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069:母の愛情

 

「なるほどな。要するにあの男は本当の魔女の息子だったってことだ」

「えっ、そこを疑ってたの?」

「最果ての国なんて誰かの望んだ理想郷みたいなものだと思ってたからな。戦争がないだとか犯罪がないだとか。そんな国があるなんて誰も信じてねぇだろうな」

「きれいなお城があったよ。明るくて賑やかな感じも見えたし、国王も良い人そうだった」

「ミラの知ってる国王がタチ悪すぎるからな……」


 思い出したのか、ミライの眉間にぐっと皺が寄る。ベルガーは苦笑いするしかなかった。


 たどたどしい説明ではあったが、自分が見たものをベルガーに話していくうちに、ミライは段々とイルミカと自分が別々の人間であるということを再認識していった。


 イルミカの視点で過去を見ていたせいで、まるで自分の事のように受け取ってしまっていたが、説明が終わった今は、第三者としてイルミカの過去を見ることが出来ている。


「ねぇ。ベル。ミカさんのお母さんは、どうしてミカさんのことだけを忘れようと思ったんだろう。ミカさんのお父さんのことは忘れなかったのに」

「そりゃ生きてる人間だからだろ。自分よりも先に死なれるのが嫌だったんじゃねぇのか」

「でも、それで楽になったとしても……じゃあ、ミカさんは?」


 イルミカのことを忘れて、自我の崩壊を防いで、魔女としての役割をこなせるようにした。きっと、国のために一番良い方法だったんだろう。それは分かっている。けれど、イルミカを犠牲にして国民が救われたように思えてしまって、ミライはなんとなく胸のもやもやを解消出来ずにいた。


「俺に聞くなよ……でもまぁ、立派な行いなんだろうな。魔女がどういう仕事をしてんのかは知らんが、そいつの認識だと魔女は何でも出来るからこそ狂った時はヤバいってことなら、あの男は国を一つ救ったって事だろ」

「そこがもやもやする」

「もやもやするって言ってもな……」

「ミカさんが一人で背負ったってことが納得がいかない」

「納得がいかないからなんだよ、どうしたいんだよ」

「分からないよそんなの」


 ふて腐れてしまったミライに、今度はベルガーのほうがもやもやし始める。イルミカにかなり同情的な気持ちを抱いてしまったミライに何を言っても無駄な気がした。


「とにかく、まだ全部見てねーんだろ」

「うん、見てない」

「さっさと見て戻るぞ。他人の記憶の中なんて気まず過ぎて落ち着かん」

「わかった」


 立ち上がって次の窓の方へと向かう。

 ベルガーは気まずい顔をして、それでもミライに付き合って一緒に見てくれるようだった。


 イルミカはミライが見たことのない土地へ降り立ち、旅を進めていく。

 酒場で情報を集めたり、商人とやり取りをしたり、誰かの手助けをしたり、狩りをしてお金を稼いだり、城で学んだ事を活かして様々な土地を巡っていく。


「器用な男だな」

「器用?」

「うまく立ち回って詮索を避けて旅をしてる。頭が良いんだろうな」


 感心したようにベルガーがそう言うので、それほどかと思ってしまったけれど、確かにミライのこれまでの所業を思い返せば、イルミカはとても上手に旅をしているということが分かった。


 しかし、気の緩みというものは出てしまうもので、気を付けていたはずのイルミカがついに綺麗な顔を晒したまま宿屋の食事を食べてしまう。

 うさぎを狩る際に足場が悪く泥に塗れたので、部屋で身を清めたあとに食事の為に素顔で現れてしまったのだ。

 旅を始めてからあまり顔を晒さないようにして、見せたとしてもすす汚れなどで誤魔化していた白い肌がすっかり出てしまっていた。

 旅の疲労もあってか、ぐっすりと眠ったあと、イルミカは拐われた。


 嫌な予感がしてベルガーの腕を掴む。


「飛ばすか?」

「……ううん、見る」


 次の窓は、イルミカの家と似通っていた。

 正確には、イルミカの家の地下――奴隷たちがいた部屋に。


「これ、内側だよね」

「そうだな。拐われて奴隷商に売り飛ばされたって事だろうな」


 イルミカの手足には枷がついていて、ミライが見た奴隷の部屋よりもっと劣悪な環境下にいるようだった。イルミカの奴隷に対しての待遇がどれほど良かったのかを知る。


 檻の向こうからぞんざいに投げられる黒パンを、どうにか小さくちぎり口へ運ぶ。食事も水も最低限に届かないほど少なかった。

 イルミカは空腹で目の前が霞むことも多くなっているのに、同じ檻の中の少年少女に自分の食事を分け与えた。とっくに限界を超えているはずなのに、自分が助かろうだなんて微塵も思っていなかった。死んでしまってもいい、とイルミカが思ったその瞬間、ミライは「だめ」と反射的に声に出して応えた。


「どうした?」

「死んでも、いいって」

「なにも聞こえてねーぞ」

「ベルには聞こえてないの……?ミカさんの心の声とか気持ちみたいなものが、ずっと、流れ込んでくるの」

「そりゃあしんどい見方してんなぁお前」

「ベルは何も感じない?」

「見えてるだけだな」

「そうなんだ……」


 ベルガーの腕をぎゅうっと抱き込む。

 この場面を見るのをやめても、きっと問題はないだろう。だけど、知りたかった。イルミカがどう生きて来たのか、何を思っていたのか。


 まともな食事を与えて貰えなかった奴隷たちは一人、また一人と死んでいく。

 イルミカは自分の番がそろそろ来ることをうっすら感じていた。

 身体の感覚が薄くなって、起き上がることが難しくなって、気が遠くなっていった。


 たすけて、と唇が動いた。

 それを最後に命が途切れる寸前、急激に戻ってきた身体の感覚に驚いて目を開けた。


 色とりどりのシャボン玉がふわふわと浮いている。

 大きいもの、小さいもの、カラフルで透き通った可愛らしいシャボン玉が視界いっぱいに広がる。

 イルミカは知っている。


 これは――彼女の魔法だ。


「魔法が、たくさん……」

「やたらかわいいもんだな」

「ええっと、なに、すごい。こんなにたくさんの……えっと、保護、防御、生命維持、消毒、清潔、回復、筋力強化、幸福、護身、いっぱい、目で追えない!」

「なんだなんだ」

「すごい数の魔法!ミカさんの身体に詰め込まれてる!全部、全部、守ったり、助けたりするための!でも、完璧じゃない!発動してないものがある!」


 みるみるうちに顔色を取り戻し、身奇麗になっていく。

 あたたかい魔法に包まれて、イルミカは脳内に流れ込んで来るものにぼろぼろと涙を流した。


 祝福の光がイルミカを包む。


 簡単な魔法の使い方が分かるようになり、母の魔力を閉じ込めた器が体内にあることを知る。

 一人で生きていく上で必要なものが全て詰まっていた。必要以上と言ってもいい。ただの旅人には過ぎる祝福が身体に全て刻まれる。


 紛れもなく母親の、大き過ぎる愛情だった。

 愛情を疑う余地もないほどにイルミカのことを思って詰め込まれている。

 一体いつ?記憶を消す前に?様々なことが頭を過るが、今はただこのぬくもりに溺れていたかった。


「お母さま……お母さま、こんなにたくさんの……こんなにたくさんの魔法、使うところないですよ……こまったな……」


 イルミカにつられてミライが泣く。

 体中の水分が枯れてしまうほどに泣いているのに、まだ枯れていないらしい。とめどなく溢れてくる涙を乱暴に袖で拭う。どうせベルガーはこんな自分を困った顔で見ているのだろう。そう思って隣を見ると、ベルガーはミライの涙が引っ込むほどひどい顔で泣いていた。


「こわいよ……」

「うるせえ!」



 どうやら、イルミカの「助けて」という言葉が魔法の発動条件だったらしい。国を滅ぼすことなど簡単に出来る身体になったイルミカは、生存している奴隷たちを全員連れて脱出した。


 空き家を見つけて寝床を確保し、様々な手段を駆使して奴隷たちの引き取り先を見つけては斡旋した。悪い主人に当たらぬよう調査も重ねて、ついに最後の一人を送り出すとその街を後にした。


 それから、イルミカは旅先で奴隷を救っては送り出し、またたびに出ることを続けて行く。そうやって辿り着いたのが、奴隷の扱いが一層ひどくなりつつあったルバルスローン王国だった。




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