も取れるし、全体的には君の益になるはずだ。


 納得して、じゃあそういうことにしてくださいと私は答えた。


「私が?」

「君が」


 無理です、と言いたくなっている。

 いやこんなところ無理です。考えてみてください、と言いたくなる。確かに、一曲は歌えるようになった。我ながら奇跡的な進歩だと思う。苦手なことを頑張る力もちゃんとあったんだと自分で驚いた。根気強く教えてくれた公爵にも感謝している。


 いやでも、と言いたい。

 こんな場所でやるのは、いくらなんでも分不相応すぎませんか。


 それでも私は、その言葉を呑み込んだ。わかっていたからだ。最終的には私は、これよりもずっと大きなステージに立つことになる。こんなことでとやかく言っていられない。あらかじめ覚悟しておくべきだった。準備する期間が短かったおかげで心労が溜まらずに済んだことを喜ぶしかない。受け入れるしかない。湯浴みをして、化粧をして、ドレスに身を包んで、ステージに送り出されるしかない。


 聴衆がいる。

 小さな村なら一つくらい入ってしまうんじゃないかと思わせるくらいの、大きな会場に。


 ものすごく偉い人たちなんだろうということも、簡単に想像がつく。だって、公爵が一番良い場所にいないから。公爵よりも目立つ場所に座る人がいるとしたら恐らく王族で、その隣に、公爵は座っているから。


「準備ができたら始めましょう」


 伴奏を務めてくれる楽団の人が、声を掛けてくれる。

 はい、と私は蚊の鳴くような声で答える。お願いします、と力なく伝える。


 鍵盤が鳴る。


 私は口を開く。



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