第88話 ヴァレリア負傷。
◆◆◆
玉座の上で両手を突き上げ、うんと伸びをする。
今日も謁見者の対応が終わった。
柱のあいだから見える空は、すっかり綺麗な茜色。
もうそれだけで気持ちがいい。
いつもならテラスに出て景色を眺めたり私室で読書をしたりしながらディナーまでの時間を過ごすのだが、今日に限ってヨシュアが「陛下、少々、お時間をいただいてもよろしいですか?」と声を掛けてきた。
「なんぞ話か?」
「はい。会議室までお越しいただきたく存じます」
「む。ここじゃといかんのか?」
「デリケートな話題でございまして」
「聞き耳を立てる者などおらんぞ?」
「とりあえず参りましょう」
連れ出されることとなった。
階下に足を運び、少人数用の会議室に入った。
自分にとっては背の高い椅子に、スフィーダはよいしょと腰掛ける。
小さな石製のテーブルの向こうにはヨシュアが座った。
「して、どういった内容なのじゃ?」
ヨシュアは長い前髪を右手で掻き上げた。
真面目な顔つきになったように映る。
最近、目にすることはなかった珍しい表情だ。
「我が国の南東に位置する国家、すなわちハイペリオン共和国についてなのですが」
「ん? ハイペリオンになにかあったのか? ……って、ちょ、ちょっと待て」
ハイペリオンとの国境沿いにはフォトンの部隊が展開しているはずだ。
彼の身になにかあったのだろうか。
たとえば、かの国が領土を侵犯してきたため、交戦状態に入ったとか。
そう考えると、途端にいてもたってもいられなくなるスフィーダである。
「大体、お察しの通りかと。詳細までお話しすると驚かれることでしょうが」
「その詳細とやらを、とっとと話せ」
「領土を侵したのは赤備え、すなわち、曙光の兵でございます」
「しょ、曙光じゃと!?」
「ヴァレリア大尉より、ハイペリオンがどこかの国から飛空艇を借り受けたらしいとの報告を受けたことは、記憶に新しいかと思います。やはり貸しつけたのは曙光だったということです。曙光がハイペリオンの後ろ盾になっているのでございますよ。そして」
「そ、そして?」
「こたびの相手。それはリヒャルト・クロニクルでございます」
びっくりして、いよいよ目を見開いたスフィーダである。
「あのキザったらしいアホ将軍は、また自ら現場に出張ってきよったのか」
「陛下もご存じの通り、クロニクルはフォトンのことを買っています」
「奴からすれば、僥倖じゃったということか?」
「そうでしょうね。まさか会えるとは思っていなかったはずです」
「して、これからどうするのじゃ?」
「私は終わったことを報告しているのでございますよ」
「どどっ、どういうことじゃ?」
ここでヨシュアはにこりと笑い。
「陛下、まずは落ち着いてください」
「じゃ、じゃったら、落ち着けるような話をしてくれ」
「クロニクルの領土侵犯は三日前のことでございます」
「へっ? 三日前?」
「はい。ですから、終わったことと申し上げました」
「どうして報告を遅らせたのかなどとはのたまわん。現状を教えてもらいたい」
「問題の国境線の警備を分厚くしました。多くの兵を待機させています」
「フォトンの部隊がいるのにか?」
「彼らは撤退させました」
「撤退? なぜじゃ? その理由はなんじゃ?」
「ヴァレリア大尉が負傷したためです」
「なん、じゃと……?」
そんな……。
あのヴァレリアが負傷……?
スフィーダは一瞬でカッとなり、目を吊り上げ、肩を怒らせた。
「誰じゃ! リヒャルトめがやったのか!」
「陛下、お気を静めてくださいませ」
「ゆるさぬ! ゆるさぬぞ!」
「陛下」
不意にヨシュアが手を伸ばしてきた。
そして、スフィーダの左の頬を軽くつねった。
……怒りがしぼんだ。
一気に毒気を抜かれたような気分になった。
「大尉は入院中です。目覚めてはいませんが、命に別状はないとのことです」
「フォトンは、フォトンはどうしておる……?」
「ずっと大尉の手を握っています」
「会えるか? 二人に……」
「明日の謁見は午後のみとします」
「すまぬ。礼を言う」
「いえ」
◆◆◆
翌朝。
軍病院の三階。
個室のベッドの上でヴァレリアは体を起こし、窓の外を眺めていた。
ベッドのかたわらの椅子に、スフィーダは腰を下ろす。
ここでヴァレリアは初めて彼女のほうを向き、静かに笑んだのだった。
「恋敵のこととはいえ、心配でございましたか?」
そのセリフを聞いて、少し安心した。
不敵なヴァレリアらしい切り出し方だからだ。
「傷の具合はどうじゃ?」
ヴァレリアは水色の病衣の前を開けた。
上半身が包帯でぐるぐる巻きにされている。
「氷の鎌でやられました。左の肩から右の脇腹にかけて一閃です」
「一生、残るような傷なのか?」
「はい」
美しい体に消えない傷。
どうしたって、やりきれない思いに駆られてしまう。
「相手は誰じゃ? リヒャルトか?」
「まさか。クロニクルの相手は少佐の仕事です」
「じゃったら、そなたはいったい誰に?」
「副隊長です。名はシオン・ルシオラ。浅葱色の髪の女でございます」
「以前、リヒャルトと会ったときに、奴めの隣に座っておったな」
「油断したわけではありません。ただやられた。それだけです」
「潔いの。まったく、そなたらしいぞ」
スフィーダ、泣き笑いのような顔になる。
「少佐は私にケガをさせてしまったとお思いです。過保護すぎるのでございますよ」
「じゃが、そういう男じゃからの」
「そうでございますね」
「うむ」
「輸血を受けたわけですが、血は少佐が分け与えてくれたのだそうです」
「そうなのか?」
「大量に抜かれたことだろうと思います。さすがは少佐。血の気が多い」
おどけるようにして、肩をすくめてみせたヴァレリア。
「フォトンが、移送法陣で?」
「はい。すぐに連れ帰っていただいたようです。でなければ、危なかった」
スフィーダの背後に立っているヨシュアが、このタイミングで口を開いた。
突然、真剣みを帯びた声で、「大尉、そのフォトンはどこですか?」と訊いたのだ。
ヴァレリアは苦笑じみた表情を浮かべた。
すると、ヨシュアは身を翻して、早足で病室をあとにした。
スフィーダの頭の中を、よくない理由が駆けめぐる。
まさか……。




