第84話 孤独すぎる世界。
◆◆◆
だらしなく伸びた、ぼさぼさの髪。
長い前髪のあいだから覗くのは、穴ぼこがあいたような虚ろな瞳。
男はかろうじて聞き取れる小さな声で、トムと名乗った。
年齢は十七。
それだけ言って、他にしゃべらない。
椅子の上で、憔悴しきったように肩を落としている。
ひどく絶望しているように映る。
その原因はなんであるのか。
スフィーダ、玉座を離れた。
階段を下り、さらに歩む。
トムとの距離は一メートルほど。
「問いたい。どうしてここを訪れたのじゃ?」
「……から」
「ん?」
「会いたいと、思ったから……」
「それは嬉しいのじゃ」
スフィーダは頬を緩め、目を優しいかたちにした。
それから膝を折り、今度はトムを見上げる姿勢をとる。
彼は俯き加減なので、こうしたほうが顔がよく見える。
「なにを恨んでおるのじゃ?」
「恨む……? 別になにも、誰も、恨んでない……」
「じゃったらどうして、よどんだ水のような暗い目をしておるのじゃ?」
「……め」
「め?」
「……いじめ」
スフィーダは、二度、三度と頷いた。
「いじめに遭っているのに誰も恨んでいないとは、偉いのぅ」
「偉くない。恨むだけの勇気がないだけ……」
トムは結構、こじらせてしまっているようだ。
そんなふうに、感じずにはいられない。
「トムよ、最初にわしの意見を述べておく」
「……はい」
「外の世界に出れば、誰も守ってくれはしない。わしはそう思うておる」
「……やっぱり?」
「うむ」
「だったら、死ぬしかないよね? そんな孤独すぎる世界、嫌だから……」
「その気持ちはわからんでもない。じゃが、せっかく生きておるわけじゃ。楽しんでやろうとは思わんか?」
とてつもなく暗い目をするトムである。
「がんばれ。そう言いたいの……?」
「そういうことになるが、まあ、そうじゃな。いじめの被害者に対して、そんなことを言うのは、悪手でしかないじゃろうな」
「だったらどうして、あえて言うの……?」
「わしはトムのことが好きじゃぞ?」
「えっ?」
「そら見ろ。孤独な世界ではなくなったじゃろう?」
「……言うだけなら、タダ」
「鋭いツッコミじゃ」
「別に鋭くは……」
「これもあえて言っておく。わしはのぅ、トムよ。そなたよりずっとずっとしんどい経験をしているという自信があるぞ?」
そうあることが、そうであることが、自分の存在意義だ。
スフィーダ自身、たびたびそう考える。
「それは……うん。なんとなく、わかるよ。一つ、訊いていい……?」
「どんと来いじゃ」
「そんなつらい目を見ているのに、スフィーダ様はどうして、生きていられるの……?」
「死ぬまでは生きると決めておるからじゃ」
「そんなの、当たり前じゃないの……?」
「うむ。やはり鋭いツッコミじゃ」
「だから、別に鋭くは……」
「両親はなんと言っておる?」
「……ごめんね、って」
「ごめん?」
「なにもしてあげられなくて、ごめんね、って……」
腰を上げ、スフィーダはトムに歩み寄る。
彼の右手を、彼女は両手で包んだ。
「お願いがあるのじゃ、トム」
「お願い……?」
「そうじゃ。どうか、強くあってほしい」
「それって、僕が男だから……?」
「確かに、女子が相手なら、また違った言い方をするじゃろうな」
「ひどい差別だね……」
「そうかもしれんの。しかし、忘れんでほしい。そなただって、望まれてこの世に生を受けたのじゃ。間違っても、簡単に命を投げ出すような真似だけはするな」
「……どうしたらいいかな」
「ん?」
「どうすれば、変われるのかな、って……」
「プライドじゃ」
「プライド……?」
「そうじゃ。どれだけ叩かれても、壊れぬだけのプライドを持つのじゃ」
「逆境に負けるなってこと……?」
「勝ち負けの話ではない。生き方の問題じゃ。そして、さっきわしは外の世界では誰も守ってくれやしないとは言ったが、誰も一人では生きていけないことも、また事実なのじゃ」
「……僕は負け組?」
「じゃから、人生を勝ち負けで語るな。そもそも、まだ十八の小僧に過ぎぬ男がなにを言っておるか」
「だよ、ね……」
「うむ」
「……スフィーダ様」
「なんじゃ?」
「少し、泣いていい……?」
スフィーダ、笑った。
好きなだけ泣くがよいぞと言って、笑った。
すると、トムは俯いたまま、ぽろぽろぽろぽろと涙をこぼして……。
◆◆◆
一週間後。
トムがまた、訪ねてきた。
さっぱりとした髪型。
幾分、明るい目。
黒いブレザーと緑のズボンは高校の制服だろう。
トムは立礼すると、椅子には座ることなく「連絡事項……」と口を開いた。
「いじめてくれてた奴、全部で五人いて、全部、殴り倒しました」
「ほぅ。また思い切ったことをしたのぅ」
スフィーダは声を上げて笑う。
「はっきり言って、全部、弱かった、です」
「群れてはしゃいでおる男らなど、そんなものじゃ」
「でも、周りの生徒にはドン引きされた。先生にも、怒られた」
「そんなことは気にするでない。むしろ、胸を張れ」
「スフィーダ様って、とことん前向き」
「そんなことはないぞ? ちょくちょく弱気になったりもするぞ?」
「そうなの?」
「うむ」
「外では誰も守ってくれない。だけど、誰も一人じゃ生きていけない。その言葉が、スゴく刺さった」
「なら、よかったのじゃ」
「スフィーダ様は、僕の天使。本当に」
「そうじゃ。わしは天使のようにかわいいのじゃ」
「そういう意味じゃなくて」
「わかっておる。忘れるな。大切なのは、プライドじゃぞ?」
「また来たい、です。恋人ができたら、そのときにでも」
「気の早い話じゃのぅ」
スフィーダがわっはっはと笑うと、トムは穏やかに微笑んだのだった。




