29 旅の始まり
さらにもう一日買物に費やしてから――カイエたちは王都を出発した。
四頭の青黒い毛並みの馬が引く黒鉄の大型馬車が、御者も無しで突き進む姿は――当然注目の的だった。
街道を行き交う人々はその姿を目にすると、恐れと驚きで立ち止まる。
そんな人々の間を――黒鉄の馬車は、他の馬車の倍ほどの速度で颯爽と駆け抜けて行く。
唯それだけで、王国中に噂が広まるほどの事件だったが――乗っている当人たちは、もっと別のことに気を取られていた。
「ホント……何なのよ、この馬車は?」
アリスはソファーにもたれ掛かりながら、呆れた顔をしていた。
目の前のローテーブルには、エストが入れてくれた紅茶が置かれているが――湯気を立てるカップは、少しも揺れていない。
聖王国の王都に近い街道と言っても、勿論舗装されている訳もなく、単に石を敷き詰めただけの砂利道だ。
そんな場所を固い車輪で走っている筈なのに――車体は全く揺れていなかった。
「まあ、車輪は飾りみたいなものだからな。浮遊魔法を常時発動して地面から少し浮いている状態だから、振動がないのは当然だろう?」
しかも、浮いているだけでは余りにも異様に見えるから、魔法で車輪を回転させながら風の魔法を併用して、敢えて土煙を立てている。
音の方は、馬の蹄が砂利道を踏みしめる騒音で誤魔化しているが――その音すら車内には聞こえなかった。
「防音魔法も常時発動しているのか? しかし、これでは不測の事態が起きたときに、気づくのが遅れるだろう?」
アリスの隣に座るエストが、当然の疑問を口にする。
「いや、索敵魔法と防壁を常に展開しているし、何かあれば止まれと偽造馬に命令してあるから、何の問題もないよ」
向かいに座るカイエは、何でもないことのように応えるが――今度はエストが唖然とする番だった。
「それだけの魔力を……この馬車はどうやって賄っているんだ?」
温度調整に、浮遊、静寂、索敵、防壁……一つ一つは中級以下の魔法だが――その全てを常時発動させるには、膨大な魔力が必要だった。
「別に、そんなに驚くことでもないだろう? 必要な魔力を発動できる結晶体を使ってるってだけの話だ」
結晶体とは――地下迷宮で怪物を倒すことで得られる物質だ。
強力な怪物の結晶体ほど強い魔力を帯びており、そこから魔力を半永久的に抽出することができるが――
怪物の魔力の大半は、結晶体ではなく地下迷宮から供給されており、結晶体が持つ魔力は、全体の五パーセントにも満たないと言われている。
つまりは――黒鉄の馬車が消費するだけの魔力を結晶体で賄うには、ラスボスクラスの怪物数体分が必要だということだ。
「まあ、アルペリオ大迷宮の最下層で、そのクラスの怪物を散々倒しているから、カイエなら簡単に手に入れられることは解っているが……普通は希少結晶体を、そんなことに使わないだろう?」
強力な怪物から得られる希少な結晶体が高値で取引されるの理由は――魔力を抽出できるからではないのだ。
希少結晶体は使用者が逆に魔力を供給することで――増幅装置の役割を果たして、瞬間的に強大な魔力を発動する性質を持つ。
だから、大抵は魔法の武器や兵器の部品として使われるのだ。
カイエの使い方は――エストに言わせれば、ただの無駄遣いだ。
快適さのために、強力な武器を作ることができるアイテムを魔力電池代わりに使うなど、エストの感覚ではあり得なかった。
「でも、エスト……気持ち良いってことは、すごく重要なことだと思うけどな?」
エストとはアリスを挟んで反対側で――エマはソファーの背もたれ倒して、踏ん反り返るような格好をしていた。
「こんなに涼しく旅ができるなんて……なんか幸せな気分だよ!」
「あのねえ、エマ! いい加減に、そのだらしない恰好は――」
アリスが文句を言い掛けるが――
「そうよね……私は希少結晶体を武器なんかに使うよりも、カイエの使い方の方が、ずっと素敵だと思うわ」
さきほどからローズは、当然のようにカイエの隣にピタリと身を寄せていた。
アリスが不機嫌な理由の半分は、これが原因だった。
「エストも……少し難しく考え過ぎじゃない? そんなことよりも、旅を楽しみましょう?」
そう言いながらも、ローズはうっとりした目で、幸せそうにカイエの横顔を眺めている。
(これじゃ旅行を楽しむと言うよりも……ローズの家にいるのと大差ないな?)
エストはそんなことを考えながら――心のどこかで、カイエの隣に座るローズが羨ましいと思っていた。
そんな風に、いつもと変わり映えのしない時間が過ぎていき――
午後も半ばという頃になって、突然車内に警告音が鳴り響いた。
「……馬車の索敵に何か引っかかったな?」
カイエは自身の索敵魔法を発動させる。
勇者パーティーの面々も一瞬で本来の自分に戻っており、各々が索敵や気配感知を発動させて、周囲一帯を伺っていた。
「街道の前方だ……隊商が襲われているぞ!」
エストは『千里眼』の魔法を発動しており、盗賊らしき集団に襲われる馬車の映像が映し出される。
「エスト! 『飛行』と『加速』をお願い!」
「私も!」
その瞬間――ローズとエマが馬車を飛び出していた。
いつものことだと、エストは二人に遠隔で魔法を掛けると、自身も『飛行』を発動させて、街道の前方へと飛んでいく。
このときアリスは――すでに馬車から消えていた。
地下迷宮では使うことができなかった、彼女の特殊能力を発動させたのだ。
「なるほどね……これじゃ、俺も傍観している訳にはいかないな?」
カイエは強かに笑うと――馬車から消失した。




